前世を思い出した女神は逃亡中~どうせ転生するなら乙女ゲームの世界がよかったわ~
相内充希
第1話 似合わない眼鏡が不細工に見せるだけなのよ①
カワイイは正義だ。
誰が何と言おうと、カワイイは尊いし、否定してはいけない。
例えミュリエルが今逃走中の身でも、それを見過ごすことなんて、絶対にできない――。
(あ、路地裏で泣いている女の子発見)
逃亡者らしく誰にも見られないよう目立たぬよう移動していたミュリエルは、建物と建物の間にある小さな空き地で泣いている女性に気づいた。
押し殺して泣いている女性は、誰にも見られないようになのか、精一杯体を縮めて体を震わせている。それが余計に胸の痛む泣き方で、一瞬立ち去ろうかと思ったものの、どうも見ないふりはできそうにもない。いや、本当はこのまま誰の目にも止まらない方がいいのだが――。
(泣いてる女性を無視はできないのよねぇ)
余計なお世話だと分かっている。おせっかいだろうとも。
しかし、こんな人気のないところに二十歳やそこらの女性が一人でいるなんて、決して褒められたものではない。指輪がないので、恐らく独身。そんな妙齢の女性が、万が一変な輩に絡まれたらどうするのだ。
軽くため息をついて黙って女性にハンカチを差し出すと、彼女は無意識といった体でそれを受け取り、こちらも見ずに泣き続けた。これは、ある程度気が済むまで泣かせた方がいいやつだと判断する。
十八歳のミュリエルより幾分年上であろう女性に、同性である自分が庇護欲を持つというのもおかしな話だが、ほっとけないのは事実。安全を確認できるまで付き合うかと腹をくくる。
(ま、時間はあると言っちゃあ、あるわけだしね)
泣いている女性の前にある木箱に腰を掛け、ミュリエルは小さく息を吐いて髪を払った。昼前の空は、春らしく雲一つないさわやかな青色だった。
◆
ミュリエルが、自身が何者であるのかを思い出したのは、ほんの半日前のことだった。
『ねえ、もし異世界転生したらさ、とりあえず何する?』
毒のせいで朦朧とする意識の奥底から、突然そんな声が聞こえてくる。その瞬間、ミュリエルはひとつ前の人生を思い出した。
前の人生での名前は前島
幼馴染で親友でもある友人たちとそんなことを話していたのは、大学を卒業して数年後の事だったか。友人の一人がもうすぐ結婚というところで、飲み会を開いたのだったと思う。
(あの時はたしか、乙女ゲームに転生したいとか言ってた気がするわ。ヒロインでも悪役令嬢でも、美少女でいいよねとかなんとか言って)
『でもさあ、百花の場合どっちになっても攻略イケメンのことガン無視して、可愛い女の子の恋愛相談とかしてそうじゃない』
そんなことを言われて、まさにその通りだとみんなで大笑いしたことを懐かしく思い出す。年をとっても変わらない友情で仲良く過ごした、大事な友達たちだ。
(ああ、懐かしい)
そう。普通ならここで、『前世を思い出したわ』とか、 『まさか、自分が本当に異世界に転生するなんて信じられない』などと、思うところじゃないだろうか。
普通であればこんな記憶、混乱してもおかしくない事なのだ。
前世の記憶なんて、夢や錯覚だと考えて、忘れてしまうことさえあるかもしれない。
しかしミュリエルの場合は、少し事情が違った。
日本人だった前世は、ミュリエルにとっては「遊戯」の一つだった。
というのも、その大元である自分は、レンゲールという世界に生まれた美と創造の女神であり、名をノーゼン・ハ・レンという。
実際には神ではないのだが、悠久の時を生きる種族であり、時に異世界に干渉することからそう呼ばれるようになったのだ。
(長く生きる種族だからか、一人前になる前に、何度か別の世界で別の人生を送る習慣があるのよね)
それは遊戯であり、修行であり、経験でもある。
しかし、前世のみならず自身の正体を思い出したということは、まさに今、ミュリエルとしての死が近いということだ。しかも今回は自然死ではなく、殺されかけた危機によって覚醒してしまった。おかげで身体の中の毒は消すことができたが、この世界の人間になり切って生きたい身としては、迷惑この上ない事態だ。
(とはいえ、簡単に殺されるわけにもいかないしねぇ)
生まれついての幸運持ちとはいえ、回避できないほど憎まれる覚えもないのだが、人の気持ちは複雑だ。
今回の人生であるミュリエルは、裕福な商会の家に生まれた。
主に輸入や、仕入れた商品を加工したものを販売する、ちょっとしたデパートのような事業を展開している。
そこで長女として生まれたミュリエルには婚約者がいたのだが、気づけば彼は、ミュリエルの従妹であるキトリーと恋仲になっていた。
もともと彼はミュリエルの容姿が気に食わないと、自分好みだという派手な化粧やドレスを強要していた男だ。唯々諾々と従っていたミュリエルもどうかと思うが、逃げる前に鏡で今の自分の姿を見た瞬間、冗談抜きに思い切り脱力した。
「ない。ありえないわぁ。なによこの、悪役レスラーみたいなメイク。信じられない」
どぎつく分厚いメイクは派手で、しかも無駄に似合っているせいか、悪女めいた雰囲気が半端ない。
しかもそれに合わせた濃い紫のドレスも、年齢不相応。往年の演歌歌手もかくやといった感じだ。とても十七、八歳の少女が着る服ではないだろう。自分が親なら絶対に、娘が着るのを反対するやつだ。
時間がないものの、あまりのひどさに我慢できず、急いで顔を洗ってしまった。
さっぱりしてみれば地味ではあるが、年相応の素朴で可愛い顔が現れる。
若々しい肌は張りがあり、薔薇色の唇はふっくらしていて、口紅いらずの艶々感。まだ十代だから頬もふっくらしているせいか、実年齢よりも少し幼く見えた。
「スキンケアばっちりなのは褒められるわね。お肌プルつやじゃない。しかもこの顔、相当化粧映えするわ。悪役レスラーじみたド派手メイクが似合い過ぎたのも、絶対このせいね」
あの婚約者がこの顔を嫌いなのは、まあ好みもあるだろうから致し方ないだろう。
親が婚約を決めたミュリエルよりも、好きな人が出来たのも理解はできる。
「ただねぇ。三十路男が十五の小娘に熱を上げるなってのよ」
それくらいの組み合わせは、この世界では決して珍しくない。
しかし、ミュリエル自身も前世では結婚し、親になった経験を持つ日本人だったのだ。しかも娘が二人いた。
そんな前世を思い出した身では、婚約者だった男は、女子中高生の尻を追いかける変態にしか見えない。はっきり言って全身鳥肌ものの気色悪さだった。
父が彼を選んだのは、後継者にふさわしいと思ったからだと聞いてる。けれど父は、仕事以外見る目ないんじゃないかな、などと考えてしまうところだ。
一方キトリーは従妹だが、実際には血のつながりはない。ミュリエルの父方の叔父の、結婚相手の連れ子だったから。
しかもあざとくて可愛い従妹は、出会った頃からミュリエルに張り合うのが使命だと思っているらしい。常に何かと対抗してきたし、この変なメイクやドレスも、最初は彼女が勧めたものだった。今なら確実に悪意しかないとわかる。
自分で言うけれど、元のミュリエル、お人よし過ぎるだろう。素直すぎると言うか、バカというか、よく言えば健気というか……。
(そう。もとをただせば、乙女心というやつだったのよ。一応初恋だったし? 大人っぽいのに憧れる時期でしたし?)
小さいころからあこがれてきたお兄さんと婚約できたと、幼い恋心を大事にしてたミュリエルだから、自分のこととはいえ否定はできないわけである。
だがしかし!
婚約者たちがミュリエルを殺したあと、キトリーを父の養女にし、二人が結婚して商会を継ごうと計画し、実行したことはさすがに許せない。百年の恋だって総醒めだ。
ミュリエルがキトリーをいじめ倒してたなど笑止千万。
しかも可愛いキトリーに嫉妬したミュリエルが、キトリーを毒殺しようと企てたものの、誤ってそれを自分が飲んだように見せるとか、なんの茶番なのか。くだらない。
くだらないが、ほぼ成功していた。
昨夜はミュリエルの十八歳の誕生パーティー。
そこで、巧妙に渡されたノンアルコールの毒入りカクテルをひとなめした瞬間倒れ、意識もうろうとしている間にミュリエルは覚醒していたのだが、周りで繰り広げられていたのは上記のような喜劇だったのだ。しかも両親まで信じてしまった。
なぜかたまたまパーティーに参加していた保安部隊が、意識を回復したミュリエルを危うく逮捕しそうなところだったが、必死に無実を訴えた。もっともそれも無駄だったから、逃亡してしまったのだが。
(だってねえ、なんだかとっても、くだらなくなっちゃったのよ)
両親が共に、地味顔のミュリエルを恥ずかしいと思ってたのは知っている。
二人とも見栄っ張りだから、生まれた子には顔の濃い母に似てほしかったのだろう。しかし残念ながら、ミュリエルは地味顔の父親に似た。
もっとさかのぼれば、父を厳しく育てた父の母、つまりミュリエルの祖母に瓜二つらしい。なのになぜか父は母を責めたし、それがストレスだったのか、妹も弟もできなかった。
そんな二人にとって、キトリーの見た目は理想の娘だったのだ。
遊戯で出会った中でも、一番ひどい親である。
だからミュリエルは話を聞かない保安部隊に怯え錯乱するふりをして、バルコニーから海に飛び込んだ。
バルコニーは崖の上にあるから、遺体が上がらなくても不思議ではない。夜で捜索も不可能だったし、誰もがミュリエルは死んだと思っているはず。
しかし実際は派手に水しぶきをあげて見せている間に、少しだけ使える女神の力を使って自室に戻り、小さな荷物を作って持ち出したのだ。シンプルな着替えやメイク道具など、最低限にしたからなくなったことに気づかれることはないだろう。
とはいえ、夜の闇を抜けて走ったとはいえ、まだ家からは十キロちょっとしか離れていない。
途中で見つけた古い空き家で休み、あらためてメイクを直したからまるで印象は違うけど、まだまだ油断はできなかった。
だからもう少し距離を稼いでから、今夜こそきちんとした寝床を確保したいと考えていた。けれどもどうしても、泣いている女性をほっとけなかったので、あきらめて休憩にしようと考えたのだ。
(仕方がないわよね? これもサガってやつだわ)
◆
「ねえ、お嬢さん? もうそろそろ泣き止んだほうがいいんじゃないかな。あんまり泣くと、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」
かなり時間が過ぎた後。
(そろそろ気が済んだ頃かな)
そう考えたミュリエルが、組んだ足に肘を置きその手を顎に当てにっこり笑って声をかけると、今までさめざめと泣いていた女性がぴたりと泣き止んだ。
初めて自分以外に人がいたことに気づいたらしい。
まじまじとミュリエルを見つめた女性が、非現実な存在を見たとばかりに小さく「女神様?」、と呟く。
それを聞いて、ミュリエルの唇が自然に美しい弧を描く。この人生で初めて言われた言葉だ。
「んふ、残念。ただの通りすがりよ」
「トオリ、スガリ」
謎の単語を聞いたようにパチクリと瞬きをした女性は、束の間ぼーっとした後、ハッとしたように自身の手にあるハンカチに目をやった。
それは少し前にミュリエルが差し出したものだったが、長いこと泣いていたせいで、すでに涙と洟でぐしょぐしょだ。しかし女性は、今はじめてミュリエルの存在に気が付き、その上持っているのが自分のハンカチではなかったことに気づいたらしい。
「やだ。これ、あなたの……」
「ただのハンカチよ。気にしないで使って」
汚れることを前提で渡したのだ。気にすることはない。
しかし、さあっという効果音が聞こえそうなほど青ざめた彼女が、何か言おうとハクハクと口を開け閉めするが、何も声にならなかった。
(ふむ。やっぱり彼女、泣いてない方が可愛いわね)
年のころは二十歳前後といったところか。
一人で出歩いていることと服装から見るに、裕福な商人などといった中流階級の女性、もしくは下級貴族の令嬢と考えるのが無難だろう。
ほつれたラベンダーアッシュの髪は、透明感のある白い肌とマッチしているし、こちらを凝視している、青みの強い緑色の目も綺麗だ。眉に少し手入れがいりそうだけど、バサバサのまつげも異国の雰囲気があって素敵。
今は震えている唇やピンクの頬も、幼さと色気がうまく融合している。
もとの肌質もあるだろうけれど、長年丁寧にスキンケアしてきたのだろう。
泣いてはれぼったくなった目も、赤くなった鼻も、とっても可愛らしいと思った。
世も末といった感じでさめざめと泣いていたのは、失恋でもしたのだろうか。
(きっと青春ね。甘酸っぱいわ~)
自身のことは棚に上げ、心の中で深く頷いたミュリエルが二枚目のハンカチを差し出すと、女性は無意識といった風にそれを受け取り、外していた眼鏡を拭いてかけなおす。
眼鏡をかけた瞬間驚く程地味になり、おどおどした雰囲気になった女性にミュリエルは目を瞬いた。ある意味他人とは思えない。
「あの。ごめんなさい。ハンカチは汚してしまったから、新しいものを返してもいいかしら」
家に帰れば新しいものが用意できると、ボソボソ言いつつ帰りづらそうな女性に、ミュリエルはニッコリ笑った。
「気にしないでいいわ。ハンカチは上げる。私はただ休憩してただけだし、もしよければ話くらい、聞いてあげてもよくてよ?」
冗談めかした気安い雰囲気に警戒心が薄れたのか、それとも誰かに話したかったのか。
ポリーヌと名乗った女性の話した内容は、つい最近どこかで聞いたような話だった。
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