〇視眼鏡

メイルストロム

ねがめがね。


「少年───っ!?」


 買い出しの帰り道に学生服の少年──出雲郷あだかえ おうぎを見かけたので声をかけたのだが……こちらに全く気づいていなかったのか、短い悲鳴と共に足を絡ませて転倒してしまったのである。

「──……いやぁ、悪かったね」

「お姉さんは悪くないよ。僕が勝手に驚いただけだし」

 口ではそういうものの、本心が別の場所にある事は誰の目にも明らかだった。その証拠に手当をしている間中、少年はずっと口を尖らせていたのだから。

「それにしても少年。君は何故あんなにも驚いていたのかな?」

「お姉さんには関係ないでしょ……」

「今は私が貴方の保護者ですし、知る権利はあるかと」

 ──川の氾濫によるC区壊滅から半年。私は少年を養子として引取り育てている。

 少年にとっては不幸極まりない話ではあるが、彼の親族はあの災害により全員亡くなった────と言うことになっている。尤も、巫陀羅カンナギダラが関わっている以上は出雲郷一族滅亡の真相が明るみに出る事はない。少年も数多いる被災孤児の一人として、普通に過ごして行くことだろう。


「ねぇ少年〜教えて下さいよぉ」

「ちょっ、と──やめ、て」

 暫く待ってみたが答えはなく、膨れっ面のまま黙っているのでその頬を指先で突いてみる。反応は案の定、といったところで答えらしい答えは得られなかった。

「教えてくれたら止めますよー? ほれほれ」

 と伝えたのだが……余程言いたくないのか、幾ら頬を突っつき回しても口を割ることはなかったのである。ちなみにほっぺたを抓ったりしてみても反応は変わらず、不機嫌その1で表情は固定されたままであった。



 流石にこれ以上続けた所で進展は無さそうなので、一言詫びを入れてから帰路へつく。その道中に何度か、少年の歩みが明らかに遅くなったのは気になりますが──目立った異変もなければ、変質者の影も見当たらなかったのです。少年も何かを見たりしている訳ではないらしく、と言うよりはずっと下を見て耐えているような感覚でした。


「少年、少し話があります」

 夕飯後。見たい番組が無かったのか、早めに自室へと向かう彼に釘を刺すと素直に従ってくれた。返事こそありませんでしたが……まぁ、それは大した問題ではありません。

「────最近、帰りが遅い事がありましたね。それはに関係のあることなのでしょうか?」

 無言。首を縦に振るでもなく、横に振るわけでもない。俯いたままの姿勢でただ静かに座っていた。どうやら話だけは聞いてくれるらしい。

「今日の帰り道、君は特定の場所で酷く怯えているようでした」

 ビクリ、と少年の肩が小さく跳ねる。「私が見逃すと思いましたか?」と続けると少年は小さく頭を縦に振りました。見くびられたものだとは思いますが、年頃の少年からすればそれが普通なのでしょう。長年、家族ぐるみの付き合いをしていたわけでもありませんし……少年からすれば私は街の書店の不思議なお姉さんでしかなかったのですから。けれど今は私が少年の保護者なのです。彼が口を割るまで諦める訳にはいきません。

「答えてください、少年」

 沈黙。なんの反応もありません。

「……君の身に何かあってからでは遅いのです。私は保護者としてではなく、一人の人間として貴方を心配しているから聞いているのですよ?」

「…………ない」

 消え入るような声でポツリ、と返事がありました。なにがのかと聞けば「信じてもらえるわけがない」と、涙混じりの声で教えてくれたのです。話してくれなければ、信じるも信じないもないと伝えると──ぽつり、ぽつりと断片的に少年は語り始めました。


 ──曰く、その姿を見たのはたった一度だけ。

 こちらでの生活に慣れた頃、見慣れぬ意匠の面を着けた巫女が後ろを着いてきたのだという。結われた銀灰の髪は音もなく揺れ、地面を擦る草履の音すらなく無言のまま着いてきた。身長も私並みにあったらしく、そのせいで今日は驚いてしまったのだとか。

 話を戻すが、少年はそういうものに疎い。けれど少年は件の巫女がだと直感的に理解出来てしまったと言うのだ。そしてその日を境に少年はが視えるようになってしまったらしく、恐ろしい思いをしているとの事であった。

「……どうして早くに相談してくれなかったのですか」

「なんでって、普通こんなの信じないで────」

「────信じますよ」と、声をかけた瞬間に少年の顔は跳ね上がった。その顔にといった言葉を貼り付けたまま、暫く私のことを見つめ続けて「……なぜ?」という言葉を漏らす。

「私もそういうモノを視た事がありますからね。そして──そういうモノを視る道具も在るのです」

 机の上に差し出したのは年季の入った眼鏡。真鍮製のフレームには所々に青錆がついているし、レンズも少しばかり曇っている。

「眼鏡……?」

 訝しむような表情の少年へ、件の眼鏡をかけてやると──うわっ! という悲鳴にも似た声を上げて椅子から転げ落ちてしまった。その後の反応は概ね予想通りで、手足をバタつかせ何かを払おうと必死になっている。

「……少年、眼鏡を外してしまいなさいな」

 そう、声をかけたが半狂乱状態の少年に届くはずも無く。暴れる彼を抱きとめてから眼鏡を外すと思いっきり睨まれてしまった。申し訳ないと思いつつも、ほんの少しゾクゾクしたのは内緒である。


「──それで、少年。私が君の言い分を信じる理由は理解してもらえたかな?」

「うん……けどこういうのはもう止めてよね」

「勿論、今後は気をつけるとも」

 確約しないあたり、私も随分と人間臭くなってしまったらしい。まさか少年の怯え顔や睨み顔にすら胸が高鳴るようになっていたとは思いもよらなかった。恐らく特殊性癖という分類に当てはまるのだろうが……思いの他悪くないと感じる自分がいます。

「ねぇ、お姉さん。視えるものがあるってことは──」

「──そういうのはありませんよ?」

 私の言葉に少年はどうして? とでも言いたげな顔で見つめてくる。

 大方その手のモノを祓う道具を期待していたのだろうけれど、そんなものは渡せない。

 祓うというのはある種の戦闘行為ともとれる為、濫りに行うものでは無いと先代から厳命されているのだ。そして私達のような観測機は魂に対して深い知識があり、その輪郭を掴むことすら容易なので祓うこと自体は簡単なのだが……周辺への影響がそれなりに出てしまうのが難点である。その上、あまり出過ぎた真似をすると私達の親が黙っていない────気がするので気乗りしない部分もあるのだ。


「そもそも、少年が見たのはたったの一度きりなんですよね?」

「うん。だけどアレを視てから、変なのが沢山視えるようになったんだよ」

「それはあくまでも原因に過ぎません。仮に呪われたりしたのであれば、その程度で済むわけがありませんし」

 と、強く言い切ると少年は不服そうな顔つきのまま口を噤んでしまった。

「私も専門家ではありませんが、その手の話はそれなりに識っています。細かな区分はさておき──力のあるモノを視てしまった場合、私達がそちら側に引っ張られる事はさして珍しい話ではないのです」

 ──昔耳にしたのは、見える世界というのはテレビのチャンネルのようなものであるというお話。そしてそれは基本的に固定されていて、世界が混ざらないようになっているのだとか。とはいえ何事にも例外はあるものらしく、時折現れる力の強いものが強制的にチャンネルを変えてしまうこともある。もしくはアンテナの感度が良過ぎて色々な物を受診してしまう事もあるのだとか。


「じゃあもう戻らないってこと……?」

 飲み込みが早いのか、少年は最悪のケースを想像してしまったようだ。

「早くに手を打たないと、そうなってしまいますね」

 なんて意地悪な言葉を向けた途端、少年は涙ぐんでしまったのです。シャツの裾をきゅっと掴む手は小さく震え、浮かんだ涙が今にもこぼれ落ちそう。正直ゾクゾクする。

「大丈夫です。大丈夫だから泣かないで、ね?」

「本当? 本当に大丈夫?」

「大丈夫です。お姉さんを信じてください!」

 邪な気持ちをぐっと抑え込み、少年の頭を優しく撫でてあげる。そうして頃合いを見計らって、リハビリ計画を伝えると────


「……それ、本当に上手くいくの?」

「若干荒療治にはなりますが、きっと大丈夫ですよ」

 不安げな少年の表情を堪能しつつ、詳細を伝えていく……といってもそこまで複雑な手順がある訳ではない。やり方は至ってシンプルで、件の眼鏡を使って霊界に馴れさせてしまおうという話なのだ。霊界のチャンネルをきちんと認識出来るようになったら、そのチャンネルを見ないようにすれば良い。もしもそれが無理なら、切り替えられるようにするのがゴールだ。

 そもそも眼鏡というのは、視えていないモノを視えるようにする為のもの。視力矯正の道具として広く認知されていますが──ほんの少し、手を加えてやれば用途を広げることは難しくないのです。


 そしてのやり方は私も通った道だし、きっと少年にもクリア出来ることだろう。


 まぁ……駄目なら駄目で、少年の色々な表情を愉しめそうなので。私としてはどちらに転んでも問題はないのですけどね。この話は内緒ですよ?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〇視眼鏡 メイルストロム @siranui999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ