伝統と新風

五色ひいらぎ

魚料理には白ワインなどと誰が決めた?

 食卓に並ぶ料理とワイン。いつもとの違いに、最初に気付いたのは王妃陛下だった。


「今日のワインは赤ですのね。……魚料理ですのに」


 期待していた言葉。俺は大きく一礼した。今こそ、苦労の成果をお伝えする時。


「はい。こちらはたらのトマト煮込み。見ての通り真っ赤です。……料理とワインを合わせる際に『色を合わせる』という考え方がありまして。赤色の料理には、赤色のワインが合うのです」


 王太子ご夫妻が、感嘆の声を上げる。国王陛下も嬉しげに目を細めた。


「これまで、肉には赤、魚には白ばかりであったが。さすがは天才と名高いラウル料理長……美味のためには、慣習さえ打破するとはな」

「恐れ入ります」


 俺はふたたび、深々と頭を下げた。

 ここまでの苦労を、思い出しながら。



 ◆



 王宮の献立は伝統と格式でガチガチだ。ワインの合わせ方にも規則があり、外れることは許されない。肉には必ず赤、魚には必ず白。

 納得いかねえと抗弁しても、新入り料理長の我儘わがままと聞き流された。

 これじゃあ、みすみす美味い組み合わせを放棄しちまうことになりかねねえ。厨房で腐っていると、毒見役レナートに見咎められた。

 素直に事情を話せば、意外にもレナートは素直に頷いてくれた。いつものように皮肉が返ってくるかと思ったが。


「ワインの色と料理の色を合わせる、ですか……珍しい理論ですね」

「市井の料理人にとっちゃ常識なんだがな。こんなこともできねえなんて、王宮は不自由にもほどがあるぜ」

「確かに、王宮の決まり事には形骸化したものも多いですが、変えるとなると――」


 そこで不意に、レナートは言葉を切った。手をぽんと叩き、俺の目を正面から見る。


「――変えるだけの理由を、広く知らしめることが必要です」

「知らしめるって、何すんだよ」

「証拠を出せばよいのですよ」


 俺が首を傾げてみせると、レナートは薄く笑った。


「天才料理人ラウル殿の絶品料理を、皆が味わえばいいのです。侍従長、書記官、法務官……関係者皆が『色を合わせる』意義に気付けば、規則修正の建議もつつがなく通るでしょう」

「って、その論法だと、俺が全員分の食事を作らなきゃいけねえんだが。毎日の食事に加えて」


 言えば、レナートはいやに晴れやかに笑った。


「変えようとするには、相応の労力が必要。がんばってくださいね」


 他人事かよ。

 俺を強引に王宮へ連れてきた毒見役様は、奇妙に楽しげに微笑んでいた。



 ◆



 晩餐の後、厨房で休んでいると毒見役殿がやってきた。


「おつかれさまでした。たらのトマト煮込みと赤ワイン、実に良い組み合わせでしたよ。果実味のある軽い赤と、トマトソースの酸味を含んだ濃厚な味。相性は最高ですね」

「そりゃどうも」


 気のない返事を返す。気のない返事しか返せねえ。全身から力が抜けている。

 だからといって、毒見役殿を蔑ろにしてるわけじゃあねえ。

 レナートの熱弁はたいしたものだった。侍従長、書記官、法務官……関係者たちを集めた晩餐会で、レナートは「赤色の魚料理」と「赤色のワイン」を組み合わせる意義を熱弁した。トマトソースや鱈の風味を、軽快で酸味の強い赤ワインの香りを、事細かに言葉に紡ぎながら。


「私としても、国王陛下に美味を味わっていただきたいですからね。障壁がひとつ取り除かれたのは、幸いでした」

「そりゃよかったな」


 ぐったり腰掛けたまま、短い言葉だけを返す。

 作った俺、言葉にしたレナート。ある意味共同作業と言えなくもねえ、のか。


「これからも、無用の規則は変えていきたいものですね。やはり、あなたを招いたのは幸いでしたよ。新しい風を吹き込んでくれたこと、感謝します」


 招かれたというか、脅されたんだがな――内心ではぼやきながらも、不思議な達成感が湧いている。

 ワインの色ひとつで、ここまでおおごとになるなら、先が思いやられるが。

 とはいえ、俺たちの心はひとつなのかもしれない。

 目指すべき、究極の到達点――すなわち美味い飯を、前にしたならば。



【了】

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伝統と新風 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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