スパダリの彼が眼鏡をかけるワケ

佐倉奈津(蜜柑桜)

それならコンタクト・レンズはやめようか

 テナントが多数入る駅ビルのエントランスは、週末の夜ともなればいつもに増して人が多い。待ち合わせをしても下手するとどこに誰がいるのか見えなくてわからなくなってしまう——なんてことにはならない。私の場合は。

 思った通り、約束した通りの方面に目を向ければすぐに見つかった。行き交う人々より若干高い位置に頭が見えるのはもちろんのこと、壁に寄りかかるでも姿勢悪くスマホに見入るでもなく、背筋を伸ばした綺麗な立ち姿は周囲の人々が振り返るほど。

あさ

 そしてこちらをすぐに見つけてくれるので、待ち合わせに困ったこともない。

「お待たせ、すぐる。じゃあ行こっか」

「そっちの出口から出たほうが早いらしい」

 休日前のたまの外食。初来訪のお店でも彼に任せれば間違えない。



 常々敬服するが、私の彼氏は実にできた人間である。適度に締まった身体は白シャツにダーク・グレーのスリーピースが似合う高身長で、それにシンプルな黒コートを羽織るとモデルと見間違えられるほどのプロポーション。スラリとのびた長い四肢は挙措も美しく、茶器を扱う仕草はもちろん椅子を引くだけでサマになる。

 外見だけの男ならそこそこいるだろうが、中身を伴うから天は二物を与えるのだと見せつけられる。国内トップ・レベルの大学とハーヴァードでダブル・ディグリーを獲得、さらには大学院へ進んで学位を修め、帰国後就職してからも順調にキャリアを上げる経歴の持ち主だ。仕事は万能、信頼も厚いときたものだから、上司には意見を求められ部下には慕われ、同僚には常々悩み相談の引っ張りだこになっている。そしてそれらを文句一つ言わずに耳を傾け解決し、鼻にもかけないから尊敬はやまない。

 名は体を表すとはこのことだ。優れているでは足りない。傑物なのである。

 こんな仕事人間はプライヴェートが疎かになりがちだが。

「さっき連絡したお店の方、空席どうだった?」

「電話しておいた。予約なしで大丈夫だって。麻の好きなカウンター席」

「やった、ありがとう」

 疎かどころかさらりと相手の好みを斟酌してくれるこの余裕が、傑が傑たる所以である。

 家事はできるはデートプランは立てるはエスコートまで万全。あまりにやられると彼女の私がすることがないと思うのだけれど、こちらが気にしすぎないよう自分の希望も言ってくれる。適度に対等感を味わえるし、甘えたいときには甘えられるのでとても楽。

 高身長高学歴高収入、だけでは済まない。

 それってスパダリじゃないの? と友人に言われた。

 調べてみると、スーパーダーリンという意味らしい。

 確かに平均を遥かに超えるし、きっとそう言われても何の疑問も持たないだろう——世間の人は。

 しかし私は知っている。傑が唯一、他よりも優れられないところを——



***


「さすがにそろそろ起こさないとかな」

 土曜日の朝、仕事も今日は休みだし、私は休日ごはんに何を作ろうかと普段よりのんびりレシピを探していた。朝食の準備は万全。平日よりゆっくり食べられるのでフルーツとサラダにあとでトーストするパン。

 目玉焼きは傑が来てから焼いて熱々で食べる方向で……なのだけれど、その傑がまだ起きてこない。

 休みだし遅くまで寝せてあげたい気もするけれど、今日は一緒に遠くまで買い物に行かなきゃいけないし、そこそこ家のことも済ませなきゃいかないから遅くとも十時半くらいには出かけたい。

「仕方ない、起こすしかないか……」

 タブレットを切って腰を上げると、途端に重たい石が肩に乗っかってくる気がする。麗らかな朝の陽気なのに戦闘にいく気分だ。というのも——



「すぐるー」

 声をかけながら寝室の扉を開けるが、返事はない。すでに室内は日の出から時間の経った明るい日差しで満たされて、夜気に冷えた空気が心地よい春の陽気で温められていた。さんさんと降り注ぐ陽は入り口に立つ私すら眩しいのだから、直射している枕元なんて目を閉じているのも辛いくらい……

「なわけがないのよねぇ」

 はあぁと我知らずはっきりと聞こえるため息が出てしまう。見れば休日でもかけられた目覚まし四つは見事息の根を止められ布団の上に転がり、スマートフォンはタイマーのスヌーズも虚しく枕の下にねじ込まれて震えていた。

 ベッドに接した窓の前には、昨日の夜に傑が読んでいた本と眼鏡が朝日に照らされている。夜中まで読んでいても休日前くらいいいか、と思ったけれど止めとけば良かったか。いや、止めたところで起きるのが早くはならないんだけど。

「傑、そろそろ九時半だから起きよう?」

 スマホのスヌーズを切ってベッドに登ると、私は枕元までにじり寄る。頭まで被って強い日差しをガードしている布団をひっぺがすと、なおも暗闇を保とうと枕で頭を覆って丸まろうとする。

「傑、起きて」

 頭が避難するのを阻止して枕ごと取り上げる。それでも無理やり取り返そうとしないあたりが爆睡している。ころんと転がった寝顔はきりりとした昼と違い無防備で、額に落ちるサラサラの髪が気持ちいい。

 あまりに幸せそうで愛らしすぎるこの顔を堪能していたいのは山々ですが。

「いい加減出掛けられなくなっちゃうからもう起きて? ねえ、時間無くなっちゃうか……」

 立膝のまま髪の毛を撫でて避け、頬を軽く叩いていたら、不意にバランスを崩した。あ、まず、とバランスを取ろうとして手を動かしたら、振った腕の先が窓際の眼鏡を払ってしまう。

 すると傑が寝返りを打ち、ちょうど眼鏡に肩が落ちそうになる。

「あ、だめ傑、そこ離れ……」

「断る」

 いきなり妙にはっきりした返事があったかと思うと、腕をぐいと引かれてそのまま抱きしめられた。いきなりで目の前がよく見えなくて急に鼓動が早くなる。

「傑、起きたならまず潰さないよう眼鏡取ろう? ね、離し」

「まだ離せない」

 待って待ってこうぎゅっとしてくれるのは嬉しいのだけれどそれどころじゃ……

「この抱き枕には犯人の証拠が埋め込まれているんだ」

 は?

 ちょっと待って。そういえば。

 ちらと窓辺の本を見ると、背表紙に曰く、『眠らぬ寝室の怪奇事件』。

「傑、なんの事件解決してるの?」

 抱きしめられたまま、内心でツッコミたい——「眠らぬ寝室」って絶対あなたには無理でしょう。しかし直後に間近でする寝息がまた愛らしいのが困る。

 傑が唯一人より優れられない点——最悪の寝起きの悪さだ。



***



「はい、珈琲入ったよ。ちょっと濃いめに淹れたから苦すぎたら少しうめてね」

 とりあえず着替えてダイニングに来た傑の席に珈琲の入ったマグを置く。「ありがとう」と言いながら受け取ろうとするがすでに瞼を擦っているあたりが危ない。

「トースト、両面焼きにする? 片面にする?」

「うん、両面、かなあ」

「傑! それサラダじゃない! 目玉焼きにドレッシングかけてどうするのっ」

 ここであわあわとなるのは傑のはずなのだけれど、「ああ本当だ」と呑気に反応するあたりがやっぱりまだ起きていない。事故が起こる前に止めるのが大変だ。

 こんなのは日常茶飯事なのだけれど、事故といえば今日はなんといっても眼鏡だ。

「そういえば傑、なんでコンタクトはしてないの?」

 遠視の傑は読書をする時だけ眼鏡をかける。なので今はかけてはおらず、相棒は机の隅で鎮座している。しかし朝がこんな状態なので職場に眼鏡を忘れないように細心の注意を払わなきゃいけないし、遠視用のコンタクトにすればいちいちかける面倒も持ち歩く不便もない。今日みたいに壊しそうになることも減るし。コンタクト外した後、寝る直前まで読みたいなら別だけど。

 そう聞くと、傑はやや困ったように笑った。

「コンタクト、前に試してみたこともあったよ」

「え、なんでやめちゃったの? 合わなかったとか?」

「いや、合わなかったというより、俺にはコンタクト入れるのができなくて」

「うそ」

 人が驚嘆するほど器用で何もかもそつなくこなす傑に苦手なことどころか、コンタクトを入れるなんて今どき中学生もできることが不可能だったなんて信じがたい。

「昔、朝にコンタクトつけるようにすればその作業で目も早くに覚めてくるかと思ったのだけれど」

 珈琲を一口飲んでから、傑はまたもふあぁと欠伸をする。

「頭が起きないから怪我せずコンタクトを入れられなくて」

「は」

 そんな理由? 

 はぁ、とため息をつくこちらの前で「参ったよね」と笑う様は、とても日中の颯爽とした人物と同一とは思えない。



 私の彼氏はスーパーダーリン、すなわちスパダリというらしい。

 しかしとりあえずスパダリも、人間並みの弱点はある。

 まあいいか。眼鏡をかけた傑は私も好きだし。

 

 でも傑、そのミステリー小説のトリックってどうなの?

 抱き枕に隠された証拠って、一体どんな事件だったわけ?



***完***


 一作目ののちに続編希望が出たので続編を。なぜ彼が読書中だけ眼鏡なのかというお声も以前にありましたもので。今回おまけと思ってくださいませ。

 もう少しスピード感のあるドタバタな第一作はこちらです。

「スパダリな彼氏と付き合う法」

https://kakuyomu.jp/works/16818093074048061798/episodes/16818093074050606222


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