後編

「しっかしほんまあつない?お帽子かぶってくればよかったわ」

 四〇分のバス移動を経て辿り着いた遊園地そこは、 三連休の中日なかびというだけあり、予想を上回る大盛況振りだった。

 客の多くは子連れの若い家族であり、我々と同年代のカップルは――少なくとも視界のなかには存在していない。

「なかよしファミリーばっかりやね」

 どうやら彼女も同じようなことを考えていたらしい。

「少しだけ居心地が悪いね」

小春ウチらも赤ちゃん作ってから来たらよかったな?」

「……」

「え、なんなんそのおぼこい反応。冗談に決まっとるやん?フツーに引いたわ。顔赤らめへんといて?きっしょ!シュウタきっしょ!」

 散々な言われようでちょっぴり泣きそうになった。

 が、妙な想像をしたのは他ならぬ自分自身なので、反省の意味も込めて黙っておく。

「まあええわ。そしたらどこから攻めよか?」

「小春に任せるよ」

「じゃあ……あ!あれにしとこ!」

 彼女が指さした方角に目を向けると、そこには鋼鉄の龍が天高く――ジェットコースターがのたくっていた。


 真夏を目前に控えた七月の太陽光線が容赦なく地表に降り注ぐ。

 そんな中、列に三〇分並びようやく辿り着いたゴール地点で息をつく暇もなく、玉のような汗を額に浮かべた係員に急かされながらライドに着座する。

「めっちゃドキドキやね!」

「あ、小春。メガネとったほうがよくない?」

「平気平気。シンデレラフィットしとるから」

 そういう問題ではないような気もしたが、発進を報せるベルが直後に鳴り響いたことで有耶無耶になってしまった。

 血のように赤いペンキで塗られた一条のレールの上を、ガシャガシャと不快な音を立てながらライドが昇ってゆく。

 やがて視界の全てが空の青色に塗りつぶされると、次の瞬間。

「きゃああああああ!」

「――ッ」

 彼女には黙っていたが、俺はこの手の落ちる系のアトラクションが大の苦手であった。

 あと回る系と揺れる系も。

「あはははははは!」

 先ほどまで悲鳴を上げていた隣人が、スイッチでも入ったかのように唐突に笑い出す。

「…どう…かし……たのっ?」

「あはははは!メガネめっちゃ飛んでった!」

「だ…から…言った……のにっ!」

 てか笑うなよ。


 二分と少々の恐怖体験を終え、通路脇に置かれた木製のベンチに並んで腰を下ろす。

「小春。メガネ探してくるからちょっとここで待ってて」

「さすがに見つからんって!それにどうせ壊れてるやろし」

「メガネ無しでも見えるの?」

 俺は昔から目だけは無駄に良かったせいで、視力の矯正を必要とする人が裸眼で見る世界を知らなかった。

「見えへんよ?雲の中にでもおるみたいになーんも見えへん」

「じゃあやっぱり今日は帰ろうよ。ちゃんと家まで送るから」

「あかんあかんあかん!それはゼッタイにあ・か・ん!」

 何がどう駄目なのか知らないが、彼女は駄々っ子のように手足をバタつかせると、会津の郷土玩具のように首を縦横に振りたくった。

「平気やから。シュウタがアテンドしてくれたら大丈夫やから。だから、ね?」


 結局、俺がほだされた形で遊園地デートは続行されることになった。

「ちょっと小春、暑いって」

「しゃーないやん見えへんのんやから。それに腕にバインバインに当たっとるやろ」

 ああ、なんということだろう。

 百円ショップのクッションを彷彿とさせる、この慎ましやかな弾力の正体はそれだったのか。

「ん?シュウタなんで泣いてん?そんなに小春のおっぱい触りたかったん?」

 俺が涙している理由を知れば次に泣くのは自分なのだぞと、そう教えてやりたかった。


 つるぺたな少女を腕にぶら下げながら、まず手始めにメリーゴーランドに乗る。

「小春どう? 楽しい?」

「楽しいけどやっぱなんも見えへんしそれになんかちょっとゲー出そう」


 続けて向かったのはホラーハウスだった。

「あ、ほら小春。あそこの墓石の上に生首があるよ」

「いやだから言うたかてほんまぜんっぜん見えんのんやって。代わりによろしく言うといてーや」


 箸休めのクレーンゲーム。

「小春もうちょっとだけ右」

「右ってどっちやったっけ?」

「左じゃないほう」

「ほんならこっちか」

「そっちは左」


 そして最後にゴーカート。

「小春も運転してみる?」

「別にええけど今日が命日になるで」


 片っ端からアトラクションを乗り継ぎ、気がつけば閉園時間の二〇時がすぐそこに迫っていた。

「小春は今日、楽しかった?」

「めっっっっっっっっっっちゃ楽しかった!シュウタは?」

「俺も楽しかったよ。じゃあそろそろ帰ろっか」

「あ。な、シュウタ。もういっこだけええ?」

「落ちるやつじゃなければいいよ」

「うん。落ちひんと思うよたぶん」


 夜空に垂直に咲く大輪の花に乗り込むと、すぐに視界が大きく開けた。

 正面の座席に座る少女は、もともと大きな瞳をさらに大きく見開き、眼下に広がるの夜景に目を落としている。

「そんなに窓にべったり張り付いても見えないなら意味なくない?」

「……あそこの自販機の前でちぃっこい女の子がイヤイヤしておとんとおかん困らせとる」

「え? 見えるの?」

「よう見えるで。小春、視力二・〇やし」

「は? だってメガネ――」

「伊達メガネやもん、あれ」

「は? なんだよそれ」

「小春な、どうしてもシュウタとてぇ繋いでデートしたかってん」

「……なんだよ、それ」


 そうこうしているうちに、ゴンドラはあっという間に頂点まで上り詰めた。

 そして一秒たりとも休むことをせずに、今度は徐々に高度を下げ始める。

「ほんまごめんな?」

「順番でいいから説明してくれ。ダブルデートの話は?」

「それはホント」

「じゃあ正宗が体育館の――」

「それもホント」

「……あ、そう」

 せめて正宗だけでも助かっていてくれれば。

 せめてそこだけでも小春の嘘であってくれたなら。

 そんなささやかな俺の希望は初手でついえてしまった。

「じゃあ今日は中止でよかったんじゃ?」

「さっき言うたやん。小春、シュウタとデートしたかったねんて」

「……え?」

「好きやから。小春、シュウタのことが好きやねんて。ほんでせっかくの機会やし、小春も勇気出してシュウタに告白しよ思て。あと普通シンプルに遊園地いきたかったのもだいぶあったけど」

「……小春、いくらなんでもあけすけし過ぎ」

「そない言うて別にいまさらやん?前から隠してるつもりなかったしな」

 それは確かに気づいてはいたが、それにしてもあまりに情緒がなさすぎる。

 そこが彼女らしいといえばまあ、その通りなのだが。

「ほんでシュウタはどうなん?小春のことめっちゃ好き?それともまあまあ好き?」

 この子はこう見て狡猾なのか、それともただただ幼稚なだけなのか――たぶん後者なのだろうが。

 それはそうとして、俺の気持ちは自分のことだけによくわかっていた。

「そのどちらかで言えば……メッチャ好きのほう、だけど」

「じゃあ付きうてくれるん?」

「……俺なんかでいいなら」

「ほんまに?ウソっこやなしに?ちょっとめっちゃうれしいのんやけど。ていうてもまあシュウタも小春にきぃあるんやろなって薄々どころやなしにビシバシ感じとったけど」

「まあ、だろうね」

 俺も隠す気はなかったから。

「じゃあシュウタはい」

「はい?」

「ちゅーしよかちゅー」

 だから情緒がなさすぎる。


 ゴンドラが再び地上に戻ってくると、疲れの色が見え隠れする係員の手により外から扉が開け放たれた。

 先に降りた俺の腕に、すぐさま彼女が絡みついてくる。

「ほな帰ろか――って、あ。そうやった」

「うん?」

「明日も同じ時間に同じ場所でな?」

「明日? またどこか行くの?」

「うん。マサムネにチケットもろたんよ四枚とも。せやから期限が明日までのがあと二枚あんねんね」

 彼女はポーチの中から取り出した赤いフレームのメガネを掛けながら、小さな舌で桃色の唇をぺろりと舐めると、さらに言葉を続けた。

「それともあれか?ふたりっきりになれる場所のほうがええ?大人の階段駆け上ってまう?まあシュウタがどないしても言うんやったら、小春かてやぶさかやないけど」

「同じ時間に同じ場所ね」

「……ほんまシュウタっていけずやわ」

 そこは品行方正な好青年と言ってほしかった。

「まあええわ。お楽しみは夏休みまでとっといたる。せいぜい首あろてまっときや」


 終わり

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メガネめっちゃ飛んでった 青空野光 @aozorano

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