ダイイングメッセージは雨

小石原淳

あるいは自らの意思でコンタクトレンズと眼鏡を同時使用するわけ

「今日はまたどんな用件ですかね、吉野よしの刑事」

「言わなくても分かっておるでしょう。お知恵を拝借したくて来たんですよ」

「ふむ。まあ、税金ドロボーと呼ばれない程度には勤めをこなしているあなた方の頼みなら、聞く耳を持たないでもない。つい最近もS区の殺人事件で、有力な容疑者を見付けたとかニュースになっていましたねぇ。被害者の金森かなもり氏が何故か、コンタクトレンズ着用の上に普段使っていない予備の眼鏡まで掛けていたという奇妙な状況には、ちょっと興味を惹かれたな」

「おお、実はまさしくその件で足を運んだんです。デイトレードで成功した投資家、金森満夫みつおが自宅で殺害された事件。最有力容疑者の身柄を押さえたのはいいが、面倒な成り行きになっとりまして」

「被害者の恋人、雨谷直美あめたになおみで決まりみたいな報道がなされていましたが、あれはマスコミの先走りだと」

「うう、そうとも言い切れないところが……いわゆるダイイングメッセージってのが現場に残されていて、そのことを外に漏らした輩が捜査班の中にいたらしくて」

「ほう、ダイイングメッセージがあったとは初耳だ。吉野さんも私に、同じように情報漏洩してくれるんですかね」

「じ、自分は一般国民に捜査協力をお願いしているだけであって、やましいところは一切ない……なんて苦しい建前を言わせんでください」

「分かっていますよ。すでに漏れている情報なら、罪の意識も軽いでしょう。さあ聞かせてもらいましょう」

「シンプルに“雨”の漢字一文字が、被害者自身の血で書かれていました」

「“雨”か。その写真、見せてもらえますか」

「いや、今回は無理。さっき言った情報漏洩があったのが分かって、皆ぴりぴりしていて、簡単に持ち出せる雰囲気じゃない。私と親しい同僚までならともかく、お偉いさんの耳に入ったらどんな叱責を食らうか分からんので、勘弁を」

「仕方がないな。そのダイイングメッセージ、“雨”の他に読みようはありませんでしたか」

「ええ、まったく。まごうことなき“雨”でした。あとから何か書き足された風でもなく、消された風でもなかった」

「被害者自身が書いた確証は?」

「ほぼ100パーセントと言ってよいでしょうな。ご存知と思いますが、金森は自宅近くの屋外で刺されて、急いで家に逃げ込み、鍵を掛けたあと絶命した。逃げ込むまでの様子は、防犯カメラに残っている。さらに金森は一人しかいない密室状況下で死んだのだから、彼以外に血文字を残せる者はいない。まさか、犯人が被害者の行動を予測して、この辺で死ぬだろうから先に偽のダイイングメッセージを書いておこう、なんてことができるはずもない」

「なるほど。それじゃ本題。雨谷が犯人かどうか怪しくなったようですが、その理由を聞かせてください」

「彼女、本名の雨谷を名乗らないまま、金森と付き合っていたようなんですよ。容疑者自身が言っているだけでなく、雨谷や金森の関係者の証言を集めると間違いない」

「何と名乗っていたんです?」

「『雨』の代わりに『天』の字を使って、読みも“あめたに”ではなく“あまたに”で通していました。なんでも、雨女のがある雨谷は、子供の頃によくからかわれて、本名が嫌いになったとのことで、『天谷』と称するようになったらしい。改名はしておらず、あくまでも通り名ですがね」

「ふむ……雨谷直美が被害者には本名を打ち明けるか、あるいは被害者が彼女の免許証などを見て、知っていた可能性は」

「言ってないと思いますよ。被害者のパソコンを調べると、簡単な日記が見付かりまして、恋人に関しても度々書いていた。そこには“天谷さん”か“直美さん”呼びしかなく、また、本名を知ったならそのことを日記に書きそうなものだが、実際にはそんな記述はなかった。ああ、日記が改竄された形跡もなかったですよ」

「さすが、吉野さん。先回りしてくれてありがたいです。それにしても被害者は恋人を呼ぶのに、さん付け止まりだったんですね。殺人の疑いを掛けられるくらいだから、結構深い仲だと勝手に想像していた」

「交際を始めて半年くらいでしたかな。意外とと言っていいのか、健全なお付き合いを進めていたようで、金森が天谷を自宅に上げることも滅多になかったそうです」

「ああ、ということは当然、自宅の合鍵をもらっているような関係ではなかったと。だったら仮に雨谷が犯人だとしても、金森の家に上がり込んで、完全に息絶えたかを確認することはできないし、ダイイングメッセージなどを遺されていないかを確かめる術もない訳だ」

「そうなりますな。元々、金森は自身のスペースを守りたがる性質だったらしく、唯一の近い肉親である姉にさえ、スペアキーを渡してはいなかった。そのせいで、遺体発見まで手間取ったんだよな」

「最初に異変に気付いて、通報したのは姉でしたっけ」

「ええ。いくら電話しても出ないし、家を訪ねても応答がない。やむなく、救急を呼んだところ、中で死んでいたのが分かったという流れです」

「そのとき、金森の姉もいたんですよね」

「そりゃまあ、通報者だし、実の姉だから、いてもおかしくないと言うよりもいなきゃまずいでしょう」

「……吉野刑事。仮に、あなたが金森と同様の状況で刺され、自宅に駆け込んで鍵を閉めたあと、助けを求める余裕もなくこれは死ぬ可能性が高いなと感じたら、どうします?」

「ん? もちろん、犯人の手掛かりを残そうとします。ダイイングメッセージを書くかもしれないが、先に電話を掛けるでしょうな。あ、金森と同じ状況というのでしたら、電話は無理だ。固定電話はないし、携帯端末はバッテリー切れを起こしていた」

「じゃあ、ダイイングメッセージ一択ですね。その場合、犯人について知っていたら、直接名前を書きますか」

「ええっと、家は密室状態なのだから、犯人に関与される恐れは極めて低い。だったら、直に名前を書く」

「ですよね。一方、金森は“雨”と書いていたが、該当する有力な容疑者は雨谷ただ一人で、彼女も天谷と名乗っていたので除外せざるを得なくなっている」

「そうです。他に“雨”と結び付けられる容疑者がいればいいんだが」

「いや、かえって助かるかもしれませんよ」

「何だって? 容疑者がいなくなるというのに?」

「逆です。絞り込める。さっき言われたような状況下であったにもかかわらず、“雨”という字に当てはまる有力容疑者がいない。裏を返せば、被害者は犯人にダイイングメッセージを改竄されることを危惧していたんじゃないか?と、こうなりませんかね」

「いやいや、家は密室状態にあった、だから犯人はダイイングメッセージに手出しできないと、先ほど言ったじゃないか」

「他の者にはできないが、犯人にはできるとしたら?」

「犯人にはできる……言い換えると、犯人には密室を破る術があったと言うのか」

「そこまでは言いません。でも、密室を破る場に高確率で居合わせることができる人物なら、思い当たる関係者が一人、いるでしょう」

「金森の姉?」

「はい。無理がありますか? 少なくとも動機は、遺産絡みでありそうですが」

「待った待った。先走らないでくれ。動機はあとで調べるから。えーっと? 姉が犯人だとしたら、刺された金森は普通、“姉”か姉の本名をダイイングメッセージにする。だけどいくら現場を密室状態にしても、姉は発見者の一人になり得る。下手すると、ダイイングメッセージに気付かれて、消されるか改竄される。それを防ぐために、捻ったメッセージにした、という理解でいいのか?」

「ええ」

「だが、“雨”が姉につながらないとお話になりませんぞ。“あめ”と“あね”で似てはいるが、違う」

「そこで考えるべきは、眼鏡ですよ」

「眼鏡……って、もしやあれもダイイングメッセージだってか」

「普段使っていない眼鏡を掛けていたのだから、ダイイングメッセージである可能性を検討すべきなのは当然でしょう。じゃなきゃ、警察はどう解釈してたんですか、眼鏡を」

「それは、犯人の顔をよく見ようとしたんじゃないかとか。コンタクトレンズが多少ずれていたから、そういうこともあるかと」

「うーん、まあ、しょうがないということにしておきます。眼鏡もダイイングメッセージの一部と見なせば、答は簡単に導き出せる。いいですか、紙に書くまでもないですが――こう、“あめ”とあって、どう変わりますか?」

「“あめ”の“め”が“ね”に……“あね”だ」


 終

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ダイイングメッセージは雨 小石原淳 @koIshiara-Jun

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