めがね

本の雨

出会いと別れ

 私は眼鏡である。


 それも知性のある眼鏡である。



 普通の眼鏡は、大量生産物であると同時に、使用者のレンズの度数や骨格によりカスタマイズされる一品物でもある。


 特別な眼鏡を自負する私は今、逆さになり使用者である主人を見ている。


 普段であれば就寝前に、ベッド脇のローテーブルにそっと優しく置かれるのが常であるが、今は乱雑に放り出された状態だ。


 悲しい。


 でも、それも仕方ないかもしれない。


 何故なら主人は揉み合いの末、頭から血を流し、体から包丁を生やして苦悶の表情を浮かべ、床に横たわっているからだ。



 右腕と信じていた部下が裏切った日の夜も、娘がお薬で捕まった夕暮れも、忘れ物を取りに帰ったら妻が若い男を家に招き入れたのを見た朝も、色んな反射物から私が見た主人はこのような顔はしていなかった。


 私は、主人が料亭でご機嫌にお金を受け取る姿や、若い部下に無理難題を押し付けそれが出来ないと罵る姿に、銀座のクラブで調子に乗ってママにたしなめられる姿が好きだった。



 私の主人は、部下や下請けに傲慢で、美味しい物には目がなく、同業他社や同僚には虚飾し、若くして出世し成功した者を妬み、機嫌が悪ければ些細な事で憤怒し、夜の異性ならず美しい新入社員の同性にも色をやり、やるべき事には怠惰で、とても人間の欲に忠実な人だった。


 いつからそうなったのか、きっと主人が私を手に取った時からだろう。


 あの日の出会いは忘れられない。


 この人なら、きっと私の望む風景を見せてくれるはず!


 堕落し、憎悪を生み出させる素敵な素養を持つ人。


 私はそんな人を見つけては手に取られるようにしていたのだ。


 主人と一緒になってからの日々は甘露と言っていいだろう。


 でも、そんな素敵な主人との生活も今日で終わってしまった。


 とても残念だ。


 それでも、別れがあれば出会いもある。


 そこの素敵な刑事さん、さぁ、遺留品の私を拾って?


 机の下に滑り込んだ私は誰の目にも触れてない、最初に見つけた貴方だけの物。


 貴方なら、前の主人より、より良い世界を生み出してくれるでしょう。







 私は眼鏡である。


 それも知性のある、ちょっと変わった眼鏡である。






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