レンズが重なれば、眼鏡だって世界が見えるはず
魚野れん
芽吹きを待つ乙女
「うーん……やっぱり、見えないです」
「プラハト、どうしたの?」
プラハトが遠くを見つめるように手をかざしている姿に、セーレンは首を傾げた。二人がいるのはコックピットで、彼女がそこまでして見ようとする意味がないからである。
天体ショーを見ようと体をくねらせて隙間を探す子供のような動作に、思わず笑いたい気分になった。
「あの、もう少しで見えそうなんですが! そのひと息が厳しくってですね!」
そう言って始まったのは、宇宙船フロイラインのカメラの性能の話だった。
フロイラインのカメラの性能はトップクラスで、デブリ帯の確認用のプログラム精度なども高い。かなり優秀である。
「望遠、もう少しつけたいですね……」
「プラハト、既に望遠つけてるよね?」
セーレンは上を目指し続けるプラハトに、よくそこまでやろうとするものだとあきれてしまう。
だが、目を輝かせた彼女を見るのは好きだ。寂しそうに笑うよりもずっと良い。
「そうなんですけど……まだいける気がします!」
ぐ、と拳を握って大きく頷く彼女に、セーレンは疑問を口にした。
「メガネの上からメガネを重ねているみたいじゃないか。見えにくくなったりしないの?」
「倍率が違いますからねぇ……。ちょっとイメージ変わっちゃいますけど、眼鏡のレンズも重ねれば、世界が広がって見えるかもしれませんよ。そもそも、レンズは複数枚重ねることで収差を少なくすることができますし――って、セーレン忘れちゃいました?」
困った子ですね、と言わんばかりの苦笑を向けられたセーレンは、言い訳がましいことを口にする。
「強制インストール……してもらったのは良いんだけどさ。された量が多すぎて、さすがに全部の知識をすぐに取り出せたりはしないよ」
実際、かなりの量をインストールしている。
プラハトはすぐに正面を向き、どこか遠いところを見る方に集中してしまった。彼女の視界には、きっとセーレンには見ることのできない世界が広がっているのだろう。
「……確かに、あなたは普通の人間ですからね。我々とは処理速度が違うのでしょう」
プラハトは笑んでいる。セーレンの言い訳は受理されたようだ。
「あっ! 見えました!」
「えっ!?」
ぱあっと顔を輝かせ、プラハトがぴょん、と飛んだ。ふわりと着物の裾が舞う。彼女が飛ぶたびに、毛先だけがくるりと巻かれたストレートヘアが跳ねる。
「レープハフトの惑星に、種を植えたんです! 芽が……芽がね、出る瞬間……この目で見たかったんです……!」
プラハトがディスプレイいっぱいに映像を映し出した。そこには、枯れた大地に小さな双葉が生えているのが見える。
「意外と彼、植物が好きだったから……
プラハトがレープハフトの埋葬を行ってからもなお、この惑星の軌道から離れずにいた理由が分かった。彼女は芽吹きを待っていたのだ。
小さな命を見つめ、プラハトが涙ぐむ。
「レープハフト……あなたの惑星が緑に包まれる頃、私……きっと幸せになれると思います」
「プラハト……」
プラハトの前向きな言葉に、セーレンは泣きたくなった。プラハトは本当の意味で、彼の死をようやく乗り越えたのだ。
ふいに、プラハトが画面に背を向けた。
「セーレン。私……みんなと会っても大丈夫でしょうか?」
「……まずは、神様として過ごすのが良いかも」
プラハトが再び人間との交流を望んでいる。セーレンは過去の社交的な彼女のことを思い浮かべ、しかし現状でのプラハトの立ち位置を思い出す。
「あぁ。そうですね。そういえば、私を神に例えて変なお祭りを……していましたね」
「変な、お祭り……」
「みんなが楽しそうだったので、私も張り切ってお題を用意しちゃいました」
悪意のない笑みに、あの舞台がそんな気持ちで用意されていたことを理解する。
あの儀式がお祭り。セーレンは当時の緊張感を思い出し、そのオチに脱力した。
「あの、それに参加していた演者たちは……?」
「あそこ、特殊な転送ゲートなので、近場の惑星に緊急テレポート扱いで転送されていったはずですね」
「え、プラハトが食べたわけじゃなかったんだ?」
セーレンの言葉に、プラハトが目を丸くする。
「何変なこと言ってるんですか。彼らは一般搭乗員ですから、勝手に吸収できないに決まってるじゃありませんか」
……誰も、命を奪われていなかったらしい。それにしても、転送しないようにすれば良かったのに。
「どうして転送中止しなかったんですか?」
「私は、人間の自由意志を尊重します。彼らが自主的に転送用のコマンドを入力すれば、私はいつでも見送ります」
「転送ゲートだって、知らずにあそこでお祭りをしていたんだ……だから、あれは自由意志での転送じゃないんだよ」
「そうだったんですか!?」
驚きたいのはこっちである。セーレンはひとまず、宇宙船として彼らの目の前に出る前に大きな課題を済ませるべきだと理解した。
「プラハト。ここ数年で転送された人たちがいる場所分かる?」
「もちろんです。彼らもレープハフトの血筋ですから」
現在位置までしっかり! と当然かのように付け足したプラハトに、セーレンは口元をひきつらせる。そうだった。
セーレンたちは、少なからずともレープハフトの遺伝子情報を継いでいるのだった。
「可能な限り、彼らをこの船に回収しよう」
「そうなんですか?」
賢いはずの彼女は、レープハフトの死によってだいぶ鈍くなってしまったようだ。宇宙船に住む人間が“プラハトが誰も犠牲にしていない”と理解するかどうかによって、プラハトが彼らと仲良くできるかどうかが変わってくるというのに。
「彼らが無事だと分かれば、その件の誤解さえ解ければ、みんなと仲良く過ごせるはずだよ」
「分かりました。やってみせましょう」
プラハトが気合いの入った顔を見せる。セーレンは少し不安を覚えたものの、彼女が前向きに色々と考えられるようになっていることは良いことだ。歩み寄っていくのはこれからで良い。セーレンはそう思うことにした。
セーレンの何倍どころか、考えるのも恐ろしいくらい長い時を生きるプラハト。その心は純粋で、誰よりも人間の愛を欲しがっている。にも関わらず、彼女はそれに気づくことなく愛を捧げ続けようとしている。
人間を愛するようにプログラムされているから、と割り切るには、彼女はあまりにも人間身があり過ぎた。
「見ていてくださいね。プラハト。私、頑張ってみせます」
失った最愛に決意を告げるその顔は、とても眩しかった。
レンズが重なれば、眼鏡だって世界が見えるはず 魚野れん @elfhame_Wallen
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