(三)-9

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「……また、お会いできますか」

「縁があればの」

 しみじみとした笑顔での返答に、俊輔はまた下を向いた。そういえば、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。亡き師匠が生きていればこの人と同じほどの年齢だ。

 一瞬で巨大化した願望を、必死の思いで抑え込んだ。大久保が江戸を発つまでの期間で、国元の親を説得して隠居の手続きを終えるなど不可能だし、脱藩は論外だ。それこそ大久保に大迷惑がかかる。

 何よりも、いったん誓った舌の根も乾かぬうちに前言を翻すような男には、それこそ天はそっぽを向くだろう。だがそれよりさらに大きな理由がある。

 他人の中に光を求めてはならない。どれほど優れた人々との出会いに恵まれようと、真に自分を救い、導き、向上させてくれる主君、師、そして同志は、自分自身のほかにはないに違いない。

 涙がまた流れ出した。悲しみの涙ではないし、喜びの涙でもなかった。二十二にして人生の真理を悟ってしまったがゆえの、粛然の涙だった。

 言葉に出されずともそれが伝わるのか、大久保も、声も出さず身じろぎもせずその落涙の様を見つめていた。


 ときつ風、花も嵐も踏み越えて、西からあるいは南から。

 風雲急を告げる中、すれ違いたる狼二頭。

 幕府倒壊の六年前、この優しい羊の国には稀有な一匹狼の心を持った男が二人、たまさか出会いそして別れた。

 古きものを滅ぼしつくす激烈な炎の翼にはまだ及ばないが、光を放つ翅を確かに背中に萌させている、明治以降現代にいたるまで百代に達する内閣総理大臣の初代となる男と、その前身たる内務卿の初代を務めた男の、むろんお互いそのような未来を知るはずもなき一夜であった。


(完)

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放光の翅 小泉藍 @aikoizumi2022615

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