煌々な国のリマ
九十九 千尋
煌々な国のリマ
あるところに、
煌々な国は様々な色に包まれ、周囲の国から大層羨ましがられる、見目麗しい国でした。
国民もまた煌々な国の住民らしく綺麗に着飾り、また美男美女が多く居たのです。そこに住む人々は、自分の国を誇らしく思い、美しさを自慢していました。
しかし、そんな中でただ一人、リマと呼ばれる男だけは違いました。
リマは幼い頃からずっと一人でした。
なぜなら、リマの外見は他の人と比べて劣っていたからです。だからか、リマはとても怒りっぽく乱暴者で、悪い人たちとばかりつるみ、ついには煌々の国の国王から国の外へ追い出されることになりましたが、リマは度々この国に戻ってきていました。
リマは常日頃から思っていました。
目がもう少し小さければ、あの男と並んで恥ずかしくないのに。
鼻がもう少し高ければ、みんなから馬鹿にされなかっただろう。
おでこがもう少し狭ければ、みんなの輪の中に入っていける。
背がもっと高ければ、愛しのアンラに愛を囁けるのに……
リマには恋焦がれる人が居ました。
美しい人々ばかりのこの国で一番、いいえ、世界一美しい娘でした。すくなくともリマはそう思っていました。その名前はアンラ。
リマはいつも、遠巻きにアンラを眺めてばかり。アンラの傍にはいつだって誰か居るのです。そんなところにリマは出向けません。
だって、外見が劣っていたのですから……
ある日のこと。リマは十字路で真っ黒な服装の男に出会いました。
真っ黒な服装の男はリマに言います。
「おや、なんとみすぼらしい姿のお人。あなたに良い提案があるのです」
男はリマに、黒魔術の本を押し付けました。
おどろおどろしい外見をした不気味な、表面がいぼいぼした本でした。
「その本を使って、こう願えばよろしい。『色など無くなってしまえ』と。そうすれば、みんながあなたを
リマはそれがどういうことなのか男に聞こうとしましたが、リマが周囲を見渡したころには男はどこかへ消えていました。
リマはその不気味な本を、恐る恐る開いて願います。
「そうだ、俺は蔑まれたくない。蔑まれなくなるなら、どんな力にだって頼ってやる! 色よ、無くなれ!!」
リマが空に向かって本を掲げて唱えると、本からもくもくと、黒い黒い漆黒の煙が空に向かって登っていきます。
そうして、夜が世界を覆ったのです。あらゆる光は意味をなさず、お日様はもちろん、蝋燭も鉄火場の火花も釜土の火さえも、光を発さなくなったのです。すべての物はそうして、光を反射しなくなりました。すなわち、世界は色を失ったのです。
あらゆる色が失われ、煌々な国をはじめ、世界は上を下への大騒ぎ!!
アイタッ! 誰だ足を踏んだのは! キャッ! 今何かが脇を通った! おーい! 誰か居ないのか!? どうしよう!! 何にも見えない!!
混乱は三日三晩、いえ、三夜三晩続きました。
しかし、煌々な国の人々も、世界中の人々も次第にその混沌とした状況に対応していきました。見えなくとも手探りで、なんとか生活を再開し始めます。灯りが無くて困ることは多くとも、見えないだけだったのですから。
リマは自分のしたことに驚きました。
「本当に魔法の本だった。確かに、俺の姿が見えなければ、みんなから馬鹿にされることも無いんだ!」
リマは喜び勇んで、アンラの元へ急ぎました。手探りで、できるだけ急いで。
しかし、アンラは泣いていました。
アンラのすすり泣く声を聴いて、リマも胸が苦しくなりました。リマはアンラの傍に来るまで何度も何度も考えた「アンラに素敵な詩を送ろう」とか「きっと言われて嬉しいだろうカッコいい言葉」とかそんなのが頭の中から消えて、アンラへの心配でいっぱいになりました。
そして、リマはアンラに声をかけます。
「も、もし? アンラ? 花屋のアンラ? どうした? 暗がりが怖いのか? 安心てくれ。ここには俺が居る。君に危険なことなどさせないさ」
アンラはすすり泣きながら、暗がりから聞こえた声に、姿が見えないリマに応えます。
「いいえ、違うのです。怖いわけではありません。優しい声の方」
リマは『優しい』とアンラに言われて嬉しくなりました。
しかし、いくら聞いてもアンラは泣く理由を教えてくれませんでした。
それ以来、リマは甲斐甲斐しくアンラの元を訪れ、様々な話をしました。
アンラが花の話をすれば、リマは星の話を。アンラが女友達の話をすれば、リマは悪友のことを。アンラが美しい思い出の話をすると、リマは悲しかった教訓の話を。アンラが不安を嘆くとき、リマは励ましを説きました。
しかし、アンラがふとした時に泣くのを、リマは聞いていました。
「アンラ、我が愛しい人。どうして君は泣いてばかりいる。俺に何か、何でも言ってくれ。頼む」
アンラは涙をこらえられなかったことを謝りながらリマに答えます。
「リマ、お優しい方。私は酷く卑しい者なのです。私はこの暗がりの世界が恐ろしい」
リマはアンラが、あの美しさの化身と言えるアンラが自分を醜く卑しいなどと卑下することに怒りを覚えました。
「なんだって!? 君が醜い!? そんなことはない!! 俺は君を知っている! 君の麗しさを知っている! ペゴニアの花より美しく、ミモザの花より愛らしく、可憐という言葉は君のためにある! そんな君が、そんなことを口にしてはいけない!! 俺は……俺は君を愛している!! 俺が愛する人が、醜く卑しいと君は言うのか!?」
リマはアンラを話すまでペゴニアもミモザも見たことはありませんでしたが、アンラが愛おしそうに話すのを聞いて、アンラのような花なのだろうと思っていました。
アンラはリマの珍しい怒りに触れ、泣きながら応えます。
「いいえ、ペルセウスの星座に語られるような英雄のあなた。違うのです。私は、この暗がりの世界では満足できないのです。私は、色が欲しい。メイクや衣装でオシャレをしたいのです。花たちが咲くのを愛でたいのです。そういう自分を、見つけてしまった」
リマは灯りのある世界を、今までの煌々の国を思い出して頭を抱えます。
「いや、駄目だ……そんなこと、そんなことに成ったら、俺は耐えられない!」
アンラが珍しく言葉を強めてリマに言い返します。
「あなたが見た世界を私も見たいのです! あなたのお姿を私も見たいのです!」
リマは暗がりの中、色々な物にぶつかりながらアンラの元から逃げ出してしまいました。
「ああ、駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ! やめてくれ! 嫌わないでくれ、アンラ!!」
誰に言うでもなく、そんなことを口走りながら、何かに躓き、何かをひっくり返し、誰かにぶつかり、何かで体中を怪我しながら、リマは暗闇を走りました。
リマは走りに走って、胸が苦しくなって呻いては、誰からも届くはずのない人目を気にして押し黙りました。
そうこうしている間に、リマは冷静さを取り戻しました。
今自分がどこに居るのか、ここがどこでどういう場所なのか分かりません。どこか広い空間のような気がします。
どこかで誰かの囁く声、金属の擦れる音……忍び足の音。
誰かが言います。
「誰だ? 誰かいるのか!? 苦しそうだが、大丈夫か?」
リマはその声に聞き覚えがありましたが、それが誰なのか思い出せませんでした。その誰かが、リマの腕を掴んで安堵の息を洩らします。
「ああ、誰だか知らんが、急に体に触ってすまない。どうやら、余の命を狙う誰かが居るらしい」
リマは何か厄介なことに巻き込まれているような気がして、その声の主の手を払おうとしました。
すると払った手が、偶然ながら“別の誰か”を叩きました。別の誰かが小さく「ギャッ」と悲鳴を上げて何かを落としました。
そしてその誰かがリマに言います。
「なんだ貴様は! 俺様がこの国の大盗賊プンタ様と知ってのことか!」
リマはこの別の誰か、プンタのことを知っていました。
プンタはリマよりも悪党で、リマが国から追い出されるきっかけになった悪友でもあります。
「プンタ? 俺だ! リマだ! 久しぶりじゃないか!」
リマとプンタは手探りで抱き合い、再会を喜びました。
しかし、プンタが言います。
「いや待て、リマ。お前……何の臭いだ? 臭いぞ? そもそも最近どこへ行ってたんだ? お前が居ないと稼ぎが少ないんだ。一緒にまた悪事を働こう!」
匂いと聞いて、リマは自分の身体を嗅ぎます。するとほのかに花の香りがするのです。
リマはアンラのことを思い出しました。
「いや、プンタ、すまないが、俺はもうお前と一緒には行けない。俺は……俺は、花を育てたいんだ」
プンタは驚きながら抗議します。
「なんだって!? 花!? そんなものが何の役に立つんだ!! 花で腹が膨れるか? 憎たらしい連中を痛めつけられるのか!? 他人を殴らずに居る人生なんて損してるはずだ! 思い出せ、奴らに蔑まれた過去を! 一緒にこの国の連中を苦しめよう、リマ!!」
リマは花の香りを胸に答えます。
「断る。すべての者がそうではない。俺には、この国に大事な人が居る。」
直後プンタがリマに、先ほど落とした何か鋭利な物で斬りつけようとしましたが、リマがそれを往なし、プンタを返り討ちにしました。プンタは憎まれ口を叩きながら、暗がりの中で何かにぶつかりながら去っていきました。
プンタの足音が消えた後、先ほど腕を掴んできた誰かがリマに言います。
「どうやらお主は余の命の恩人らしい。国がこのような状態でなければ、恩に報いたものを……そういえば、お主が嘆き悲しむ声が聞こえていたと思ったが、良ければ話をしないか?」
リマはこの声の主が誰か解らなかったので、自分の苦しみを話すつもりはありませんでしたが、声の主は引き下がりません。
「いいや、苦しい時ほど他者を頼るべきなのだ。余は、暗殺者を差し向けられるほどの馬鹿者であるが、それでも人々の話に耳を傾けるぐらいはできる。聞かせてくれ。どうせ、姿は見えんのだ」
リマはふっと浮かんだ言葉を口にします。
「馬鹿って、あんたも自分が駄目だと思うのか?」
声の主は穏やかな声で応えます。
「ああ、だからこそ、お主の苦しい思いを聞かせて欲しい。話を聞くぐらいは、余のような馬鹿者にもできる」
リマは、ぽつりぽつりと自分の身の上を語りました。ずっと独りだったこと。
声の主は申し訳なさそうに相槌を打ちます。
リマは、ぽつりぽつりと自分の外見のことを語りました。煌びやかな人々が羨ましかったこと。
声の主は悲しそうに聞き入りながら相槌を打ちます。
リマは、ぽつりぽつりと愛する人とのことを語りました。この暗がりが自分を助けてくれたのに、愛する人を苦しめていること。
声の主は唸りながらも相槌を打ちます。
そして、声の主はリマに提案します。
「して、友よ。余の恩人よ。お主はその花屋の娘を諦めるのか? 諦めることができるのか? 今からでも娘の元へ戻ってはどうだ?」
リマは答えられません。
声の主は笑います。
「お主は自分の外見が麗しくないと嘆いているが、そもそもお主は彼女のどこに惚れたのだ? 美貌か? 美貌であれば姿を愛でたいとは思わんのか?」
声の主が続けます。
「余は馬鹿者であるが、お主が決して悪い者ではないことを今日は知ったぞ? 花屋の娘もお主の心根の良さ、博識さを尊んでのことだろう」
リマは否定します。
「いいや、だとしても、もし彼女が俺の姿を見たなら、きっと彼女は俺を嫌ってしまう」
声の主はまた笑います。
「余は、この暗がりに感謝しておる。余が馬鹿者であったことを教えてくれたこの暗がりにな。しかしそうだな……『
そして、リマの肩を叩いて、足音をだけを残して去っていきます。
「余は今日出会った新たな友にその事を教わった。花屋の娘も同じだろう。だから己を恥じて泣いておったのだ。だというのに、その事を教えてくれたお主が自分を“色眼鏡”で見て居るなど、きっと娘も悲しかろう」
リマは何も見えない暗がりをじっと見つめていました。
リマは手探りで、今一度件の十字路へたどり着きました。
そして、空に向かって、いぼいぼのついた黒魔術の本を掲げて叫びます。
「色よ戻れ! 世界に光あれ!」
本から雷光が立ち上り、世界中に立ち込めていた暗雲はみるみるうちに本の中へ吸い込まれていきました。すると光を受けた様々な物が人々の目に映り込んできます。
人々が美しい世界に感嘆の声を洩らして、色が戻ったことを喜ぶ中、リマはアンラの元へ駆け出しました。今度は何にもぶつからずに。
しかしそんなリマの行く手を、煌々な国の国王が兵士を連れ立って立ちふさがりました。
リマは何とかアンラに会いたい一心でしたので、国王に願い出ます。
「俺が国外に追放された身なのは解っている。だが、一目で良い、麗しのアンラに合わせて欲しい!」
国王は笑います。
「何を言うんだ、友よ。余の命の恩人よ! むしろ、光が戻ったことで会いに行かないのではないかと気をもんでいたところだ」
国王はリマに近寄り、肩を叩いて激励します。
「会いに行く決心がついたのだな? ならば自信を持て。余が、この国の王たる余の友なのだぞ、お主は」
そして、リマに頭を下げました。
「すまなかった。お主の国外追放は取り消すこととする。お主には感謝している」
国王が頭を下げたことで、兵士も民衆も、みんながリマに頭を下げます。
しかし、リマにはそれどころではありません。
「頭をあげてくれ。あんたが国王だとは知らなかった。いや、それどころではないのだ、あんたが友であるならば、道を開けてはくれないだろうか?」
国王は笑って、リマに道を開けた。
「アンラ! 俺だ! リマだ!」
リマがアンラの部屋へ駆け込むと、アンラは布団をかぶってしまいます。
リマはそんなアンラに優しく、膝をついて話しかけます。
「すまなかった、俺が馬鹿だったんだ。君もまた、俺を嫌うんじゃないかと恐れてしまった。君への信頼が、愛する人の心を信じられなかった、弱い俺を許してほしい」
しかし、アンラは布団をかぶったまま姿を見せません。
そして言うのです。
「ああ、待ってください、愛しい方。私、外見を……メイクをしておりません。服装もただの寝巻なのです。こんな姿を見たら、きっとあなたは私を嫌ってしまう」
リマは、優しく、そっとアンラの被っていた布団を取ります。
二人はようやくお互いの姿を見て、そして自然と零れる笑みを、お互いに愛おしいと感じたのでした。
めでたしめでたし。
煌々な国のリマ 九十九 千尋 @tsukuhi
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