カラフル
宮野優
カラフル
僕らの十人十色の重なりにできた色が
黒だけとは限らないさ
LAST ALLIANCE「エイミーシンドローム」より
■■■
正直わたしも蒼のことはちょっといいなって思っていたけど、でも赤音と彼が並ぶと文句なしにお似合いのカップルだったから、ここは諦めるしかない。
それに蒼にはほのかに好意を抱いていたけど、わたしはまだ誰かとカップルになるということを現実的に考えられずにいた。
誰かと一緒になるって、なんだか怖いって感じる。みんなはそうじゃないんだろうか?
「おめでとう。一緒になるのは卒業してからか?」
先生がそう聞いた。在学中にカップルが成立することはよくあるけど、一緒になるのは学校を卒業して大学に入る前というカップルが多い。
「いえ、すぐにでも一緒になろうって話してます。ぼくたちは親がいないから、子供を作ることに憧れがあって」
「そうか、それもいいかもしれないな。私もよく覚えていないが、子供を作るのはいいぞ。自分の分身がこの世界に生まれてくる喜びは、何ものにも代えがたい」
先生はそう言って笑っていたけど、でも自分でもよく覚えていないんでしょ? とはどうしても思ってしまう。子供を作るって、本当にそんなに素晴らしい体験なんだろうか。
「蒼の数学の知識とわたしの地理の知識、二つを合わせたらずっと賢くなれると思って。先生、子供たちが入学したらまたよろしくお願いしますね」
赤音の幸せそうな笑顔は眩しかった。それを見ていると子供を作るという行為に疑問を感じているわたしがおかしいような気がしてきた。
「ああ、赤音と蒼の子供を教えるのが楽しみだよ」
***
「考えてくれた? 一緒に福岡に来る話」
ネクタイを外しながら
「ごめん、まだ返事は待ってもらえるかな。今の研究を本社以外でできないか検討中で」
とは言うものの私の研究には本社の設備が不可欠だったから、福岡支社への転属願いを出すなら研究は誰かに引き継ぐしかなくなるだろう。だから保留にしているのは、彼について行くために研究を諦めるか、研究のために彼との未来を諦めるかという二択に答えを出す時間がほしいからだった。私は繁治のことを何でも理解しているとは思っていないけど、この局面で遠距離恋愛という選択肢が彼の中にないことくらいはわかっている。
「それはいいけどさ、真面目に考えてほしいな。二人の将来のこと。俺はちゃんと考えてるからね? 理沙ちゃんの人生に責任を持ちたいって」
繁治からはっきりとしたプロポーズをされたわけではなかったけど、彼がはっきり結婚を意識してくれていることもわかっている。私が福岡支社に行っても、転職しても、なんなら仕事を辞めても彼は責任を持って私を養う気だろう。
私にだって二年間付き合ってうち一年同棲していた彼に対して何らかの責任を持つべきなのかもしれないという思いはある。けれど責任なら今の仕事にも――あの世界にも負うべきであるはずで、だから私は答えを出せずにいた。
■■■
「うわー、かわいい! よく見ると三人とも面影ある!」
「目元が昔の蒼にそっくり」
「この子は鼻の形が赤音にそっくり」
わざわざ三八〇メガドットの距離を移動して産院から学校に顔を見せに来た赤音と蒼の子供たちに教室は湧き立った。わたしも二人の子供に会えるのは嬉しかったけど、それ以上にどうしても、心に穴が開いたような気持ちが消えなかった。
もう二度と、わたしたちは赤音と蒼に会うことはできない。
「朱美、どうかした? なんだかぼーっとしてるけど」
「ううん、なんでもない。それより本当に三人とも赤音と蒼の子供って感じだね。紫乃が一番蒼に近い肌の色かな」
最近のわたしは考え事ばかりしてしまう。赤音と蒼が三日間の子作り期間に入ってからは特にそうだ。
三人の子供たち――紫乃、紫杏、赤朗を改めてじっと見る。親がいない神生児の赤音と蒼は原色の赤と青の肌をしていた。三人の子供はその二色を混ぜ合わせたような色をしている。ただ赤朗に関しては赤紫を通り越してほぼ赤色で、よほど赤音の特質が色濃く出たようだ。赤音は蒼より早く生まれたはずだから、彼女の特質の方が強く出るのは自然なことだ。
三人は赤音と蒼の知識を受け継いでいる。蓄えた数学と地理の知識は整理され、空いた脳の容量にもっと情報を詰め込みやすくなっているはずだ。
けれど三人に共に学校で過ごしたわたしたちの思い出はない。記憶容量を空けるためにエピソード記憶はほとんど削除され、意味記憶のみが引き継がれるかららしい。
わたしは想像する。赤音と蒼が一緒になって、溶け合い融合し、繭となって、二人の意味記憶が混ざり合い整理され、エピソード記憶が消えて、そこから三人の子供たちが生まれる様を。先生やみんなが言うように、それは素晴らしいことのはずなのに、わたしは消えてしまった赤音と蒼のことが心に引っかかり続けている。
自分の朱色の掌を見る。赤い肌の父と黄色い肌の母が一緒になって生まれたのがわたしと二人のきょうだいだ。わたしたち三人を生むために、父と母は消えた。いや、そんなふうに考えるのはよくない。父と母はわたしたち三人に生まれ変わったのだ。だけど思い出が、エピソード記憶が消えたのなら、父と母の生きた証はどう残るというのだろう? 父や母を覚えている他の誰かの記憶の中で? でもその人も誰かと一緒になって三人の子供に生まれ変わったら?
***
答えが出せないまま一週間が経ってしまった。
気分転換に席を立って、わたしはサーバールームに足を踏み入れた。この部屋の中央にあるスパコン――本社にしかない容量四エクサバイト、メモリ三十二テラバイトのマシンの前に立つ。
この中に、私が手塩にかけて作り上げた箱庭がある。
物理法則は完全に現実世界をシミュレートできないし、世界の構成要素も素粒子ではなくドットから成るヴァーチャル世界。
最初にこの世界を構築した先輩社員は単純な人工生命を放ってその進化を観察していたが、私がコピーした世界を一つ株分けされて任されるようになってからは、世界の稼働部分を狭くしてメモリを節約した上で、かなり人間に近い思考ができるAIを配置した。
彼らはデフォルメした人型の姿をしているが、表面の肌の色がカラフルな原色だ。彼らは基本的に自分たちの生きる世界を知ることに興味を持つ。外敵もいない、寿命以外で死ぬことのない世界なので、ひたすら学問をやる余裕があるのだ。
彼らは男女で
最近ではある学校――彼らが少しずつ知恵をつける過程で自然にこうした施設が誕生した――で若い二人がカップルになった影響で、にわかに周辺が色気づいてきているようだ。AIは人間ほど複雑な情動を備えてはいないが、彼らの恋愛模様は安い恋愛もののテレビドラマや漫画なんかよりは見ていてずっと楽しいと私は思っている。
そんな中に、一人気になる個体がいた。その子は周囲の熱に当てられた様子がなく、恋愛に消極的なようだった。
私はなぜかその子のことがずっと気になってしまっている。サーバールームの騒音の中でも、気づけば彼女に思いを馳せている。
こうなったら直接言葉を交わしてみよう。そう決めて私は自分のデスクに戻った。
■■■
神殿に呼ばれたのは初めてのことで、わたしはずっと緊張していた。
ここまでの道のりは神の手で瞬時に移動させられた。そういうものがあるとは聞いていたけど、ほんの一瞬の間に学校から二二〇メガドット離れた神殿が目の前に現れたときは驚きで声も出なかった。
神殿の中央には一人の女が立っていた。肌の色がこんなに薄い人を見たことはないから、この人が創造主なのだろう。創造主がこの世界に下りてきてわたしたちとお話されるときはわたしたちと似た仮のお姿で現れると聞かされていたけど、本当の創造主の姿はどんなものなのだろう。
「あなたと言葉を交わすのは初めてね。よろしく、朱美」
「はい、よろしくお願いします、創造主様」
「そんなに緊張しないで楽にして。ただちょっとお話がしたいだけだから」
「はい……あの、わたし何かよくないことをしてしまったんでしょうか?」
「どうしてそう思うの? 何か悪いことをした心当たりがあるの?」
「いえ、悪いことというか……わたし、最近周りの子と同じようにやれてなくて」
「それは周りのように恋愛に興味を持てないということ?」
――創造主はわたしたちの日々の営みを全て見ておられる。先生が言っていたことは本当だったようだ。
「はい、そうです……」
「理由があるなら聞かせてもらえる?」
「最近、同じ学校の赤音と蒼って子がカップルになったんですけど」
「ええ、知ってる」
やはりこの人は全てをお見通しらしい。
「二人が一緒になって子供を作ったとき、わたし、もうあの二人には二度と会えないんだって思っちゃったんです」
「そうね、あなたたちにとって子孫を作るということはそういうことだから」
では創造主は違うのだろうか? それとも創造主は子孫なんて作らないのだろうか?
「それでもし自分が誰かとカップルになって、子供を作ったら、自分は消えてしまうんだってことを意識するようになって、それが怖くて恋愛に踏み出せなくなりました」
わたしが一気に告白してしまうと、創造主は何事か考え込んでいる様子だった。
「あなたの知識はあなたのパートナーの知識と統合されて、三人の子供たちに引き継がれる。その三人の子供たちもいずれそうやって誰かと一つになり、子孫を残す。あなたの知識は脈々と受け継がれる。それでもあなたが消えてしまったと言える?」
「わかってるんです、それは。みんなそう言ってる。たぶんわたしが臆病なだけで何でもないことなんだって。でも――」
これは何か決定的な一言になってしまう気がした。でも構うものか。ここまで来たら全て正直にぶちまけてしまえ。
「わたしは、わたしのままで生きていたいんです」
気のせいだろうか。創造主がはっとしたような顔をしたのは。
「それは、あなたが寿命で死ぬまで? 死ねば子孫に情報を残すこともできないのに?」
「……わかりません。でも、もうしばらくは」
「わかってると思うけど、あなたたちが子供を作るとき、日齢差があると若い方の特質が出にくくなるし、ただでさえほとんどが消えてなくなるエピソード記憶も残りにくくなる。だから日齢を重ねた女はどんどんパートナーが見つかりづらくなる。それも承知の上? 後になってから後悔しない?」
なぜ女はと言ったのかはわからなかった――この場合条件は男女どちらも同じはず――が、創造主の言ったことは大体が既に自分で考えていたことだった。
「後悔するかもしれないけど、それでも今はまだ、わたしのままでいたいです」
***
「ごめんなさい、私福岡には行けない」
帰宅早々にそう言い放つと、繁治は呆気に取られていたが、すぐに怒りを露わにした。
「理沙ちゃんさあ、本当にちゃんと考えてる? 言わなきゃわかんないなら言うしかないけど、これは本社での仕事を取るか、俺たちの未来を取るか、二つに一つの問題だよ?」
「ええ、わかってる。私はあなたとの将来より仕事を取る」
「いや、そんなあっさり済む話じゃないでしょ。俺はさ、福岡についてきてくれたらちゃんと親にも紹介して、籍も入れて、子供も作ってとかそういう将来設計をしてたわけ。遊びで付き合ってたわけじゃないんだよ。それを転勤したくないってだけで全部なかったことにってさ……無責任で申し訳ないとか思わない?」
「うん、悪いと思ってる。でも私は今の仕事を投げ出せないし、他の誰かにも任せたくない。ここでしかできない仕事だから、シゲくんにはついて行けない」
「仕事ってあれだろ? 箱庭のお人形遊びが、結婚して本当に子供作って育てるより大事? わかんねえなあ。結局子供を産んで育てるのが女の一番の幸せだろ? おまえみたいな生き方、最後には後悔することになんだって」
彼にこういう思想があることは薄々感じていたが、ここまではっきりと口に出してくるとは思わなかった。いっそ感謝したいくらいだった。これで清々した気持ちでお別れできる。
「そうかもね。もしかしたら後悔するときが来るかも。でもシゲくんさ、気づいてる? 自分は福岡行きをわたしに相談なく決めたってこと。私のために東京に残る道を、一度でも探してくれた?」
「だからそれはさあ、簡単に転勤断ったり、まして仕事辞めたりなんてできないってわかるだろ? 男の責任ってもんがあるだろ」
「うん、そういう考え方があってもいいと思う。だからその男の責任は、誰か他の人のために果たしてあげて」
■■■
「先生、さようならー」
「気をつけて帰りなさいね」
学校に通い始めたばかりの生徒に手を振り返した。原色の真っ赤な肌の子供――あの子、赤音と同じ肌の色だ。
ふと昔創造主とお話した日のことを思い出した。この世界を作った偉大なお方に「わたしのままで生きたい」だなんて。本当に無鉄砲で若かったものだ。
あの後も結局誰かと一緒になることがないまま、わたしはわたしのままで生きている。一人で蓄えられる知識は二人で融合して子供に受け継いでいくのと比べると効率が悪い。世代を重ねた人たちにはどうしても劣ってしまうけど、そんなわたし程度の知識でも使いどころはある。両親から生まれたのではなく創造主が直接生み出す神生児には最低限の知識しかないから、わたしでも十分に教えられる。
わたしの寿命はそう長くない。今更誰かと一緒になる機会もなさそうだから、わたしは自分の知識を継承できないまま消えていくだろう。
でも今はそれでいいと思える。神生児の生徒たちの中でわたしが教えたことが息づいていてくれれば、わたしの朱色の肌の色素を受け継ぐ子供がいなくても構わない。
――後悔は、せずに済みました。今思えば不思議と何かを悩んでいたように見えたあの創造主に、そう伝えることができたら。そんなことを考えたが、やはり必要ないだろうなと思い直した。きっと今もあの人はこの世界を、わたしたちを見守っている。今のわたしの姿を見てくれていたら、それで十分に伝わったはずだ。
“Colorful or: Three of a perfect pair?” closed.
カラフル 宮野優 @miyayou220810
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