第2話 後編

「目が覚めた?」

 言葉を重ねて聞くと、いくどか目をしばたいたあと、こたつの中に顔を隠してしまった。

「おい、中田。寝んのか?」

「……ごめん」

 布団のなかからくぐもった謝罪が聞こえてきた。

「なんで謝んの? あー、もしかして、誰かと間違えた? さっき、こたつからでようとしたとき、引き留めたじゃん。思ってた相手がオレじゃなかったりして」

「違う。平坂が立ち去って行ってしまうと思って、掴んじゃったんだよ。夢、だと思ってたのに」

 答えに窮するような、最後の言葉は消えるような小声だった。

「オレはどこにもいかないよ。まあ、そんだけ酒飲んだら、夢もみるよな。ぐでんぐでんでさ。ここまで連れ帰るのも大変だったんだぞ」

苦笑ぎみに言う。責めてはいない。ただ、愚痴らせて。

どうして、酔うまで飲んだのかは気になるが、聞く気はなかった。言えるなら、きっと、すでに言っているだろうから。

「悪い」としゅんとした声で言う中田の頭に、布団の上から手を置いた。

「風呂、入るか?」

「い、いや。いい」

「わかった」

 起きたのなら、飲み物でも持ってくるか。

 もう一度、こたつから出ようとすると、

「少しだけ、いい?」

 こそっと目だけを布団からだした中田が呼び止めた。

 くせっ毛のやわらかい髪の毛が後ろに流れ、目もお酒のせいかうるんでいる。

 普段はキリっとしたイケメンなのに、今は、ほんわりとした美青年のように見えた。

「……、お前ほんとに中田か?」

「どういう意味さ」

 声は、テノールとバスの間ぐらい。間違いなく中田だ。

「いや、なんでもない。話なら聞くけど、ちょっと待ってろ。水持ってくる」

「サンキュ」

 中田は頭を抑えながら、ゆっくりと体を起こしていた。


「ほらよ」

「わるいな」

 〇〇水と書かれてあるペットボトルを手渡すと、勢いよく飲んだ。

 飲み終わっても、なかなか話をしない。

 テレビもついていない静まり返った部屋の中で、ペットボトルの印字されているフィルムを爪でいじる小さな音だけがしていた。

 さっさと決断して、行動にうつす中田ばかり見てきたせいか、目の前で言いにくそうにしている中田が別人に見える。

 それでも待っていると、「なあ」と声をかけてきた。

「人事異動発表もうすぐだろ?」

「そんな季節か」

「俺さ、たぶん異動になる」

「打診がきた?」

「ああ。本社だって」

 本社と言うと、東京だ。今いる支社からだと、新幹線で数時間はかかるだろう。

 酒を酔うほど飲んでいたのは、そのせい?

 だとしたら、『おめでとう』と言わない方がいいのだろうか。

 オレと焦点を合わせない中田との空気感に、喉がかわいた。飲み物を取ってこようと立ち上がった。


 戻ってくると、中田はこたつの台の上にあごをのせてぼんやりしている。

 嬉しくないことが一目稜線だった。

「断ればいいだろ」

 そう答えていた。

「もうすぐ辞令が出る」

 オレは、座って中田が飲んでいるものと同じペットボトルのふたを開けた。

 一口飲んでから

「理由は?」

 と聞いた。


 しばらく無言だった中田が口をとがらせて言いにくそうに口を開く。

「笑わない?」

「……笑うことなのか?」

「幼稚だって言うなよ」

「へー」

 もうすでに子どもがすねたような顔をしている。

 まだ完全には酔いがさめていないのか、普段とのギャップと、幼さにほほがゆるみそうになってくる。が、ここは我慢だ。

「言ってみろよ」とうながした。


「平坂、いないし」

 ぼそっとつぶやくように言う。

「そりゃそうだろう」

 突っ込むようにして言うと、もっとすねた顔になった。

「……ふっ、あはははっ」

 ふくれっ面に、思わず笑ってしまい、しまったと口を手でふさいだ。

 そろっと、中田のほうへと顔を向けた。下を向いていた中田は、

「やっぱ、笑った」

 だから言いたくなかったんだと、座ったままこたつ布団を頭からかぶってしまった。

 こたつの中に冷気が入ってきて、脚が寒い。

「謝っから、布団をもとにもどせって」

 ぺりっとはがすと、半べその中田がいた。

 ドキッとした。女性を泣かせたわけでもないのに、気持ちが焦る。

「……悪い。そこまでショックを受けると思わなかったんだ」

「いいさ。平坂は俺がいなくなっても寂しくないんだろ」

 オレから顔をそらして言う。

 中田のつむじは右回り。なんて、どうでもいいことに目がいってしまう。

 それはたぶん、笑ってしまったことへのバツの悪さからだ。


 オレは人とのコミュニケーションにこだわりがないせいか、人との付き合いも薄い。それでも会社の中で楽しくやってこれたのは、中田が仲介役を引き受けてくれていたからだ。人の輪に引っ張ってくれる中田がいなければ、飲みに行くことも少なくなるだろう。

 人間関係に関してではなく、中田がいないという日常はきっと寂しいということは容易に想像がついた。

 いなかったらいないで、日常は過ぎていく。

 それはわかっていて、なお、どう思うのか聞いているのだろう。

 それに、オレの日常は中田が抜けるだけだ。だが、中田は、また新しい人間関係を築いていかなきゃならない。

 どう言えばいい。

 ただ、寂しいというだけではダメなような気がして、なかなか言葉がでない。


「旅行にでも行くか?」

 ふと思いついて言ってみた。

「え」

 酔いがさめたような、ハッとした顔つきになった。

「カニだ。カニでも食べに行こうぜ」

 中田は大きく目を見開いたあと、「いいね」と嬉しそうに笑った。


 スマホで旅館を検索する。眠いが、寝ると朝が来てしまう。

 朝が来ると、中田は帰ってしまう。もう少し話していたくて、だらだらとこたつの中にいた。

 お互いにどこか空いている旅館がないかと探しながら、話をする。

「寂しかったら連絡しろよ」

「ビデオ通話でも?」

「いいんじゃね」

「夜中でも?」

「起きてたらな」

「会いたくなったら?」

「まあ、いつでも来いよ」

「……、なあ」

「なんだよ」

「ぎゅっとしていい?」

 肩肘をつき、手のひらにほほをのせている中田が聞いてきた。

 笑ってもいない、少し緊張しているような面持ちで。


「ハグね。いいぞ」

 ここには、誰もいない。

 オレと中田がいるだけだ。人の目もない。

 外国じゃ、ただの挨拶にすぎない。

 惜別の雰囲気に流されたのかもしれないが、膝立ちになったオレは、中田の肩に腕をまわした。

 腕を離すと、中田はこたつの布団を頭からかぶって呼んでも出てこなかった。

 なんなんだいったい。

 布団から出ている彼の背中をポンとたたき、「風呂に入る」とこたつから出た。

 そのあと、中田のうなりごえが聞こえたのは、気のせいだったか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

酔いのわけは 立樹 @llias

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ