ジェラートお姉さん

夏生 夕

第1話

いちご。

バナナに黒ごま、マロン。


ショーケースの前に突っ立って、色とりどりのフレーバーを覗き込む。暖かい風にストライプのネクタイが揺れた。


「お決まりですか?」


エプロン姿で微笑む女性に声をかけられ、顔を上げた。


「…バニラを、カップで。」


女性は笑顔のまま頷きケースから白いジェラートを掬い取る。

あぁ、またいつもと同じものを選んでしまった。いや好きよバニラ。でも毎回、何年も俺はこれしか食べていない。いっそ潔く最初から「バニラをひとつ。」とスムーズに買えばいいのだが、未練がましく毎回迷っている。

カラフルに並んだフレーバーを眺めてぼんやりしていると、歪な山脈のように盛られたジェラートが渡された。

店内を奥に進んで空いているスペースを探す。ある一ヶ所に目が留まった。

壁沿いの一番手前、ちょうどレジの陰になっている隅っこ。



今日も、いるなぁ。



優しいベージュのソファにどっかりと腰かける女性。まるで煙草を吸っているかのような、どこかアンニュイな雰囲気を纏っているが携えているのはジェラート。その姿勢も、白シャツにジーンズという出で立ちも、いつも通りだ。違うのはカップの中身だけ。今日は抹茶の気分らしい。


ジェラートお姉さん、と勝手に名付けている。


この店には小学生の頃からたまに親に手を引かれ友に手を引かれ幾度とやってきた。そのうちにいつの頃からか、このお姉さんの存在に気付き始めた。もちろん俺が来る度に座っているのではないが、かなりの高確率で出くわすのだ。

必ずこの隅っこで、ゆっくり一口ずつ噛み締める様がこの店の主のようだ。ひっそりどっかり座っているあたり、座敷わらしっぽさもある。

今日はそんな女性の隣しか空いていない。夏前の時期になり混んできたらしい。座る直前に軽く会釈したが、手元のカップから目を離さない彼女には見えていないだろう。


座ると、一気に疲労感が襲って思わず長い溜め息が出る。新生活、慣れないことだらけでとにかく動き回ることしかできず、更にそれがものすごく空回っている気がする。

一口掬って口に運ぶと、甘さが身に沁みた。コンビニのバニラアイスとは少し違った柔らかい風味とジェラート独特のほどける舌触り。今まで食べてきたこの味が懐かしく思えた。そう何ヵ月も長く来なかった訳ではない。確か卒業式前に来たはずだ。

しかし随分と遠い記憶に思える。また、今度は短い溜め息が口をついた。

それとともに脱力してしまい、指先からスプーンが滑り落ちた。


「あ、」


軽い音を立ててプラスチックのスプーンが足元へ転がる。視界の端にお姉さんの足が映った。


「すみません。」


それまでピクリとも目線を動かさなかったお姉さんが、拾おうとしゃがんだ俺を見た。


「君、わたしが見えるのか。」


「えっ。」


まさか本当に座敷わら


「冗談だよ。」


女性は真顔のままそう言って立ち上がり、背にしていたレジの方へ「スプーン…」と呟いた。え、今の何?

冗談を言われるので無いタイミングで、果たして冗談なのかも分からない言葉を投げかけられた。しゃがんだまま動けないでいると女性が新しいスプーンを差し出してくれた。


「はい、使いな。

バニラ君。」


「はい?」


反射的にスプーンは受け取ってしまったがますます分からない。目を白黒させている俺にお構いなしに、女性は元の姿勢に戻った。


「いつもバニラ頼んでいつも座席探すときに隅っこにわたしがいることにビクッとしているバニラ君。」


バレていた。いるかもしれないとは思っても、物陰に人がいると、しかも独特のオーラを放つこの人が座っていると多少驚くのだ。気付かれていたのはほんのちょっと決まりが悪い。


「毎回バニラ、だめですか。」


変な話しかけられ方をしたせいで、こっちもいじけたような変な返しをしてしまった。それが意外だったらしい、少し笑って女性は答えた。


「いいじゃないか、シンプルで王道。安定感がある。帰ってきた感があるでしょう。」


確かに女性が言うような、安心感を求めているのかもしれない。


「じゃあ、なんで毎回違うの食べてるんですか?」


女性がバニラを食べているところを見たことがあったかは分からない。しかし毎度違うフレーバーを選ぶ基準が気になった。聞いたとたん数秒ほどフリーズして俺に向き直った。


「ネクタイが変わると気分が変わるだろ。」


「まだ3本しか持っていないんで、なんとも。」


「そうか。でもそれなんだよ。」


「はい?」


「ネクタイみたいな。」


「ちょっと分かんないんですけど…」


俺の胸元を見ながら再び数秒フリーズして、女性は言った。


「ケースに並んでるの見て、摂取したい色で決めてる。」


「色ですか。」


「なんとなく色の持つ雰囲気ってあるでしょう。気分の上がる色とか落ち着く色とか。

その時自分がどうなりたいかで決めてる。味はもう分かってるし。」


味はもう分かるほど通ってんのかこの人は。

さっき言っていた意味が少し分かった。身に付けるネクタイによって見られる印象は変わるだろうが、まずは自分の気分が変わる、変える為に色を選ぶってことか。

それで言えば無意識に安心感を求めた結果、王道バニラを選んでいるらしい俺も同じだ。


「まぁ、好きなものをお食べよ。」


そう言うと女性は、もう一度少しだけ笑った。今更こうして会話していたことに妙に照れて、彼女の手元のカップに目線を逸らした。


「…次、抹茶食べてみます。」


そう言って立ち上がり、まだ日の長い外へと歩きだした。






「ちょっと店長、休憩終わり!」


背にしていたレジからバサッとエプロンが降り下ろされた。


「はいはい。」


ソファから立ち上がって大きく伸びをする。スーツの青年が出ていった出入口を改めて振り返った。彼が制服でやって来ていたのはこの春までだが、随分昔に思える。名前を知りもしない人の成長を感じて不思議な気分だ。


「バニラ、そろそろまた改良するかね。」


シャツの上にエプロンを付け、厨房へ戻った。

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ジェラートお姉さん 夏生 夕 @KNA

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