第4話 … 奇跡の出逢い



 風呂から出た俺は、健作さんが用意してくれた布団に入った。


 だが、潜り込んだ瞬間、くしゃみが出た。



 よく見ると、布団はシミだらけで埃臭い。


 納屋にでも、放置していたのだろうか。


 俺は、思わず顔を歪めた。



 だが健作さんは、そんな俺に目もくれず、さっさと寝室の電気を消そうと手を伸ばす。


「じゃあ、おやすみな。にぃちゃん」


「あ、ちょっと健作さん、この布団……」



 パチリ。



 全く、聞く耳を持たない健作さん。


 早々と電気の紐を、引っ張った。


 本当に、健作さんはマイペースな人だ。





 ……大丈夫かな?


 こんな布団で寝てしまったら、二度と目覚める事が出来ないのでは?


 戸惑う俺の耳に、早々と寝息が聴こえてくる。


 健作さんは、もう眠りに落ちたようだ。



 仕方がない。


 俺は側にあったタオルで、鼻と口を押さえながら、布団に入った。


 暖房機が何もなく、寒いからだ。


 こんな、粗大ゴミ置き場に捨ててあるような布団でも、無いよりかはマシだろう。



 そんな事を思っていると、突然、不愉快な音がした。



 ブゥッ。



 隣で寝ている、健作さんのオナラだ。


 芋を沢山、食べたからだろう。



 ブゥッ。


 ……まただ。


 ブゥッ。


 ……またかよ。


 ブゥッ。


 ……しつこいぞ。



 オナラをする度に、俺は布団を頭から被った。


 しかし、健作さんはオナラだけでなく、イビキも酷かった。



 グォォォォン……グォォォォン!


 まるで地響きだ。


 家の真下を、地下鉄の電車が走っているのでは? と、疑うほどの轟音だ。



 テーブルの上にある置き時計が、振動でタカタカと揺れた。


 時折、寝言や歯ぎしりまで聴こえてきた。


 その上、寝相も悪く、短い足で蹴ってくる。



 とてもじゃないが、こんな人の隣では寝れない。


 俺は起き上ると、健作さんを、ひと睨みして部屋を出た。



 しかし、家の中を勝手に歩くのは気がひける。


 泥棒と思われても困るし。


 仕方がなく、俺は外へと出た。






 サワサワと、草木を揺らす風を受けながら、健作さんが使っているであろうトラックの側に座った。


 背後からは、リーリーコロコロと、コウロギの音が聴こえた。



 しばらくして、夜の闇に目が慣れてきた。


 おや? 辺りが妙に明るい。



 夜空を見上げると、満月が浮かんでいた。


 その満月を、ぼんやりと眺めてみる。





 ……ああ、どうしよう。


 もし2023年に戻れなかったら、この時代で生きていく事になる。


 そうなると、もう友也には会えないだろう。


 マロンマロンも、自然消滅だ。




 ……でも……まあいいか。


 これだけ芸人として活動しても、全く売れなかったのだ。


 きっと俺達には、才能が無かったんだ。



 すっかり落胆した俺は、無意味に石を拾っては、力なく放り投げる。


 向こうの世界では、俺が突然いなくなって、どうなったんだろう?



 ……まあ、俺一人が消えたところで、さほど困る人もいないだろう。


 なぜなら、俺には親友と呼べるほどの友達もいないし、彼女もいない。


 おまけに、家族もいない。



 ……ん? 待てよ。


 家族?


 ふと、ある人物が頭に浮かんだ。



 俺は、1995年の10月30日に、この東岩佐村で生まれたはずだ。


 そして、この世界では、今日は1995年の10月26日……。



 ——ドクン。



 鼓動が一気に跳ね上がる。


 俺は心の底から、撃ち震えた。



 

 ……今、この村に……母がいる?






 ◇ ◇ ◇






 朝がやってくる。


 結局、一睡も出来なかった俺は、居間に座ったまま、健作さんが起きてくるのを静かに待った。



「ふあぁ……」


 健作さんが、大きな欠伸をしながら居間に入ってくる。



「にぃちゃん、もう起きてたのか」


 俺は深呼吸をして、健作さんを真っ直ぐに見つめた。


 そして、母の事を尋ねてみた。



「健作さん、この村に『栗岡真由美さん』って方、います?」


 俺が母の名前を口にすると、健作さんが驚いた顔をした。


「……なんで、真由美ちゃんを知っとるんだ?」



 その時、俺は背中から首筋にかけて、ゾワっと鳥肌が立った。


 やはり……知っていた。





 健作さんの話によると、俺の母である栗岡真由美は隣町で働いていたが、お腹に子が出来て、この村に帰って来ているとの事。


 今は、平井辰子さんという、産婆の家にいるらしい。


 やけに詳しいなと思ったが、こんな小さな村だ。


 きっと、そういった噂話は、すぐに広まるのだろうと想像した。



「その平井辰子さんの家は、どこですか?」


 俺は、健作さんに問い掛けた。


「ん? 案内してやろうか?」



「いいんですか? ありがとうございます! 是非、お願いします!」


 思った以上に、話は早かった。


 これは本当に、母に会えそうだ。



「でも、なんで真由美ちゃんに会いたいんだ? にぃちゃんと、どんな関係があるんだ?」


 もっともな意見だ。



 健作さんは腕を組むと、訝しげな目で、俺を見てくる。


「あ、いえ、ちょっと、知り合いかも知れないので……」


 俺は、栗岡真由美が母である事を伏せた。



 ここで母だと言ってしまうと、話がややこしくなるからだ。


 健作さんを含め、母や村の人、みんなが困惑するだろう。



 だが健作さんは、俺の心配をよそに、台所へと向かい能天気な声を出した。


「まあ、その前にメシだな、メシ!」


 俺は、はやる気持ちを抑えて、朝食を頂く事にした。



 すると、階段からドスドスと足音がした。


 コウタ君が、起きてきたのだ。





 俺とコウタ君の朝食は、共に白米に目玉焼きとサラダだった。


 育ち盛りのコウタ君は、もりもり食べているが、俺は全く食欲が無かった。



 これから、母に会うのだ。


 食事どころではない。


 それでも残すわけにはいかないので、無理やり口に詰め込むと、お茶で一気に流し込んだ。



 健作さんはというと、相変わらず一心不乱に焼き芋を食べている。


 本当に芋が好きなんだな、と俺は少し呆れた。



 さて、食事が終わり庭に出ると、コウタ君はヘルメットをかぶり自転車にまたがった。


 これから、隣町の小学校まで行くそうだ。



 山道を自転車で登校とは、なんと逞しい子供だろうか。


 コウタ君を見送ると、健作さんはトラックに乗り込んだ。


 ブルルン! と、荒々しくエンジンが唸りを上げる。



 健作さんが、窓を開けた。


「おい、にぃちゃん。早く乗りなよ」


 俺は「どうも」と頭を下げて、白いホコリが舞う助手席へと座った。





 朝の農道は、清々しかった。


 眩しい朝の光も、母との出逢いを祝福しているように見えた。



「……しかし、真由美ちゃんが、もう母親になるとはなぁ」


 ギアチェンジをしながら、健作さんが言った。



 母は、どんな人だったのだろう?


 母の事を、あれこれ訊くと変に思うだろうか?


 それでも訊きたかった俺は、景色を見ながら、さり気なく尋ねた。



「ちなみに、栗岡真由美さんって、子供の頃はどんな感じでした?」


「うーん、おとなしい子だったな。よく隣町の図書館まで行って、沢山の本を借りてきてたよ。小難しそうな、外国の小説とかな……」


 俺は「へぇ……」と、興味なさそうに答えながらも、固唾を飲んで健作さんの話に耳を傾けた。


 同時に、本を読んでいる母の姿を想像してみた。




「あの子なぁ、中学生の頃だったかな。可哀想に、両親が交通事故で死んじまったんだよな。それからは、辰子さんが親代わりになって、面倒を見てたんだよ」



 なんと……。


 母親に身寄りがない事は、児童養護施設の施設長から聞いていた。



 だが、母親の両親が交通事故で亡くなったとは初耳だ。


 俺は胸が締め付けられ、思わず目を閉じた。


 突然、両親が亡くなるとは、さぞ辛かった事だろう。


 俺は母の悲しみを思うと、いたたまれない気持ちになった。



「……あれが、辰子さんの家だ」


 健作さんの声に、俺は目を開けた。


 健作さんは運転しながら、顎をクイッと突き出して、場所を示してきた。



 その家は、健作さんの家に似ていた。


 古い、木造二階建て。


 俺は何も言わず、トラックの座席から、辰子さんの家をジッと見つめた。



 車が停まり、健作さんがエンジンを切ると、再び胸が騒めき出した。


 言い知れぬ不安と、期待が込み上げてくる。


 俺は深い吐息を吐いた。


 そして、平常心を装いながら車を降りた。




 小石が敷き詰められた玄関前。


 ジャリジャリとした音の中、健作さんが言う。


「この村の人はな、ほとんどが辰子さんに取り出されたんだよ。俺も、コウタもそうだ」


 取り出された?


 あぁ、辰子さんは産婆をしてたんだっけ。



 それにしても、健作さんの出産の時に産婆をしていたとなると……辰子さんという方は、かなり高齢の方だろう。


 するとガラッと玄関の扉が開き、中から腰を曲げたお婆さんが出て来た。



 きっとこの人が辰子さんだろう。


 俺の想像通りだ。



「おやおや。車の音がしたから、誰じゃろうと思ったら、健作君じゃないかね。こんな朝早くから何じゃね?」


「お、辰子さん、おはよう。真由美ちゃんいる?」


「真由美か? いるぞ」


 ……いる。


 その言葉を聞いた瞬間、鼓動が早くなった。




 ふいに健作さんが、気安く俺の肩に手を乗せてきた。


「このにぃちゃんが、真由美ちゃんに会いたがってるんだよ。知り合いかもしれないとか言ってさ」


 健作さんが言うと、辰子さんは俺の顔を凝視し始めた。


 眉間のシワが、より一層深くなった。



「見た事ない顔だねえ。まあ、会ってみなさいな」


 辰子さんがシミの多い手で、手招きをする。


 俺は導かれるまま、家の中へと入った。



 靴を脱ぎ、ミシミシと廊下を歩いていると、畳の匂いと線香の香りがした。


 辰子さんは狭い階段を登り始めた。


 母は二階にいるのか。


 一歩一歩と登るごとに、俺の膝はガクガクと震え出した。




 もうすぐ母に会える……。


 これは奇跡だ。


 奇跡の出逢いとしか言いようがない……。




 ——思い返せば、俺は長年、母の事を憎んできた。


 父親も分からない、身寄りもいない。


 産んだ自分もいなくなり、俺を一人きりにした無責任な母親だと。



 しかし憎悪を膨らます一方で、母に対しての申し訳なさ、懺悔の気持ちもあった。


 俺が生まれた事で、母は亡くなった。



 自分の命と引き換えに、俺は産まれたのだ。


 そのやり切れない気持ちに苦しんだ時期もあった。


 救いを求めて、怪しげな信仰宗教に入った事もある。


 しかし結局は開運グッズと称した、汚い石や壺を買わされただけだった。



 そして二十歳を過ぎた頃、俺に心境の変化が訪れた。


 それは母に対して、感謝の念を抱くようになったのだ。



 母が産んでくれたから、今こうして大好きなお笑いをやれている。


 気の合う相方、友也とステージで漫才が出来る。



 それは、感謝しなければならない。


 そして、これからは母の分も生きて、幸せになるんだ。



 いや、ならなければならない。


 それが、せめてもの親孝行、恩返しだと思った。



 ああ……。


 一度でいい。


 ほんの一瞬でいい。



 母に会って「ごめんね」と「ありがとう」を伝えたい。


 どうしても、伝えたい。



 ふと手の甲に、何かが落ちた。


 何だろうと思い、確かめると、それは自分の涙だった。


 俺は気付かないうちに、ボロボロと涙を流していたのだ。



 階段を登りきると、左右に襖があった。


 辰子さんは右の襖へと、身体を向ける。


「真由美、入るぞい」と辰子さんが言い、ガラッと襖を開けた。



 ……ドクン、ドクン、ドクン。


 鼓動が加速する。



 唾を飲み込もうとしたが、喉がカラカラになっていた。


 仕方なく、何度も唇を舐めた。



 やがて、その唇を真一文字に結んで、俺は意を決した。


 母がいるであろう、薄暗い部屋の中へと、足を踏み入れる。




 奥に、布団が敷いてあるだけの部屋だ。


 布団には、人一人分の膨らみがあった。



 それは生き物のように、モソモソと動き出し、長い黒髪の女性がゆっくりと半身を起こした。


 だが、顔はよく見えない。


 というのも、彼女の真後ろには小窓があり、朝の光が射し込んでいるからだ。




 後光に照らされた、神々しいシルエット。


 目を細め近づくと、おぼろげだった顔の輪郭が、徐々に見え始めた。



 長くツヤのある黒髪は、目元を隠している。


 うつむき加減の女性は、少し微笑んでいるようにも見えた。




 ここで俺は、彼女の大きなお腹に目が行った。


 今、このお腹の中にいるのは……俺だ。


 ああ……言葉が、出てこない。



 代わりに、涙が出てくる。


 唇の震えが、おさまらない。


 前歯で噛んで止めようとしても、一向に止まらない。



 今、時を越えた、奇跡の出逢いが実現したのだ。


 膝をつき、そっと震える手を伸ばした。



 母の肩に、少しだけ指が触れた……。


 その時だった。


 白くて大きな物が、視界を覆った。





 パーーーーン!



 


 目が覚めるような、大きな音。


 それと同時に、脳天に電気が走った。



 ……?



 何が起きたんだ?


 俺は頭を押さえながら、母を見た。



 なんと、母が巨大ハリセンを持っている。


 これで俺の頭を、ぶっ叩いたのか? 



 なぜ?


 どうして? 



 俺は母を見つめ、固まった。


 すると、身の毛もよだつほどの恐怖が、身体を襲った。



 突然、俺の体重を支えていた床が抜けたのだ。


「うわあぁぁぁぁっ!」


 俺は情けない悲鳴を上げて、一階へと落下した。



 ドスン!



 ……?


 視界が真っ白だ。


 ん? 自分の身体も真っ白だ。


 これは粉? 大量の白い粉だ。


 なんだこれ、小麦粉か?



 どういう状況なんだ?


 わけが分からない……。



「あっはっはっはっはっはっ!」


 一斉に、笑い声がした。


 落ちた場所から見上げると、健作さんや辰子さん、そして学校に行っているはずのコウタ君までが、顔を出して笑っている。



 カメラを持った男も、何人か見えた。


 ……どういう事だ?


 訳が分からず固まっていると、上からハシゴが用意された。



 すぐに、体格の良い男が降りてくる。


 どこかで見た顔だ。


 そうだ、確か機材を運んでいたスタッフのうちの一人だ。



 彼は俺の腕を掴むと、力任せに引っ張った。


 その時、俺はある結論に達した。



 ……落とし穴だ。


 これは、落とし穴なんだ。


 だから粉が用意されていたんだ。




 ハシゴの上まで、グイグイと引っ張り上げられると、四つん這いになって周りを見回した。


 沢山の人達が、粉まみれの俺を取り囲み、手を叩いて笑っている。



 その中の一人、母である真由美が俺に近づいてきた。


 彼女は自分のお腹から、風船を取り出した。


 なんと、あの大きなお腹は偽物だったのだ。



「はい、ざんねーん! あんたの母ではありませーん! 許してクリ! ってか! ぶははははっ!」



 聞き覚えのある、しゃがれた大きな声。


 カツラを取った彼女の正体は、なんと谷口社長だった。


 今回の企画を電話で知らせてくれた、あの谷口篤夫だったのだ。



 愕然とする俺の顔に、これでもかと、何台ものカメラが近づいてくる。


 何一つ言葉が出せないでいると、それがまた面白かったのだろう。


 仕掛け人である健作さんやコウタ君、最初にいた芸人達、皆が俺を指差して笑っている。






つづく……


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