第2話 似合わない眼鏡が不細工に見せるだけなのよ②
「ふーん? ようはポリーヌが不細工だから、その彼氏は美人に乗り換えたいって? 本当にそう言ったの?」
あえてズバッと言ってみると、ポリーヌは怒りもせず苦笑しただけだった。
まるで覚醒する前の自分のようだと、初対面の相手にもかかわらず悲しい気持ちになってしまう。
「ううん。そんなこと言わないわ。ただ、最近親しくしている女の子がいるって聞いてたし、さっき、実際に見ちゃっただけ。とても可愛くてね……お似合いだったの。
私ね、
アギヨン――あ、婚約者の名前ね――は、本当に見目麗しい素敵な男性なのよ。幼馴染で気心が知れてるからって、友情と愛情は別なのよね。今日はそれを思い知っちゃって。この恋を忘れるために、最後に一度だけ、子どもの頃みたいにたくさん泣こうと思ったの」
普段なら誰も来ないからと呟いた声に、内心ごめんと手を合わせておく。ほっとくべきだと思ったけれど、おせっかいを焼きたかったのはこちらのわがままだ。
しかし。
「ポリーヌさんは不細工じゃないわよ? その眼鏡は似合わないけど」
それを慰めととったのか、ポリーヌが小さく笑う。春の息吹のような彼女の優しい笑みは温かく、ほっこりと癒される雰囲気がある。それだけでもかなりモテそうだから、彼女の言い分には首をかしげざるを得ないのだ。
(アギヨンとやらは、こんなに可愛い子の魅力が分からないほど、ぼんくらな男なのかしら?)
「ふふっ、優しいのね。ありがとう。えっと」
「あ、名乗ってなかったわね。よかったらレンって呼んで」
ミュリエルが今の名を隠すと、通名に慣れているのか彼女は素直に頷いた。
「レンさんね。あなたみたいな美人には縁がないと思うけど、――あ、皮肉じゃないのよ」
慌てたように手を振ったポリーヌが、ミュリエルの姿を上から下まで見つめて、感嘆したようにほおっと息をつく。今日のメイクは綺麗系にしているが、彼女の目には素直な賞賛があったので、皮肉だなんて思うはずがなかった。
「美人なんて生まれて初めて言われたわ」
本当のことを言うが、彼女は冗談を聞いたようにくすくすと笑った。
「まさかでしょ。レンさんは美人だし、あなたみたいにきれいな人は大好きよ。実際憧れるし、なれたらいいなとも思う。でも、分不相応を望む気はないの。隣の芝生は青いと言うし、心までまで貧しくなりたくないから。
でもね、近目だけはどうにもならないのよ。眼鏡なしじゃ世界がぼやけて、輪郭と色しか分からないんですもの。とてもじゃないけど生活できないわ」
彼女がかけているのは、海の向こうから輸入してきている最先端の眼鏡だという。
なるほど。言われてみれば作りがしっかりしているし、彼女がかけていても、目がそれほど小さく見えないのは素晴らしい。この国でもそう見ないような、いい眼鏡のようだ。
(でも似合わないのよね)
ミュリエルが口に出さなかった言葉が聞こえたかのように、ポリーヌは軽く肩をすくめた。
「本当に残念だけど、眼鏡をかけると、どんな美人だって台無しになるのよ」
「そうかしら?」
「そうよ。眼鏡をかけても綺麗な人なんていないでしょ?」
卑下するわけでもなく事実だと笑う彼女に、ミュリエルはこてんと首を傾げ、しげしげとポリーヌを見つめた。
記憶をたどれば、ミュリエルの実家の客でも、眼鏡をかけずに頑張っている貴婦人が何人かいた。よく見ようと目を細めたほうがマシなのだと。
しかし前世。ミュリエルが百花だったころ、眼鏡はおしゃれアイテムだったのだ。
百花は高校時代から近眼だったから、ポリーヌの気持ちもわかる。
でもあの頃は、コンタクトでもあえてフレームだけの眼鏡をかけたり、色々な形の眼鏡を楽しんだ。
だからこそ言える。
「眼鏡をかけるから不細工なのではないわ」
「えっ?」
ミュリエルの言葉に、ポリーヌが外国語を聞いたような顔をする。次いでミュリエールが口にした言葉に、それはさらに顕著になった。
「いい? ポリーヌさん。これは事実なんだけどね、眼鏡をかけるから不細工というのは大間違いよ。ありえないわ。似合わない眼鏡が不細工に見せているだけ。――ああ、意味が分からないって顔をしてるわね。いいわ。ちょっと眼鏡を貸して下さる?」
ここでは眼鏡の形や大きさがほぼ決まっている。レンズの厚さを加工できるだけ御の字という世界だ。
そんな、形よりも実用性重視であることを否定する気はない。それを重視して研究し、実用化してくれた人の功績だから。
でもミュリエルは前世、自分が楽しむだけではなく、友達の相談にも乗って一緒に眼鏡を選んだり、店員の話を聞いたりしたことがある。そんな記憶や経験、知識があるのだ。使わない手はない。
「この眼鏡、ちょっと加工してもいいかしら? 私、加工スキル持ちなの」
「あら、若い職人さんね。ええ、構わないわ」
万が一壊れても新しいものが用意できるという彼女は、やはり裕福な家の娘なのだろう。
ポリーヌの許可をとったミュリエルは、しばし素顔のポリーヌを見つめてから眼鏡の加工を始めることにした。
加工スキルとは、この世界の職人が持つ、ごく普通の技術力のことを指している。
皆が多かれ少なかれ持っている魔力を、自分の職業に合わせて伸ばすため、とりわけ珍しいものではない。だからポリーヌもあっさり信じたのだ。
スキル自体は嘘ではない。
ただ、ミュリエルにはここにはない知識と余分な力があるだけで。
(うん、かなり丈夫そうな眼鏡だから大丈夫ね。いくわよ)
「変換」
小声で一応それらしく言って、眼鏡を変形させていく。
真ん丸だったフレームが小さめだったので、伸ばして少し大きく。面長の彼女のフェイスラインや眉に合わせ、レンズの中心に瞳が来るよう調整していく。形は天地幅のある、いわゆるウェリントンタイプにしてみた。
何度か試着してもらいながら微調整するのを、ポリーヌが興味津々でのぞき込んでくる。職人の作業風景を見ている感じなのだろう。
出来上がったものをかけてもらう前に、どうしても気になっていた眉を軽くカットさせてもらい、改めて眼鏡をかけてもらうと、ポリーヌは長いまつ毛をしばたたかせた。
「なんだかよく見えるようになった気がするわ」
「レンズ機能は代えてないのよ。位置を調整しただけ。さあ、鏡をどうぞ」
そうして渡した手鏡を覗き込んだポリーヌが、金縛りにあったように微動だにしなくなる。
(うんうん、美人になったでしょう。驚くわよね)
今の彼女を見て、不細工なんて言う人はいないはずだ。
そこにいるのは誰が見たって理知的な美人なのだから。
「似合う眼鏡は素敵でしょ?」
ふふんと笑うミュリエルに、ポリーヌが「やっぱり女神様ね!」と叫ぶので、つい大声で笑ってしまう。喜んでもらえて何よりだ。
ミュリエルが旅の途中だと話すと、お礼に泊めてくれると言ってくれたが、それは丁重にお断りした。
もう少し話したいのは山々だが、今日中にもう少し先に進んでおきたい。
「かわりと言っては何だけど、今のポリーヌさんを見た婚約者さんの反応を、陰からこっそり見てみたいわ。ダメかしら?」
それだけは結末を見たい。そう思って尋ねる体で、断るのは許さないという圧を出すと、ポリーヌは少しためらった後頷いてくれた。
「いいわ。私も最後に彼と話したいし」
「最後? それはどうかしら。最後にはならないかもしれなくてよ?」
ミュリエルの言葉に苦笑いしたポリーヌだったが、素直に婚約者のところへ案内してくれた。今の時間なら、昼食をとるために行きつけの食堂か自宅にいるだろうとのことだ。
「食堂にはいなかったわ。自宅へ行ってみましょう」
申し訳なさそうにするポリーヌに、ミュリエルはふふっと笑う。
緊張のせいで気づいていないようだが、見慣れぬデザインの眼鏡をかけたポリーヌは食堂で注目の的だった。
中には「眼鏡をかけてるのに美人だなんて」という意味で見ていた人もいるかもしれないが、エキゾチックな美人は目を引いて当然と、ミュリエルは一人胸を張る。
(ポリーヌのバサバサのまつげがレンズが付かないよう調整したのも正解だったわ)
綺麗な目元が引き立っているポリーヌを見て、ミュリエルは一人悦にいった。
「ミュリエルさん、あの茶色い壁の家が彼の自宅よ。やだ、緊張してきた」
「頑張って。隠れて見ているから」
「え、ええ。絶対側にいてね。約束よ」
もともとミュリエルのわがままだったのに、まるで付き添いであるかのようにすがる目を向けるポリーヌに、しっかり頷いて見せる。
(百花が中学生だった時を思い出すわ)
こんな感じで、友達が告白してくるのをそばで待っていたっけ。
失恋したと一緒に泣いたり、うまくいった友人にはこっそり親指を立てて、相手に見つからないよう退散したりしたものだ。
そんな甘酸っぱい記憶に微笑み、彼女の背を軽く押してやる。
「大丈夫よ。自信をもって行ってらっしゃい」
(さて、どんな反応を見せてくれるかしらね)
何度もためらいながら、ポリーヌがようやくドアベルを鳴らすと、間もなく背の高い男性が現れた。
なるほど。ポリーヌが自慢してただけのことがある、まあまあの美男子だ。しかしポリーヌを見て驚いたように目を見開き、次いで太陽のように明るくなった笑顔は悪くない。
(うん、いいじゃない)
その反応はミュリエルの期待通り、満足するものだった。
「ポリーヌ?」
「う、うん」
「眼鏡を変えたんだね。見せに来てくれたの? もっと顔を良く見せて」
「あ、あの。……うん」
背を向けているけれど、彼に頬を挟まれたポリーヌが真っ赤になってるだろうことは想像に難くない。
「新しい眼鏡、いいじゃないか! 元々美人だと思ってたけど、とっても似合ってるよ。前のは残念だと思って、良いのがないか眼鏡職人に聞いてたんだ」
(なんだ、いい男じゃない)
どこかの誰かさんとは大違い。
彼の心変わりは、自分に自信のなかったポリーヌの勘違いだったわけだ。でなきゃ彼が、あんな目でポリーヌを見つめるわけないでしょう?
ポリーヌがしどろもどろでやっと聞き出したことによれば、一緒にいたという可愛い女の子というのは、彼が見つけた眼鏡フレーム職人の妻らしい。作成だけする夫に代わって、色々な雑務を担当しているそうだ。
さもありなんといったところか。
「僕が動く必要なんてなかったね。いい腕だ。どこの職人なんだい?」
「あ、あのね。これはさっき、偶然知り合った職人さんに加工していただいたのよ。えっと、一緒に来てるんだけど。――あれ? レンさん?」
ミュリエルを探すようにキョロキョロするポリーヌから隠れ、面倒なことになる前に出発する。十分休憩したし、次の町まで走っても日の入りには間に合うはずだ。
「お幸せに」
チュッと投げキスに寿ぎを乗せて飛ばす。
女神の祝福をほんの少しだけ溶かしたそれは、ポリーヌにだけは届いただろう。
せっかくならこの町に根をおろしたい気もするが、残念ながらここでは故郷に近すぎるのだ。
「さて、逃亡者は去りますよ」
めざせ、新天地!
はじめは国境を越えて、どこかの田舎、できればほぼ人のいない土地に行こうかと思ったが、今の出来事で考えが変わった。やっぱりミュリエルは人が好きだ。隠居生活は性に合わない。
木を隠すなら森の中へ。
王都に次ぐ大都市、エーデルワイスに進路を変えることにした。
大きな港を持つエーデルワイスは、人種と文化のるつぼだと聞いたことがある。
王族や貴族が通う学園も、たしかエーデルワイスにあるはずだ。
「あーあ。どうせ転生するなら乙女ゲームの世界がいいって言ってたはずなのになぁ」
当時、ライトノベルによくあるような学園が舞台なんてとても楽しそうだと思って、冗談半分ノリ半分で出した答え。
しかし友人たちに、まわりの女の子の恋愛相談に奔走しそうだと言われたのは、きっと正しい。
「今もそうしたってことになるのかな?」
クスッと笑う。
仕方がない。本性が愛と創造の女神なのだ。
カワイイは正義だし、尊いし、何人であろうとそれは否定してはいけない。
子猫の肉球だって、さえずる小鳥だって、ミルクをねだる赤ちゃんだってカワイイし、なかでも恋する女の子は最高にカワイイ。恋をしてなくてもそう。
自分で自分を否定するなんて言語道断だ。
「だから地味なミュリエルも、似合わない派手メイクのミュリエルも、あの家にポイッと捨ててきたのよ。恋はしてないけどね」
新しい町で恋が出来ればいい。
死ぬまで付き合えるような友達でもいい。
出会いは無限。
この人生も、絶対とことん楽しむのだ。
前世を思い出した女神は逃亡中~どうせ転生するなら乙女ゲームの世界がよかったわ~ 相内充希 @mituki_aiuchi
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