第7話

 それからしばらく、立ち尽くして海を見ていた。夜更けの海は真っ黒で、闇夜をそのまま吸い込んでいる。

 このまま吸い込まれてしまうのもありだろう。

 いや、それはなし。めぐると心中がしたいわけじゃない。

 今になって、ようやくめぐるが別の道を歩いていたように感じた理由がわかった。めぐるの目的地はここだったのだ。通りで、私との距離は離れるわけだ。

 私の目的地は、金沢。観光がしたいから。普通帰る。少なくとも、今日帰れないことを親に伝えるべきだろう。

 私はスクールバッグを肩にかけ、めぐるが持ってきていた大きなボストンバッグを両手で持ち上げた。意外にも、さほど重くはなく拍子抜けする。よく考えたら、「そりゃそうや」。

 バッグを持って移動した先は、来た道から少し外れたところにある電話ボックスだった。『旅先からふる里へ電話してみませんか』そんな張り紙がされている。

 私が電話ボックスに行った理由は二つで、親に安否を伝えられることと「ここなら眠れるのではないか」と考えたことによる。

 きっと、あのタクシー運転手さんは待っている。それに乗れば旅館にも行ける。その時、私だけ乗って片方自殺したと思われるよりも二人で心中したと思われる方が素敵だ。

 電話ボックスのドアを開ける。思えば、これが人生で初めてだ。

 電話ボックスの中には当然緑の公衆電話。だけど、その横の台に10円玉が何枚か入った小さなトレーと白い背景に黒い文字がパッケージングされたたばこ、最初の数ページが捲れた状態の聖書があった。

 私は、足元にめぐるのバッグを置いた。それだけで中の敷地はほとんど占領されてしまって、「こんなに狭いんか」と少し驚く。足の置き場に苦労してタップダンスを踊ってるみたいになりながら、なんとかスペースを作り出した。

 しゃがみ込み、バッグのジッパーをジーッとと開ける。めぐるの秘密がむき出しになる。

 中には、印刷されたマップ。これは私が上に置いたやつ。その下に靴。これも私が置いたものだ。取り出す。

 その下には、『るるぶ』が入っていて、その横に小説の単行本が積まれていた。後はタオルくらいで、着替えはない。そのままカバンの内ポケットを探すと、財布が出てきた。

 ポーターの革財布だ。「蛇とか鰐とかなんか嫌やー」。そんな声が容易に脳内で再生される。

 財布を手に持つ。ずっしりと重かった。財布を開く。カード類は入っていない。気になるのは、はみ出している諭吉さんの方だ。一挙にガバッと開いて、そこに入っている一万円札を数える。

 ……15、16、17、18。

「18」

 何かの呪文かのようにその数字を唱える。

 私がこの前夕陽さんに私たちカナンヨンドシーのネックレスがちょうど一万円だった。

 それが18回分。

 なんだって買える。クロエの長財布も、ティファニーのネックレスも、きっと見繕えばエルメスのバッグだって買える。

 夕陽さんが私の贈ったエルメスのバッグを身につける姿を想像する。まず、その事実に高揚してしまう。お姉さん気質だけど少し幼く見える夕陽さんがそれを身につけると、急に大人になる。そのギャップにやられる。

 そんなことを思いながら、私は18枚の一万円札を10円玉の入っていたトレーに入れた。財布の小銭入れも開け放して、バラバラ、キャラキャラとトレーに小銭が落ちていく。

 空っぽになった後、私は財布をめぐるのバッグに戻し、それを枕にして眠った。

 「眠った」といってもそう簡単に眠れたわけではない。電話ボックスの中は狭いし、ガラス張りは見透かされているようで落ち着かないし、緊張していた。

 けれど、その緊張も疲労でだんだんとけていった。そして緊張が完全に解け、ぐでんぐでんになって、私は眠った。

 目が覚めたら、朝だった。当然のことをそう表現したのはガラス越しに差し込んで来た陽の光の大きさに驚いたからだった。

 目を擦って目を凝らすと、もう何人かの観光客がやってきている。じきにここは埋め尽くされるだろう。

 そうなるまでに帰ろう。綺麗に終わったことを事件だと騒ぎられたくはない。

 そういえば、親に電話するのを忘れた。まあ、ここまで来たらもういいか。

 電話ボックスを出る。隅っこの方でめぐるのカバンを開き、プリントアウトされたこの辺の地図を見る。地図にはサインペンで書き込みがしてあった。敦賀駅に大きな丸。芦原温泉駅に丸。その二つの丸の間に電車の時刻と名前。東尋坊に小さい丸。芦原温泉との間に『バスまたはタクシー』の文字。

 もう一枚地図がある。それは、福井県北部から石川県をズームアップした図だった。

「あっ」

 その駅の丸付けすらもされていない地図の中に、一つの文字列を見つける。小さな丸の横に、『旅館16時』と書かれていた。

 枯れる前の花が落とす枯れた種みたいだと思った。少し笑った。

 金沢に行こう。


「予約しとった小清水です。もしかしたら、友達の……いやえーっと……まぁ、友達の名義になっとるかもしれないんですけど」

「ちゃんと小清水で予約されてるから安心して」

「良かったです」

「それにしても、一人で来たの?」

「実は途中まで一緒におったんですよ。でもそいつは途中でお別れになってもうて、金沢は私一人ですー」

「そうだったの。あなた、高校生でしょ? そのくらいの子は友達とよく来るからちょっとびっくりしたの。あとは、恋人ね」

「恋人ですか」

「小清水さんはいないの? 恋人じゃなくても、好きな人」

「今は……あー。おらんかもしれないですね」

「なにそれ不思議ー! お部屋の支度してくるから」

「あ、すいません。その前に一つ良いですか?」

「なぁに、どうしたの?」

「この大きなバッグ、旅館さんの方で処分してくれんかなって」

「いいけど、どうして?」

「ああ、それは」


「呪いのせい、ですかね」

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