となりのあなたに、あいを。【北東ノmaitreya】

橘 永佳

ありふれたあいのうた

 落日を向こうに、彼は一度大きく背を伸ばした。


 腰に手を当てて首を二、三度と倒す。

 全くもって意味はないが、何某なにがしかの区切りというものは結構有用だ。


 先ほどから急激に気温が下がりつつあり、今この瞬間、一日で一番快適な温度になっていると言えるだろう。

 何しろ、このまま夜になると一気に氷点下へとまっしぐらなのだから。砂漠では、快適な気温とは実に貴重な時間帯である。


 人類が緩やかに破滅して二、三世紀。

 破滅それは実に緩やかだった。気が付いたら回帰不能点を通り越して――どころか、多くは程に、見事に日常の延長だった。


 世界大戦は無く。

 巨大隕石の衝突も無く。

 凶悪な感染症の大流行も無く。

 何の変哲もなく。


 ただただ調気温は上昇し、エネルギーは枯渇し、その中で富と資源は偏在し、貧困持たざる層は見捨てられていき、富裕持つ層は対岸の火事として横目で見つつ日常を過ごし、やがてその中でも弱い者から切り落とされ――


 ――気が付けば衣食住が欠けていないのは0.01%以下、そのためだけに電気ガス水道等々の社会的インフラが機能する有様となって、『公共』の概念自体が死語となった。

 暴動や略奪は生きていくために必須当たり前の行動となり、荒れ果てた街が、国が砂漠に飲まれ、消えていった。


 ぐるりと首を回したところで、彼の右手遠方に薄っすら砂埃が上がっているのに気づく。

 スマートグラス拡張現実型ウェアラブル端末をかけ直して――と言っても壊れているからなのだが――よくよく目を凝らすと、砂漠機関車サンドシップだ。


 超低過電圧式極小のエネルギーで水素生成機構水素を作り出して、複合型水素で発電する燃料電池ほぼ永久機関を積んでいる、現状でも稼働できる数少ない交通機関。


 とは言うものの、見かけたのは数年前にもなる。

 次に見かけることは、もう無いかもしれない。


 最後かもしれない交通機関を見送っていると、自前のコートから微かな作動音がし始めた。


 第二期強化型優れた保温保湿力と汎用α-Ⅰ丈夫さを誇るリムテックス高強度合成繊維で編まれた全天候型耐久コートのプライベート空調機能が働き始めたということは、もう快適を通り越して冷え始めたということだ。


 特に意味はなく少し首をすくめて、彼は日が沈んだ地平線へと目を馳せる。

 隣では少女が横になって身を丸くしていた。

 年のころは十代後半。出会った頃はまだ子供だったのだが。


 誰かと新しく出会うことが無くなって、二人だけになって結構な年月が経つ。

 先ほどのように遠目で乗り物の類いモービル系を捉えることですら数年ぶりなのだ。


 まあ、彼の世代だとそもそも生まれた時点から周囲に人がほぼ居ないのが当たり前ではあるし、孤独に対しては各々自分なりの『落としどころ』を作っていることが多い。


 彼の場合は、古典も古典の『ガイア理論』だった。

 科学的に証明された理論ではないし、さすがに『地球は1体の生き物だ』とは思えないが、何が良いかというと、というその一点だ。


 何しろ常に足裏そこにあるし、人間から見れば不滅の存在に等しい。地球それを相手取れるなら心強いことこの上あるまい。


 端から見れば、さぞかし独り言の多い妙な子供だったことだろう。

 もっとも、その端から見る人自体が居なかったわけで、彼は遠慮無く地球へ向けて話しかけていた。


 その甲斐あって――と言うべきだろうか――滅んだ故郷を一人旅立ってから、彼はに気が付いた。


 壊れたスマートグラスめがねに、時折白い影が映る。

 それはいつもごく小さく、薄く、わずかな間だけで、始めは気のせいか壊れているからだと思っていたが、どうも違った。


 を追うように進むと、何かしらに会うのだ。


 何日ぶりかの食料だったり、久方ぶりの心地よい寝床だったりと、内容はその時々で変わるのだが、いずれもだった。


 何度となく繰り返されるうちに、彼は、地球が彼に示してくれているのだと結論付けた。


 それこそ科学的根拠など微塵もないが、重要なのは、理屈よりも現に助かっている事実。

 一度そう思うと、白い影は見えなくなった。

 と言うより、影がどうこうという前に、より直感的にようになった。


 空に問う。

 答えは無く、ただ風に流されるだけ。


 大地にく。

 何も聞こえず、ただ砂に足を取られるだけ。


 ただ、その先にはいつもがあった。

 そして、彼はいつも感謝を捧げた。


 隣に在る地球へ。


 そのうち、彼はとりとめもなく、ぼんやりと考え始めた。

 『ガイア理論』とは、本来『生物と地球(環境)が相互に関係しあう生存環境維持のための巨大統制システム』のことである。


 それならば、


 いわゆる弱肉強食の理論では、自然界では生命は循環しているとも捉えられる。

 数多の生死は連環し、巡り巡って大きく複雑なサークルを成す。

 この『自然界』とは地球上に存在する環境と同義。

 ならば、彼自身も地球という巨大システムの中で循環する生命の一つなのではないだろうか。


 そんな愚にもつかないことを取りとめもなく考えた。

 何しろ、時間だけは余るほどあるのだ。

 そして、こう行き着いた。


 生も死も生命いのちり方の一様一つだ、と。


 これもまた、科学的根拠の無い極論である。

 しかし、そこに辿たどり着いた時、彼は恐怖から解放されたことを感じた。

 もちろん痛みや苦しみを感じなくなるわけではないのだから、完全に解放されるわけがない。それはあくまで部分的に解放されただけの話に過ぎない。

 しかも、勝手な思い込みだ。


 それでも、いざ直面するまでは、そう思って呑気のんきに過ごしてもいいじゃないか。

 正誤にこだわるよりも、日々の不安が少しでも減るのなら、その方がよっぽど良い。

 そのはずなのだ。


 隣で寝息を立て始めた少女に、彼は目をとめる。

 その少女の寝顔が、見る間に苦し気になっていく。


 両親に目の前で死なれたトラウマから未だ解放されていない。

 一人取り残された不安が、いつも彼女をさいなんでいた。


 軽く、触れていることに気付かれない程にそっと、彼は少女の髪をなでる。

 そして小さな声で歌い始めた。

 いつもの曲。ただ長いだけの、これといった特徴も無い、普通のありふれた流行歌あいのうた

 しかし、何故かこの曲を歌う時だけは、彼女は少し安らかになるのだ。


 いつの日か、伝わるだろうか。

 君も一人ではないんだよ、と。


 いつの日か、伝わって欲しい。

 恐れることはないんだよ、と。


 緩やかな旋律が、ふわり、ふわりと夜空を泳いでいく。


 澄んだ夜空に、月が銀をいている。


 欠けることなく。


 ああ――


「今宵は、月が綺麗だね」

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となりのあなたに、あいを。【北東ノmaitreya】 橘 永佳 @yohjp88

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