断章ー弐

透峰 零

聖女は夕日と共に生まれいずる

 私の学校には聖女がいる。

 もしかしたら魔女かもしれないけれど、本人が「魔女は嫌なの」と言ったので仕方がない。




 コトの始まりは四月だった。

 入学式も終わり、皆がまだ慣れない教師や校舎にそわそわしている頃である。

 大学までの一貫教育を取り入れている学校なので顔見知りも多いが、中等部から編入してくる子もいる。もちろん、その逆で別の中学校に行ってしまう子もいるわけだけど。


 新しく関係を構築しようとする子もいれば、すでに見知ったグループで固まっている子もいる。どこの学校でもこの時期にはギクシャクとした空気が広がるものだ。

 ここ、聖堂学園中等部も例外ではない。

 そんな中、霊感があるという少女がクラスに現れた。曰く、人のオーラを見ることができるという。

 知らない子だった。中等部からの編入組なのだろう。

「あなたは明るいオレンジ色だね。この色は、明るくて元気な人に多いよ。あなたは緑色だから、きっと平和的で皆の癒しなのかもしれないね」


 今日も放課後だというのに、彼女の周りにはたくさんの人が集まっている。その人気たるや凄まじく、他クラスからもわざわざ足を運ぶ子もいるくらいだ。席が真後ろなので仕方のないことだが、キャーキャーという声は少々煩わしい。だが、注意するのも自分勝手というものだろう。彼女達に悪気はないのだから。

 本当は読んでしまいたい本があったが、こんな状況では集中できない。癪ではあるが、さっさと帰ってしまおう。

 そんな風に、燻った思いを抱えて鞄に本を突っ込んだ時だ。


「ねぇ、色が違うよ。どうしてそんな嘘つくの?」


 と、心底不思議そうな声が後から聞こえたのは。

 かしましい声が、ぴたりと止んだ。

 振り返った私の目に映ったのは、目を瞬かせた一人の少女だった。おそらく、声の主は彼女だろう。

 光葉叶子。私と同じ、初等部からの進学組のはずだ。クラスが同じになったのは今回が初めてだが、珍しい苗字と特徴的な外見なのでよく覚えている。


「その子の色は赤いから、危ないよ? ちゃんと言ってあげないと」

 当たり前のように告げられ、自称・霊感少女が口をあんぐりと開ける。だが、すぐにその顔が真っ赤に染まった。

「嘘なんかじゃないもん!」

 大きな声だった。私と同じように教室に残っていた何人かの子が、驚いて彼女の方を見るくらいには。

 立ち上がった少女の拳はぶるぶると震えている。怒っているのだ。でも、光葉が怖がる様子はない。彼女は本当に、全然わからないという顔をしてもう一度言った。


「でも、赤いよ」

「だったら何よ!」

「何って」


 どうしてそんな簡単なことを説明しないといけないのだろう、とでも言いたげな表情のままで光葉が続ける。


「死んじゃうよ?」


 顔色を変えたのは、霊感少女ではなく「死んじゃう」と名指しされた少女の方だった。顔を真っ青にして震える彼女を安心させるように、光葉は「あのね、みんなもだけど。帰りはいつもと違う道を通った方が良いよ。多分それで大丈夫だから」と告げた。


 それだけ言うと、さっさと教室から出て行ってしまう。彼女の鞄についたチャームが夕日にきらりと輝いた。三角形のフレームに青い瞳が嵌められた、変わったものだ。その瞳と目があった気がして、慌てて私は目を逸らした。


 その日の夜、学校の近くで大きな事故があったとニュースで知った。なんでも、建設現場の鉄骨が落下してきたらしい。生徒もよく使う道だったが、巻き込まれた者は奇跡的にいなかったという。



 それからと言うもの、光葉叶子は皆のヒーローだ。いや、ヒロインというべきか。

 とにかく、瞬く間にみんなの中心人物になった。

 本物の霊感少女。

 一歩間違えればいじめに繋がるかもしれないが、彼女の場合は求心力があった。ああ言うのを、きっとカリスマというのだろう。

 いつも穏やかだし、人の悩みを聞いてくれる人徳者だし、何より彼女の容姿は人目を引いた。

 前髪に隠れている、片方だけ青い目。神秘的で綺麗な色。あの目でじっと見つめられると、つい何でも話したくなってしまう。不思議な色だ。

 そんな人気者な彼女と私が関わるようになったのは、委員会が同じだからという単純な理由に他ならない。


「光葉さんは、人のオーラが見えるの?」

 ある日の放課後、私は思い切って彼女に尋ねてみた。下校時間まではまだ時間があったが、教室には私と彼女の二人だけしか残っていない。

「ほら、あの。二週間くらい前に言ってたじゃない。「色が違う」って」

 きょとんとする彼女に、私は言い募った。そこで、光葉はようやく思い出したらしい。「ああ」と軽く笑った。

「オーラかどうかは分からないけど、人の色は見えるよ」

「それって、どんな?」

「うーん、緑とか黄色とか。どういう法則があるかは、あたしもよく分かってないの。でも、赤は危ない色なの。お爺ちゃんが昔よくそう言ってた。手遅れだって」

「お爺さん?」

 光葉が頷く。傷んだ募金箱にセロテープを貼って補強する白い指が、夕日に照らされてやけに艶かしく見えた。

「もうずっと前。あたしが子供の頃に死んじゃったんだけどね」

 その言い方に奇妙な引っ掛かりを感じる。私も、光葉も、まだ十分に子供だ。でも光葉に訂正する様子はない。

「あたしもね、何度か見ていると何となく分かってきたの。赤い色をしている人はもうすぐ死んじゃう人だったり、あるいは死んでる人ばっかりだから」

「死んでる人……?」

 そこで、また違和感があった。死人なんて、十三年間生きてきたけどそんなに頻繁に見れるものではない。お葬式で見たとかだろうか。でも、それにしては何か変だ。

 光葉が手を止めて私を見た。

 傾げた首の動きに合わせて、前髪が揺れる。その奥から覗いた青に、困惑する私の顔がはっきりと映っていた。

「そんな不思議な話じゃないでしょう? 死んじゃった人なんて、生きてる人より多いんだから」

「幽霊ってこと……?」

「そうね、そういう言い方もできるかな」

 赤い光の中で白い指が踊る。鋏が紙を裂く乾いた音に合わせて、黒い影が別種の生き物のように机上を彩った。

「あれはきっと血の色なんだと思う。どこか――その人のいる運命が傷ついちゃって、その穴から血が流れている色」

 鋏を置いた彼女が、端切れになった紙を掲げて揺らす。真ん中にぽっかりと空いた穴から、彼女の青い瞳が覗いた。

「流す血が残っている人は幸せよ。血がある間に死んじゃえる人もね」

「矛盾してるわ。血がなくなると人は死んじゃうものでしょう?」

 私の指摘に、光葉は穴の向こうで嬉しそうに笑った。

「可哀想なことにね、死ねない人もいるの。でもそういう人は見たらすぐわかるわ。その人の形の穴だけが残ってて真っ黒だから」

 抽象的で概念的な話だった。ただ、一つだけ理解できることがある。この世には私が認識できないルールがあって、知らないうちに人と違うものが混ざっているのだ。それを私の目では見破れない。

 改めて考えると、急に恐ろしくなった。教室の温度が一気に下がった気すらして、私は無意識に両腕を抱き寄せる。

「怖い?」

 彼女の問いに、私は頷く。

「大丈夫よ。穴は塞げばいいだけなんだから」

 切り抜いた紙の片割れを机から拾った光葉が、穴の空いた紙の上に重ねる。

「完璧に元通りにはならないけど、こうすれば誰にも分からないわ」

 セロテープが上から貼られ、歪ながらも世界という運命かみは修復される。

 渡されたその紙をまじまじと見つめ、私はため息をこぼした。

「あなたの言葉、まるで魔女みたい」

「魔女か。良いわね、魔女。あたし大好きよ。憧れていたもの」

 光葉が上品に微笑んだ。

「でも、私は魔女になれないの」

「どうして?」

「だって、魔女は異端だもの。いずれ殺されてしまうわ。ジャンヌ=ダルクだってそうだったでしょう? 聖女と言われていたけれど、最後には人に裏切られて魔女とされた。人の言葉には力がある。ただの人を聖女にし、そして魔女へと堕とせるくらいにはね」

 そう言う彼女の言葉にこそ、魔力が宿っているようだった。

「それに、魔女の役は他にいるもの」

 微笑んだまま、彼女は鋏の刃を虚空で噛み合わせる。ショキリ、という乾いた音が赤い空間を切り裂いた。


「もうすぐ舞台に上がって来るわ」


 嬉しそうに、彼女は言う。

「だから、あたしは魔女ではないの。魔女を断罪する聖女がいい」

 鋏を置いた光葉が、ぐっとこちらに身を乗り出した。

「ねぇ、あなたはあたしを聖女にしてくれる?」

 青い瞳に私が写っている。

「……うん」

 気がつけば、私はそう答えていた。

 具体的にどうすればいいのかは分からない。けれど、彼女が言うように人の言葉には力がある。

 私が、みんなに光葉は特別だと言えば――そうすれば、きっと彼女は聖女になれるのだろう。




 かくして、私の学校には聖女が誕生した。

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