酒場ラビットパンチにて
高黄森哉
酒瓶
「おい、酒瓶を持ってこい。この店で一番高い奴を。一番高級な酒だ」
でっぷりとした中央の男は云った。それで、タキシードの男が酒を持ってくる。円形のソファー、男の両脇に座っている女どもは喜ぶ。
俺は、その様子をなんとも言えない目で見ていた。もしかしたら、来る場所を間違えたのかもしれない。
「ひっひっひ、旦那。『バツ印』を選ぶとは、センスが良いですな。まさに、玄人の極み。酒を飲みに飲んで、そして呑まれて飲んでの境地に達した、仙人のみがたどり着ける選択であります」
と、ひょろっとした出っ歯の男が寄ってきて、肥満の男を持ち上げた。
「なるほど。お前はとてもいいやつだ。おい、こいつにも酒を持ってこい。そのお世辞ならば、二番目に高い奴だ」
「あはは、『藍鳥』ですか。ありがとうごぜえます。必ず、お返しいたします。ええ、ええ。それがここでのマナーですから。ひっひっひ」
出っ歯は、後頭部をさすった。
そして、別の酒を注文する。『啼久』だ。すると女が奥の方から現れて、相手をし始めた。彼女たちは男たちを賛美することで、酒のおこぼれにあずかっている。
俺は、その様子をなんとも言えない目で見る。やはり、来る場所を間違えたのだ。確信に変わった。
「お兄さんは、どんなお酒が好きなの」
いつまでも、カウンター席で、安い酒しか注文せず、誰の相手にもされない俺を見かねて、一人の女性が寄ってきた。同情してくれたのだろうか。
「この酒が好きだ」
「誰も寄ってこないわよ。それもいいけど、もっと高いのは、沢山あるんだから。ほら、『鬼もどき』なんてどう」
「あれは臭みがすごくてさ。好きな人は多いが強がりだな。えぐみが好きなんだろうが、そのえぐみは人工的なんだ。決して、自然足りえない。それに、俺は今日は美味しい酒を飲みに来たんだよ」
彼女は止まり木から、去っていった。まるで小鳥のような軽やかさだ。彼女も、どうやら酒を飲みに来たわけではないらしい。そして、女グループで固まって飲み合ってるのは、最近、過激と流行りのノンアルコール、『ひばかり』だろうか。
「旦那。これを貰って下せえ」
出っ歯は、表紙に金泥で名前が書かれた日本酒を紙袋から取り出した。『真鍮』。でっぷりとした男は、お返しにとビンテージ物のワインを開けた。『Vulpes et uva』。まるで押し付け合いのようだった。
「じゃあ、これも」
「なら、これを」
繰り返される酒の交換。日本酒とワインの押し付け合い。彼らは損も得もしていない。手札を入れ替えているだけだ。だが、そういった空虚な循環でも、彼らは満足を得るようだった。バケツに両足を突っ込んでから、持ち手を引っ張り上げて、飛べると、信じてやまないようだった。
俺は、店主に尋ねた。
「ここはもとは、酒場だったのではないですか。キャバクラではなくて」
「ええ。今も、そういった側面を持ち合わせています。ほら、この通り」
不細工な女と、脂ぎった男たちが、ふがふがと酒についての持論を喚き散らす。おつまみばかりを口に放り、その汚い手で、汗をぬぐう。その汗はお猪口に入ったりする。これが、いいんだよ、と彼は力説する。肥満体がそういうものだから、周りの人間も真似をしだした。終いには、汗だけで満たしたジョッキをさもうまそうに傾ける奴が出てくる。そして、周りはわけもわからず、賞賛するのだ。この通り、ここは酸鼻の終点だった。
「そうですか」
目の前のグラスを傾けた。琥珀的な液体が特徴的なこの酒。その名は、『無花果』。甘さの中に苦みが現れて、すぐに消えた。
俺は、知っている。
ここは、ただの酒場ではないことを。もともとは、アマチュアの文壇バーであったことを。そして、今では、酒場ですらないことを。
『バツ印』 『藍鳥』の一つ上のグレード
『藍鳥』 『バツ印』と同じ会社
『啼久』 飲み合いをするのが流儀である
『鬼もどき』 アルコール度数が高い。実は料理酒
『ひばかり』 噛まれればその日ばかり、の蛇、ヒバカリから。実は無毒。
『真鍮』 酒に含有される金箔のようなものは、実は真鍮。
『Vulpes et uva』 酸味が特徴的。酸っぱい葡萄の意
酒場ラビットパンチにて 高黄森哉 @kamikawa2001
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