スパダリの彼と付き合う法

佐倉奈津(蜜柑桜)

トリの夢はどうでもいいから!

 春近づく駅の改札は浮き足だった人々で溢れ、ともするとはしゃぎ気味の高校生や慣れない草履で不器用に歩く袴姿の卒業生、新生活の準備に追われている大荷物の社会人にぶつかられそうになる。

 そうした災害を避けるために改札口正面の柱の前にて待つこと数分。改札内に目当ての人物を見つけた。今日も時間ぴったり、というよりほんの少し前。遅れることはないし早すぎることもないからこちらも待ち時間が極めて短くて済む。しかも相手は実に見つけやすい。

 通り過ぎる人々より若干高い位置に頭が見えるのはもちろんのこと、どこか落ち着かない人の群れの中にいて、異質なほど冷静に颯爽と歩いてくる。もちろん歩きスマホなんてしない。

 人波を無理にかき分けるでもなく、かといって流れを遅滞させるでもなく、彼はスマートフォンをかざして改札を抜けてきた。

すぐる、こっ……」

 手を挙げて自分の位置を示そうと思ったら強い衝撃を肩に受けてよろける。やばい転ぶ——そう思ったが、無理矢理下を向かされた視線の先に黒い何かが飛び込んできた。

「大丈夫?」

 タイルに強打を喰わされる代わりに、柔らかな布が顔面を受け止める。慣れ親しんだハーブとマンダリンの香りが微かに鼻腔をくすぐる。

 黒コートの袖を顔から離して顔を上げると、切れ長の眼がやや心配そうにこちらを見下ろしている。

「ごめん、大丈夫」

「もう少し空いているところで待ち合わせれば良かったかな」

「ううん、平気。ここが一番お店から近いし」

 ならいいけど、と言いながらさりげなく壁側に寄せられ人の群れから守られる。じゃ、行こうか、と微笑まれ、私たちは並んで歩き出した。




 日々感心するが、私の彼氏は実にできた人間である。適度に引き締まった身体は白シャツにダーク・グレーのスリーピースが似合い、それにサラリとした黒コートを羽織るとモデルと見間違えられるほどの高身長。バランスの取れた四肢は動きも上品で、テーブルマナーはもちろん車のドアを開けるだけでサマになる。

 見た目だけの男ならそこそこいるだろうが、中身を伴うから天は二物を与えるのだと嫌でも思う。国内トップ・レベルの大学在学途中にハーヴァードへ留学してダブル・ディグリーを獲得、さらには大学院へ進んで学位を修め、帰国後専門職に就職してからヘッド・ハンティングされるという経歴の持ち主だ。名は体を表すとはこのことだ。優れているでは足りない。傑物なのである。かと言って給料だけのために働くでもなく、引き抜きの際にもむしろ社会に益するか、会社は善良か、そういった内面を重視するという潔癖ぶり。

 そんなものだから我もと求める声は減らず、また職場でも重役で多忙。それにもかかわらず日々部下の愚痴を聞き、相談に乗り、解決策を編み出し、ついでに(ついでに見えるくらい鮮やかに)解決していってしまう。

 そんなよく出来る仕事人はプライヴェートが杜撰になりがちでもあるが。

「それで、今日は何が食べたい?」

「早くできてワインに合うもの」

「了解」

 杜撰にならないのが傑が傑たる所以である。

 料理はできるは掃除はするは洗濯はする。全てやられると彼女の私の立場がないからやめてくれと言わなければ、おそらく全部やってくれてしまうだろう。そこは協議の結果、手分けしたり一緒にやったりしているものの、こちらがきつい時には任せられるのでとても楽。

 高身長高学歴高収入、だけでは済まない。

 それってスパダリじゃないの? と友人に言われた。

 調べてみると、スーパーダーリンという意味らしい。

 確かにしっくりくるし、きっとそう言われても何の疑問も持たないだろう——世間の人は。

 しかし私は知っている。傑が唯一、他よりも優れられないところを——


 ***


「もうそろそろタイムリミットかも」

 スマートフォンの電源を押して表示された時刻を確かめる。七時半まであと二分。傑が会社に出る時刻は八時。

 食卓に置かれているファイルを黒のビジネス・バッグに突っ込む。ついでにその横にあった眼鏡ケースも。これで万が一本当にギリギリになっても職場で困らなくて済むはずだ。昨日の夜、こんなものを読むのはやめて寝たほうがいいと言ったのに。いや、言うことを聞いたところで結果は同じ気がするけど。

 フルーツとヨーグルト、それからパンにハムと簡単な野菜を揃えた朝御飯は、まだ手がつけられずに卓上にある。このままコンチネンタル風に食されるのが最良だが、仕方ない。時計をひと睨みし、私は半分にしたパンの片方をフルーツサンドに、もう片方をハム野菜サンドに簡単に仕立てた。濃いめのブラック・コーヒーは冷めないようにステンレス・タンブラーで待機している。

 こちらの準備は万全。ここからが本番だ。

「すぐるー」

 呼びかけながら寝室のドアを開けるが、反応はない。中は随分前に私がカーテンを取っ払って朝日を取り込んだはずなのだが、布団はその時から変わっていない。

「傑、もう起きないと」

 呼びかけてみると、布団が少し揺れる。今日はもう覚醒……

「のはずがないかぁ」

 漫画のようだが、あちゃあと顔を覆いたくなる。周りにはすでに瞬殺されたらしき目覚まし四つに加え、スマートフォンがスヌーズを示して点灯している。

 これだけの時計を一網打尽にしておいてなんという安らかな寝顔か。爆睡している。無駄に整った顔は昼とは違って下がった髪の毛のせいでやや少年ぽさが残って可愛い——じゃない私! めちゃくちゃ眺めていたいのだけれど、そんなことをしたら傑の社会人生命が危険だ。

 この天使の寝顔を崩す鬼にならねばならないのかと考える暇もない。

「ちょっと起きて。もう起きて。七時半過ぎるから起きて」

 布団を引きはぎ、ゆさゆさ遠慮なく揺さぶる。直射日光が顔に当たって形のいい眉が眩しそうに寄せられた。

「んん……あさ……?」

「そう朝!」

あさ、大変だ……」 

 違う! 麻未あさみの「あさ」じゃない! それは私の名前! 

 ツッコみたいが覚醒したならチャンス、話を伸ばして完全に起こさなければ。

「大変って何が」

 畳み掛けると首に腕を回され、ぎゅうと抱き寄せられる。実に寂しそうに。

「トリに……会えずじまいだった……」

「何の鳥!? いいから夢から覚めて早く!」

 夢らしきものの内容が崩壊しているが耳元でするのがいい声だけにこのまま離しがたくなるから困る。

 傑が唯一、他より優れていない点——最悪の寝起きの悪さだ。




「はいこれまず水ね、それからコーヒー、まだ熱いから気をつけて」

 やっと起き上がって身支度を整え、ダイニングキッチンにやってきた傑に二つのカップを突きつける。

「ん、ありがとう」

 だめだこの返事はまだ寝ている。でも食事摂らせないと激務で死んじゃう。

「とりあえずサンドイッチにしたからちょっと糖分食べて頭起こして。どうするもう一つは持っていく?」

「いや……食べる」

 ああもう、座ったそばから寝そう。まだ目が微睡んでる。

「読んでいたファイルは鞄に入れちゃったからね。眼鏡はいつものポケットだからね」

 なんとか半目を開けて咀嚼しているのを監視しつつ、恒例の伝達を大急ぎで済ませていく。残り時間はあと十分。ご飯を食べればだんだん起きてくるのだ。

「麻は今日は出社は」

「在宅だから大丈夫。仕事終わったら買い物してくるから、食べたいものとかあったらメッセージして」

「疲れてそうだからあまり無理しないように」

「私の心配はいいから早く食べて!」

 食事終了、歯磨き、髪までセットさせてあと五分。五分残ればこちらもやっと余裕が出るというものだ。

「はい、今日も行ってらっしゃい。そっちこそあまり無理せず頑張って」

 シュルリと器用にネクタイを結んだのを確認すると、私は長い黒コートを広げた。傑ほど綺麗にネクタイ結びができない代わりに、コートの袖を準備してあげるのが私の出した我儘である。

「八時、か」

 完全覚醒した彼はそういうと、スマートフォンの画面を切っていつもの通り振り向いた。

「それじゃ帰る頃に連絡入れる」

「うん。頑張って」

 行ってきます、の後に閉じた扉の前で、やれやれとこちらはひと呼吸。ここまで三十分ちょい。最後にあの極上の笑顔を見られるまでが私の朝のひと勝負。あれが出れば傑は完全覚醒だ。本日も業務しゅうりょ……

 はた、と私の視線はダイニング・テーブルに釘付けになった。

 あのゴツくてスタイリッシュで着けるものが着ければすごいサマになるブツは……

「傑、時計!!」




 私の彼氏はスーパーダーリン、すなわちスパダリというらしい。

 しかしとりあえずスパダリも、人間並みの弱点はある。

 待って。

 言い換えれば人より睡眠能力が傑出しているとも言えるの……?



 でもとりあえず傑、トリに会えず、って何してたの?


 ***完***


 こちらはMACK様からいただきましたイラストの男性をお話にしましたものです。イラストは近況ノートをご覧ください。ありがとうございました!


 続編はこちらです。

https://kakuyomu.jp/works/16818093074357664713

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