メガネめっちゃ飛んでった

青空野光

前編

「なあシュウタ。ごめんやねんけど頼まれてくれへん?」

 休み時間の開始と同時に近寄ってきたクラスメイトは、小学生のような小さな手を顔の前で擦り合わせながらそう言った。

 過去の経験から、『彼女の頼み事イコール面倒事』だということをよく理解していた俺は、首をゆっくりと横に振りながらこう返す。

「いやです」

「まだなんも言うてへんのんやけど?」

小春こはるのそのフリでいい話だった試しって一度もないから」

「ほんまに?いっぺんくらいあったんとちゃう?」

「無いんだな、それが」


 彼女とは前の学年では別のクラスだったこともあり、互いに顔だけはなんとなく知っているような、そんな間柄でしかなかった。

 だが、この春に同じクラスになり、尚且つ席が隣になったことで急速に親睦を深め、最近では昼に弁当を一緒に食べるほどの仲にまでなっていた。

 もともと親友と呼べるような友人がいなかった俺をして、なぜだか彼女とは不思議なほどに気が合った。

 果たしてそれは先方も同様だったらしく、曰く「シュウタがうちのワンコやったらよかったのに」だそうだが、それがどういう意味なのかは正直なところ、まったくもってわかっていない。


「それで頼みって?」

「今度の土曜日なんやけどシュウタ暇やない?」

 ほらみたことか。

「まあ暇っちゃ暇だけど」

「遊園地いかへん?隣町にあるんやろ?よう知らんのんやけど」

「遊園地に? なんで?」

「話したらなごなるんやけどね。あ、とりあえず座ってもええ?」

「なるべく手短に頼む。あと座るのはいいけど膝の上はやめてくれ」

 ついこのあいだ、それでクラスの連中の心証を悪くしたばかりだった。

「シュウタのいけずはあい変わらずやねぇ」

 小ぶりで形の良い口を尖らせそう言い捨てた彼女は、不承不承といった様子で自分の椅子にまたがると説明を始めた。


「昨日の夜のことなんやけど。小春お風呂場でタオル使うてクラゲさん作って遊んどったんよ。そしたらマサムネから電話掛かってきよってん。ほんで急に『今度の土曜日なんだけど一緒に遊園地行ってくれない?』とかなんとか言いよってな。せやから『行かへんで?』言うたったんよ。そしたら『交通費とチケット代、あと食事も奢る!』言うてきてな。小春かて鬼やないんやしそない言うんやったらいっぺんくらいデートしたってもええかな思たんやけど。でもすぐに『言うてマサムネはないな』て思い直してん。せやから『ひとりで行ってき?おみやげは甘いもんでええよ?』言うたのよ。ほんで」

「待った! ストップ! 長い長い長い! 休み時間が終わる! 手短にって言ったの聞いてた?」

「あん?なんならまだプロローグやで?ほんでそしたらな」




 二日後の土曜日。

 待ち合わせ場所に指定された炎天下の駅前で立ち尽くしている俺は、きっと――いや、間違いなく大馬鹿者なのだろう。


 約束の時間から十五分が過ぎた頃、視界の遥か彼方からパタパタと駆けやってくる、浅葱色のワンピースの少女の姿を認めた途端、なぜだか自然とため息が漏れた。

 やがて俺の目の前までやってきた彼女は、フワフワとしたポニーテールを左右に揺らしながら、事もなげにこう言い放ったのだった。

「ごめんフツーに寝坊したわ」

はたいてもいい?」

「ええよ。でもその前に飲みもん買うてきてもええ?」

 いい性格をしているとは、きっと彼女のような人間と相対した先人が創造した言葉なのだろう。

「それはそうと、正宗まさむね歩夢あゆむはどうした?」

「ああ、あのな。なんかふたりとも来られへんようになってん」

「はい?」

 はい?

 心の中と口に出しての二回、同じ言葉を吐き出す。

「なんかしらんけどマサムネがフライングしたらしいねん」

「はい?」

 はい?


 ページ数の割に内容の乏しい三文小説のような小春の話によれば、今日の企画は正宗の正宗による正宗のためのものだったはずだ。

 所謂ところの『ダブルデート』にかこつけて、予てより好意を寄せていた歩夢に告白する。

 彼がない知恵を絞り絞って築き上げたこの砂上の楼閣には、必然的にもう一組の男女カップルが必要になる。

 その調達を正宗に頼み込まれた小春が俺を拉致さそい、そして――いったい何がどうしてこうなった?


「あのな、なんかマサムネな、金曜の放課後にアユムのこと体育館の裏に呼び出してコクったんやって」

「ほう? それで?」

「フラれたらしいで」

「うわ」

「しかも秒で」

「うっわ……」

 ベタなシチュだけに余計に気の毒に思えた。

「しかし正宗のやつ、なんで今日まで待てなかったんだ?」

「あれやろ?どうせ遊園地行くんならカップルになってからのほうが何かとあれやん?観覧車で夜景でも見ながら『君の瞳の中に僕が映ってる』とかいうてチューとかしたかったんちゃうん?」

 下世話としか言いようのない小春のその想像は、正宗という人物をよく知る俺から言わせてもらえば、当たらずといえども遠からずといった精度があるように思えた。

「じゃあさ。俺に連絡してくれなかったのはなんでなんだ?」

 昨夜の時点で中止だと教えてくれれば、今頃はまだ布団の中で休日を謳歌できていたことだろうに。

「どうせ会うんやし言わんでもええかなって」

「へ?」

「ほな、はよいこ?あ、その前にジュース買うてくるね。シュウタはなにがええ?」

「奢ってくれるの?」

「待たせたしな」

「サンキュ。じゃあ一番不味そうなやつで」

「あいっかわらずドМやね」


 駅前のロータリーでバスに乗り込み、最後尾の座席の左奥に陣取る。

「シュウタそこの席お気に入りなん?修学旅行の時も同じ場所ちゃうかった?」

「好きな漫画のキャラがこの席に座ってたんだよ」

「ああ、あれな。でもソイツてそのあとすぐ殺されてたやんね」

「仕方ないよ。主人公の有能さを証明するためだけに配置されたようなキャラだったから」

 てか、今ので何の漫画かわかったの何気にすごいな。

「そういえば小春。どうしたのさ、それ」

 肩ほどの高さにある彼女の顔を指差し尋ねる。

 落ち合った時から気にはなっていたのだが、彼女の顔に普段にはない特徴があった。

「あ、メガネ?」

「珍しい、っていうか初めてみた」

「普段はワンデーのコンタクトなんやけど、ちょうど在庫がのうなってもうたんよ」

「へえ」

「ちょっと……あんましジロジロ見んといてーや」

 彼女はそう言ってから赤いフレームのメガネに手を掛けると、一旦外したそれを逆さまに掛け直して「あかんあかんあかん酔いそう」と独りごちる。

 その行動はといえばなかなかにして意味不明であったが、彼女という生き物の生態を紐解いた時、逆説的に特段の不自然さはないように思えた。

「シュウタ」

「ん?」

「ごめんな。やっぱ迷惑やったよね?」

「いや……いいよ。どうせ今日は丸一日からだ空けてあったし」

 それにたまには息抜きも必要だと思い、彼女の無理な振りを受け流さずに今日に至っていたのだから――正宗はあんな残念ことになってしまったが――せっかくなので楽しんでやろうという目論見もあった。

「そんならよかったわ!小春な、ゆうべ寝られへんくらい楽しみにしとったんよ」

「そんなに?」

「そんなにやで?」

「だったら……うん。今日は小春の気が済むまで付き合うよ」

「ほんまに?うれしい!シュウタめっちゃ好き!」

「はいはい」

 その言葉どおり心底うれしそうに表情を輝かせた彼女は、肩から斜めに掛けたポシェットから琥珀色の飴を取り出し、二個入りのそれのひとつを俺の顔の前へと近づけてくる。

「はいシュウタあ~ん」

 いつものことなので何も言わずに口を開くと、その直後には口内に天然甘味料の甘さが広がった。

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