第5話 … 優しい笑顔(完結)



「おい、翼!」


 また、聞き覚えのある声がした。



 取り囲む人達の隙間から現れたのは、相方の友也だった。


「翼、良かったな! お前、一躍有名になったぞ! これ、昨日から動画サイトで、全国に生配信してるんだ。もちろん、今もだ! 凄いんだぞ、視聴者の数が!」



 まだ事態が飲み込めない俺は、目を皿にして、友也を見つめた。


「分からないのかよ、翼! これ、全部ウソなんだって! 現実的に考えろよ! タイムスリップなんか、するわけないだろ!」



 すると次は、谷口社長が俺に言う。


「どうだった、栗岡? 俺が考えた生配信ドッキリ企画は? 題名は『許してクリ! 〜1995年・奇跡の出逢い〜』だ。自分で言うのも何だけど、我ながら面白い企画を考えたもんだよ。ほら、去年の忘年会で、お前が酔っぱらって、泣きながら死んだ母の話をしたじゃないか。そこで、今回のドッキリを思い付いたんだよ。お前、変な宗教にも入っていたしな。タイムスリップとかも、信じると思ってな」



 ぽかんと口を開けたまま、俺は谷口社長を見つめた。


「いやあ、大変だったんだぞ、栗岡。村の人達、全員に協力して貰ったり、スタッフや役者を集めたり、昔の家具や家電を揃えたりとな。あの神社だって、小さいとはいえ、造るのは大変だったんだぞ……。あぁ、そう言えばお前、隠しカメラを探してたな? 見つかるわけないだろ。今のカメラは、物凄く小さいんだぞ」



 さらに、谷口社長は続けた。


「野球の試合もな、事前に小栗に言ってあったんだよ。栗岡にタイムスリップ・ドッキリを仕掛ける事になったから、1995年の日本シリーズの特集を配信しろと。お前に、この試合の事を覚えて欲しくてよ。まあ、あとは健作、コウタの役者さんの演技が、実に上手かったよなあ」



 そう言って、谷口社長は、健作さん達を一瞥した。


 健作さんを演じた役者と、コウタ君を演じた子役が、照れ笑いを浮かべて「どうも」と、頭を下げた。




 代わって、今度は友也が言う。


「ところで翼、あの神社での爆発は、大丈夫だったか? あれ火薬の量を間違えたんだってさ。でも怪我もなく、撮影もストップしなくて良かったな。一応、雷が落ちてタイムスリップしたっていう、シナリオだったんだけど分かったか?」



 友也は俺の肩に手を置いて、話を続けた。


「でもさ翼、おかしいと思わなかったのか? 家の扉が、お前の頭に落ちてきたり、顔にクシャミされたり、寝ている時はオナラやイビキがうるさかったりしてさ……。だけどよ、あれ凄いウケたんだぞ。 生配信の時も、お前の苦しんでるシーンを、何度もリプレイしたんだぞ!」




 友也と谷口社長が、代わる代わるネタばらしをしてくるが、俺は呆然とするだけだった。



 そんな俺の背中を、ポンポンと叩いて、またもや谷口社長が一方的に喋ってきた。


「いやあ、それにしても、真由美が村にいる事を気付いてくれて良かったよ。いつまでも、お前が気付かないようなら、健作に真由美の話をしてもらおうかと、思ってたんだよ。……あとな」



 谷口社長は顔を近づけ、小声になって付け加えた。


「実を言うと、危ない時もあったんだぞ。お前、音楽プレーヤー持ってたな。あれ、ラジオの機能も付いてるだろう? もしラジオを聴いていたら、タイムスリップしてない事がバレるからな。あの時は、スタッフ全員が慌てたぞ。ぶははっ」




 ……。




 俺はショックのあまり、思考が停止していた。


 少しずつ、現実を受け入れていると、急に具合が悪くなった。



「おえっ……」


 吐き気がする。



「あっはっはっはっはっ!」


 そんな俺を見て、周りのスタッフ達が、腹を抱えて笑い出した。



「おえっ……おえっ!」


 涙目で苦しむ俺の顔を撮ろうと、何台ものカメラが近づいてきた。


 近づきすぎて、ゴツンと、俺の頭にレンズがぶつかる。


「いたっ!」と俺が言うと、また爆笑が巻き起こった。



 きっと今、現場だけではなく全国の人達も、この生配信を見ながら、腹を抱えて笑っている事だろう。




「うぷっ……!」


 ついに、胃液が出そうになる。



 熱く沸騰した、炭酸ジュースのようなものが込み上げた。


 俺は、部屋の奥にある窓へと向かった。



 素早く窓ガラスを開けると「おえぇぇ!」と吐いた。


 そんな時も、スタッフ達の笑い声が、背後から聴こえてくる。





 ああ……。


 めまいがする。



 苦しい。


 息が出来ない。



 まるで、ビニール袋で顔を包まれたように、呼吸困難になった。


 俺は気を失いそうになって、窓枠に両肘をついた。



 床が、グニャグニャしている。


 平衡感覚が保てない。


 少し、オシッコが漏れた。



 だが、気絶するわけにはいかない。


 俺は外の空気を、深く吸い込んでは、吐いた。


「スー……ハー……スー……ハー……」



 何度か繰り返していると、やっと呼吸が楽になった。


 吐き気も、落ち着いた。




 すると次は、無性に悔しい気持ちになった。


 どうしようもない、ドス黒い感情が湧き上がってきたのだ。



 それは、たちまち増大して、身体中に広がった。


 まるで毛穴という毛穴から、煙が出ている様な感覚だ。


 こんな身体の異変は、初めてだ。





 ああ……母に会えた奇跡の瞬間が、最低最悪、地獄に変わってしまった。



 これはもう、バラエティでは無い。


 イタズラでは、済まないのだ。



 許せない。


 許せない。


 とてもじゃないが、許せない。



 ふと部屋の隅に、畳用のホウキが置かれているのに気付いた。




 俺はフラフラと歩いて、竹で作られた1メートルほどのホウキを掴んで、持ち上げた。


 そんな時も、相変わらず谷口社長の陽気な声がした。



「どうした栗岡、掃除してくれるのか? お前のせいで部屋中、粉まみれだからなぁ」


 図に乗った谷口社長が嘲笑う。


 つられて、友也やスタッフ達も「あっはっはっ」と笑った。




 ……いい加減にしろよ。




 ガシャーン!


 俺は持っていたホウキで、窓ガラスを叩き割った。


 ガラスの破片が、部屋の中に飛び散る。



 一瞬にして、場の空気が凍りついた。


 あんなに笑っていた谷口社長や友也、出演者、スタッフ達が、しんと静まり返った。



 さらに俺は、絶句する人達に向かって、ホウキを振り上げて突進した。


「ふっざけんなぁぁ! くぉらぁぁぁぁ!!」




 スタッフ達が「うわぁ!」と悲鳴を上げ、蜘蛛の子散らしたように、逃げ出した。


 直後に、健作さんを演じていた役者が、人に押されて「ひゃあ!」と、落とし穴に落ちた。


 俺が見下ろすと、彼は身体中を粉まみれして、咳き込んでいる。



 ざまあみろ。


 だが、こんなもんじゃ済まさないぞ……!


 狭い階段を駆け下りて行く人達を、俺は容赦なく後ろから蹴りつけた。



「へぎゃぁぁぁぁ!」と、奇妙な声を出して、ドミノ倒しの様に人が落ちていく。


 俺は、山になった人の塊を踏み越えると、外へ逃げ出したスタッフ達を追いかけた。


 一人残らず、ぶっ飛ばさないと、気が済まないのだ。



 靴も履かずに、外へ飛び出すと、慌てふためく友也がいた。


 彼は両手を広げて、俺の前に立ちはだかった。


「お、おい翼! やめろって……」



 バシッ!


 俺は問答無用で、友也をホウキでぶっ叩いた。


「いでぇ!」と左腕を押さえて、地面に転がり回る友也。



 その友也の向こうに、女装したおじさんを見つけた。


 俺の母に扮していた、谷口社長だ。



 ……こいつだ!


 俺の心をもて遊んだ上、全国の笑い者にしたのは、こいつなんだ!



 絶対に、許せない!


 鋭く睨み付けると、谷口社長は「ひっ!」と、しゃっくりのような悲鳴を出して、逃げだした。


 俺は谷口社長を、追いかけた。



 逃げ切れないと、悟ったのだろう。


 二十メートルほど駆けたところで、谷口社長は振り返り、こちらに身体を向けた。



「お、おい栗岡! やめろっ! 落ち着けよ!」


 谷口社長は、両手を前にかざして、後ずさりを始めた。



「うるせぇぇ!」


 もはや、自分自身を止められなかった。


 とうとう、農道の上に尻餅をついて、狼狽する谷口社長。



 俺は敵意むき出しの顔で、ホウキを振り上げた。


 まさに、その時だった。




——翼っ! やめてっ!




 背後で、女性の声がした。


 どこかで聴いたような、懐かしい声だった。


 その瞬間、不思議な事に、俺の身体は石のように硬くなった。



 ホウキを振り上げた格好のまま、首だけを動かし、声の主を確認してみる。


 そこには、黒いロングコートを風に揺らせる四十代、後半くらいの女性が立っていた。


 さっきの声は、この人だ。



 女性は強張った顔で、ゆっくりと俺の方へと近づいてくる。


 そして、よく通る声で話しかけてきた。


「翼よね……? 大きくなったわね……」



 俺は、この人が誰なのか直感的に分かった。


 だが、すぐに首を横に振った。




 ……そんな訳ない。


 ……そんな事は、絶対にあり得ない。




「あ……あんた、誰だよ」


 痰が絡んだような、変な声が出た。



 女性は瞬きをして、少し首を傾けた。


「私が誰だか、分からない?」



「も……」


 もしかして……と言いそうになったが、寸前で飲み込んだ。


「……し、知らねえよ、誰だよっ!」


 自分でも予期しない、意地を張った声が出た。



 女性は、少し驚いた顔をした後、悲しそうに目を細めた。


「……栗岡真由美。あなたの母よ」


 カタンと、持っていたホウキが地面に滑り落ちた。



 俺の様子を、尻餅をついたまま、見上げる谷口社長。


 スタッフや共演者達、また友也も、遠巻きに事の成り行きを見守っているようだ。



 視線を女性に戻すと、俺は苦笑いを浮かべた。


「いや、いやいや……母なわけないだろ? あんた、何言ってんの?」



 女性は、胸の前で両手を組むと、一つ深い息を吐いた。


 おそらく、女性も緊張していたのだろう。


 息を吸い込むと、女性の背筋がピンとした。



「昨日、あなたが生配信の動画に出ているのを見たのよ。ネットニュースで話題になっていたから。最初は、同姓同名だったから気になって、興味本位でのぞいてみたの。……本当にビックリしたわ。信じられなかった。でも間違いなく、翼だと分かってからは、居ても立っても居られなくなって、深夜バスで、ここへ来たの」



 俺は、口を半開きにしたまま、女性の話に耳を傾けた。


 女性は、一呼吸おいて続けた。



「あなたは、私が死んだという話を、聞かさせていたんでしょう? あれは違うの。あなたが二歳の時、経済的に苦しくて仕方なく、あなたを一時的に児童養護施設に預けたの。ちゃんとした食事も取れるからと思って。父親もいたのよ。でも離婚した後、彼は消息を絶ったわ……」



 女性は、少し言葉に詰まりながら、やや苦しそうな顔をした。


 当時の事を、思い出したのだろうか。



 やがて、真の強そうな目を俺に向けた。


「……信じて。私は必ず、迎えに行こうと思ってたのよ。でもその後、付き合った男は、本当に最低な人だったわ。何度も、犯罪に加担させられたの。結局、私は刑務所に入る事になったの。そうこうしているうちに、あなたはもう小学校、高学年。今さら、会えるわけない……合わせる顔なんて、ない……」



 女性が、声を震わせた。


 目は赤くなっている。


 その奥に、光るものが見えた。



「……後で知ったんだけど」


 黙っていると、女性は話を続けた。



「その最低男が、私が死んだという事にしておいてくれって、児童養護施設の施設長に頼んでいたらしいの。私が、あなたを引き取りたいって話をしたから、あの男はそうしたのよ。もしかしたら、お金を渡して頼んだかもしれないわね。あの男は、平気でそういう事が出来る人だったから……」



 女性は、落胆するように俯いた。


 同時に、ポロリと涙が落ちた。



 その涙を見て、俺は逃げるように視線を外した。


 すると、相変わらず谷口社長や、スタッフ達の静観している姿が目に入った。


 遠くで、カメラを向けている人もいる。


 もしかしたら、今もこの状況を、生配信しているのかもしれない。





 俺は戸惑いの目を、女性に戻した。


 しばらく無言が続くと、とうとう俺は、沈黙に耐えられなくなり吹き出した。



「……はっ、はははっ。なんだよ、それ。次から次にベラベラと。どうせまた、これもドッキリなんだろ? あんた、役者だろ? もういいって、いい加減にしろって!」


「嘘じゃないわ、これを見て」


 女性は、素早くショルダーバッグから一枚の写真を取り出し、俺の目の前へと差し出した。



 一人の女性が、小さな子供を抱いて立っている、古い写真だった。


 この女性と子供が、俺とこの人なのだろうか。


 しかし、まるで他人を見ている様で、ピンとこない。



 俺は視線を、親子の背後に移した。


 その時、ハッとした。



 写真の背景に、教会が見える。


 屋根には、十字架が立っているのだ。


「……十字架? ……教会?」




 女性が、目を大きくした。


「覚えてるの? 教会を! 私、毎週日曜日に、あなたを抱いて、ここへ行ってたのよ!」




 ……そうだ。


 俺は女性が出てくる夢を、子供の頃から度々見ていた。


 昨日だって、気絶した時に見た。


 夢の中では必ず、女性の後ろに、十字架が見えた。



 子供心に、覚えていたのかもしれない。


 そう言えば、十字架の事は、谷口社長に話していないはずだ。


 だとしたら、これはドッキリではない。





 ……だが、……しかし。


 俺は小刻みに、顔を左右に振った。



 そして、またもや意地っ張りな声を出してしまった。


「う、うるさい! そんな写真まで、用意して! 何だよ! 俺が、お母さ~んって、泣いて抱きつくとでも、思ったのかよ! もう、いい加減にしろよ!」



 俺は苛立ちながら、ホウキを拾い上げた。


「……たとえ、あんたが本物の母親だったとしても、もうこんな状況で、素直になれるわけないだろ! ふ、ふざけんなよ、ババア!」


 女性は、俺の剣幕に一瞬、怯えの表情を見せた。



 俺は、さらに凄んでみせた。


「俺は全員を、ぶっ飛ばさないと、気が済まないんだよ! もう、ほっといてくれよっ!」



 そう言い放つと、振り返り、谷口社長を見下ろした。


「ひぃっ!」とまた、しゃっくりのような悲鳴を上げ、恐怖する谷口社長。



 再び、ホウキを振り上げた時だった。


「翼!」と叫んだ女性が、俺の背中に抱きついてきた。




 ……えっ?




 ……あれ?




 ……なんだこれ?




 知ってるぞ、この感じ。


 この柔らかな香りと、包容感。



 砂時計の砂が静かに落ちるように、スーッと、力が抜けていく。


 あぁ、もう立っていられない。



 脱力した俺は、ゆっくりと、その場に膝をついた。


 母もまた、俺を後ろから抱きしめたまま、農道の上に膝をついた。



「……うっ……ううっ……」


 いつの間にか俺は、ホウキを捨てて唸っていた。



「うう……うおおぉ……が……か……」


 苦悶の表情で、空を見上げた。



 もう限界だった。


 必死に強がっていた心が、遂に崩れてしまったのだ。






「か……か……母ざぁぁぁぁん……あいだがったよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ———————」






 俺は空に向かって、声にならない声で叫んだ。


 同時に、大粒の涙が、止めどなく溢れ出した。



 背後から、母の声がする。


「翼、ごめんね……ごめんね……ごめんね……」



 背中が、生温かい。


 母が、俺の背中に顔を埋めて、泣いているからだろう。



 その温もりは、俺の身体の隅々へと、広がっていく。


 まるで枯れた大地に、恵みの雨が、降り注いでいるようだった。


 心に、鮮やかな虹が広がっていく。




 俺は鼻をすすりながら、きつく目を閉じた。


「か……母ざぁん……母ざ……あぁぁぁ……あうっ……うっ……ううううっ……」



 後ろから抱きしめてくる母の手を、俺はいつまでも、握りしめていた。






 ◇ ◇ ◇






 あれから、一週間が過ぎた。



 俺と友也は、似合わないスーツを着て、ソワソワしていた。


 そこは、某テレビ局のスタジオ裏。


 実は急遽、昼の生放送番組に、出演する事になった。



 あの生配信ドッキリ企画『許してクリ! 〜1995年・奇跡の出逢い~』が、感動のラストになった事で、SNSで話題沸騰、一躍時の人となったからだ。


 ついこの間まで、ろくに仕事も無かった俺達だが、今や分刻みで予定を入れられるほどになっていた。


 そして今日は、念願のテレビ出演が決まったのだ。




 さて、ステージの裏に身を隠す俺と友也は、スタジオの様子を覗いてみた。


 何台ものテレビカメラ、マイクや照明などの機材を持ったスタッフ達が見えた。



 観覧席に目を移すと、沢山の人が座っていた。


 百人以上はいるだろう。


 ほとんどが、女性だった。





 番組も、後半に差しかかった頃。


 先日の、生配信ドッキリ企画の特集が始まった。


 スタジオの中央スクリーンに、その時の映像が映し出される。


 お茶の間のテレビでも、今この映像が、流れている事だろう。



 

「緊張してるんですか? 大丈夫ですよ、番組司会者が、ちゃんとフォローしてくれますから」


 そう言ってくれたのは、側にいるマネージャーだ。


 俺達には、三日前から経験豊富な男性マネージャーが、付くようになったのだ。



 ほどなくして、しゃがんでいるスタッフが、小声で話しかけてくる。


「もうすぐ出番です。呼ばれたら、出て下さいね」


 俺達は「はい」と、返事をした。




 ついに、サングラスをした番組司会者が、俺達を呼び入れる前振りを始めた。


「さあ、皆さん。いいですか? 実は今、この生配信ドッキリに出ていた芸人さん達が、来てますよ!」


 観覧席から「ええっ~」と、過剰に期待する声が聞こえた。




 ……いよいよだ。


 俺はゴクリと、生唾を飲み込んだ。



「では……登場してもらいましょう! マロンマロンのお二人、どうぞぉぉ!」


 俺達は、大きな拍手と歓声の中、早足にステージ中央へと向かった。



 友也と並んで立つと、一瞬、顔が引きつってしまった。


 沢山の観覧者と、何台ものカメラを目の当たりにして、怖気付いてしまったのだ。



 そんな俺を安心させるためか、司会者が俺の背中をさすった。


「いやあ、一気に人気が出たねぇ、君達! では改めて、自己紹介してもらおうかな」


 俺は頷くと、カメラに笑顔を向けた。



「コンビで、お笑いやってます! マロンマロンの栗岡翼です!」


 続いて友也も「小栗友也です!」と、名乗る。




 ふと司会者が、顔を近づけてきた。


「それにしても凄いねえ、あの生配信ドッキリ企画。最後は視聴者の数が、二十万人を超えたらしいよ」


 俺は「はい、見て頂いた方、本当にありがとうございました!」と、笑顔でカメラに一礼する。



「私も、見てましたよ!」


 後方のゲスト席に座っていた女性アイドルが、突然、感極まったような声を出した。



「あの生配信、ずっと見てました! もう、すっごい泣いちゃいました!」


 俺は、少し照れた顔で「どうも」と頭を下げた。




 続いて、女性アイドルの隣に座る、七十代の大物女優が、前のめりになり話しかけてきた。


「ねぇ、あなた、最後にお母さんが現れたでしょう? あれって、ご本人なの? 台本にある演出じゃなくて、本当に、本物のお母さんが、あそこに来たの?」



 俺は苦笑いをして、首を振った。


「台本なんて無いですよぉ! 僕も最初、またドッキリかと思ったんですけど、あれは本当に偶然、生配信を見ていた母が、あの場所に来てくれたんです! そもそも僕は、母は亡くなってたと聞いていたんで、ビックリしましたよぉ!」



 友也も、俺と同じ意見だった。


「翼の言うとおりですよ。あのドッキリは、翼が落とし穴に落ちたところで、終わりだったんですから。僕ら仕掛ける側も、あの時は凄い展開になってきたなぁ、と驚いてましたよ!」




 大物女優は、意味ありげな笑みで頷くと、再び口を開いた。


「それじゃあ、本当に奇跡の出逢いね。翼君、あなた大変だったけど、お母さんに会えたんだから、このドッキリがあって良かったわねぇ」


「ええ……そうですね」と、俺は苦笑いのまま頷いた。




 ひとしきり、ゲストと絡んだ後、司会者が友也に話しかけた。


「そういえばさあ、友也君だっけ? 翼君にホウキで、思いっきり叩かれてたけど、大丈夫だった?」


 ここで観覧席の人達が、一斉に笑った。



 友也は思い出したように、腕をさすった。


「大丈夫じゃなかったですよ。こいつ、手加減なしですから。腕が折れたかと思いましたよ!」



 友也が、大袈裟に痛がる体勢を取ったので、俺は反論した。


「でもあれは、友也も悪いんだからな! 死んだとされていた俺の母親を使って、あんなドッキリ、ありえないから! 人の心を、弄びすぎだろ!」


「だからって、あんな頑丈なホウキを、振り回すか? 怒るにしても、とりあえず撮影が終わってからにしろよ!」



 俺達が、険悪な雰囲気になると、司会者が割って入ってきた。


「ちょっと、ちょっと、これ生放送だからねっ」



「いや、生放送とか関係ないですよ! とにかく謝れよ、翼!」


 友也が、俺の胸ぐらを掴んできた。




 仕方がない。


 俺は友也の手を払うのけると、自分の着ているジャケットの内ポケットに手を入れた。



「……おい、何を出すつもりだ!」


 友也が、一瞬にして怯んだ。


 俺は、内ポケットに隠してある、硬く冷たい物を握りしめた。



 そして、ジリジリと友也に迫る。


「お、おい、何だよ! まさか……ナイフか?」


 友也は上ずった声を出して、一歩後退した。


 怖気付いているのが、見て取れる。



 さあ、立場は一変したのだ。


 俺は威圧的に友也に近づくと、満を持して内ポケットから、それを取り出した。




 ……栗だ。




「許してクリ!」


「クリじゃねえよ、いらねえよっ!」


 甘えた声で栗を差し出したが、手で払われてしまった。



 その瞬間、スタジオ中が、どっと大きな笑い声に包まれた。


 皆が俺のギャグを、認知していたのだ。




 ……よかった。


 実は、番組の打ち合わせ時、このギャグをやるように言われていた。


 もしもウケなかったから、どうしよう……と不安だったが、思い過ごしのようだった。




 俺は、鳴り止まない拍手と歓声に、つい顔がほころんだ。


 笑顔で栗をアピールしながら、観覧席の人達を見渡す。



 すると、観覧席の一番奥に、黒いロングコートを着た女性が見えた。


 彼女は、微笑んでいた。



 それは幼い頃から、いつも夢で見ていた、あの優しい笑顔だった。







おわり



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許してクリ! 岡本圭地 @okamoto2023kkk

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