定食屋『春菊』 ~後編~


 幸治達が店を訪れた翌日。


 少女―――荒月あらつき かえでは、とある場所に潜入していた。


『いや~すっきりしたぜ~!』

『こんなに上手く行くなんて、流石だわ!』

『パパ、凄い!』


 とある高級マンションの一室から聞こえる幸せそうな家族の会話。本来であれば盗み聞きするような物ではないが、今回はそうせざるを得ない状況があった。


『社長も俺に甘いからな! 嘘の証拠を用意するだけで、あの愚図を簡単にクビに出来たぜ!』

『流石ね! はぁ~これで清々したわ!』

『一々、小言を言ってきてうるさかったもんね!』

『安心しろよ! 俺が父親になった以上、そんな思いは絶対にさせないからな!』

『やった! パパ、大好き!』


 聞こえてくる会話に、楓は舌打ちをしたくなる気持ちを必死に抑え、昨日の幸治との会話を思い出していく。


――――――


「私が担当していた新入社員が、社長の親戚にあたるそうで……いわゆるコネ入社で入った子だったんです」

「まぁ、そう言う話はありますよね」

「彼は何かと注意されると、社長の名前を出しては『俺に逆らったら、一瞬でクビにしてやるからな!』と言っていたんですよね」

「典型的なクズですね……」

「あははっ……そのせいで周りは強く言えずにいたんですけど、教育係に任命された以上、私は彼を甘やかさずに指導してきたんですよね」


――――――


 「それが気に食わなかったのでしょうね」と自嘲するように笑う幸治の顔を楓は忘れることが出来なかった。


(幸治さんの考えていた通り、あの男が……!)


 楓の視線の先で高笑いをするのは、三浦みうら 真一しんいち。幸治が教育係を担当していた社員であり、幸治をクビに追い込んだ内の一人である。


『離婚届は出されているでしょうし、早く再婚届を出しに行かないと!』

『そうだな! お前も早く「三浦」の姓に変えたいもんな!』

『えぇ! 「渡辺」なんて、もう名乗りたくないわ!』

『私も! あのクソと同じ苗字とか吐き気がするもん!』


 聞こえてくる女の声に、楓は情報を確認していく。


(えっと……妻の渡辺 由美ゆみに、娘の渡辺 琴音ことねだっけ……)


 いずれも「元」がつくけどね……と呟き、楓は再び盗聴に専念する。


『しかし、あの愚図は本当に馬鹿だよな! 家族に不倫されているとも知らずに、毎日、俺に説教してきたんだからよ!』

『少しずつ荷物を移動させていたけど、気づかなかったもんね!』

『真一さんの作戦が上手くいったおかげね!』

『おいおい、もう「真一さん」なんて呼ぶ必要はないんだぜ?』

『あ、そうだったわね……ア・ナ・タ』

『もーう、すぐ二人の世界に入らないでよ!』

『悪い悪い。琴音も来いよ』

『やった!』


 視界に映る光景に、楓は強烈な吐き気を覚える。


(幸治さんは「不倫をされていたんでしょうね」って言っていたけど、その相手が、まさか部下だとは思わなかっただろうね……)


 絶対、悪霊が憑いているでしょ……と言いたくなるほどに、不幸に見舞われている幸治に心の中で合唱をしながら、楓は手元にあるボイスレコーダーに視線を移す。


(証拠も集まったし、この辺りで退散しよっかな)


 胸に燻ぶるやるせない怒りを抑え込みながら、楓はその場を後にするのだった。


――――――


「おー、お疲れさん」

「マジで疲れたよ……精神的にね」

「まぁ、情報通りならそうなるだろうな」


 店に帰ってきた楓を笑いながら出迎えるのは、店主———九条くじょう 春斗はると


「で、証拠は集めることが出来たのか?」

「もっちろ~ん!」


 先ほどまでの沈んだ表情を一変させ、懐から取り出したボイスレコーダーを春斗は受け取り、録音された会話を確認する。


 そして、数十分後。


「よし、証拠としては十分だな」

「おっ、よかった~」

「こっちも証拠は押さえたからな、潰す準備はバッチリだな」

「どうする? 明日にでも乗り込む?」

「いや―――」


 楓の問いかけに、春斗は首を横に振り……


「———今日の夜、突入するぞ」


 そう宣言し、不敵な笑みを浮かべるのだった。


――――――


 そして、時刻は午後八時。


 夜の帳が降ろされた街の一角に佇む高級料亭。


「いや~! 流石、叔父さん! いい店を知っているな!」

「であろう? ささ、お二人も遠慮せずに!」

「ありがとうございます、義父様おとうさま

「ママ、これ美味しいよ!」


 その一室にて集まった四人の男女が楽しそうに食事をしていた。


「いやはや、真一から聞いた時は驚いたが、本当に結婚相手をいるとはな!」

「なんだよ? 疑っていたのか?」

「お前は優秀すぎるからのう、釣り合う相手を見つけるのに苦労すると思っていたのじゃよ」

「まぁ確かにそうだな。ここ数年は出来なかったが、遂に見つけたぜ!」


 そう言い、由美を肩を抱く真一。


「最高の由美と、最高の琴音をな」

「もう、貴方ったら///」

「もう! すぐ二人の世界に入るんだから!」

「はっはっは! 仲が良いようで何よりじゃ」


 幸せそうなオーラを発する三人を見て、顔をほころばせる社長。


「やはり、あの愚図には勿体ないようだったな」

「あぁ、叔父さんには色々と根回しをしてもらったからな。本当に助かったぜ」

「何から何まで、本当にありがとうございます」

「なに、あの愚図はワシの可愛い甥を虐めたのだから、それ相応の罰を与えただけじゃよ」


 その言葉に、高笑いをする一行。

 個室であったがゆえに他のお客や従業員には聞かれていなかったが、仮に会話を聞いている者がいたら、思わず顔を顰めていたであろう。


 そして、ある程度、食事が終わった時の事だった。


 プルルルルッ!


「ん? おっと、すまない、少し電話に出てくる」


 鳴り響く携帯電話を片手に部屋を出る社長。


「何の電話だろう?」

「さぁ? 大事な仕事の案件じゃないのか?」


 琴音の問いかけに軽く答えながら、真一が日本酒を飲んでいると……


「えっ!? そんな、いきなりどうして!?」


 外から驚く声が響き、次の瞬間、血相を変えた社長が部屋に入ってきた。


「お、叔父さん! そんなに慌ててどうしたんだ!」

「……んだ」

「え……?」

「大手の『SSFW』との契約が、切られたんだ……」

「なっ!?」


 告げられた言葉に、真一は目を見開く。


「『SSEW』と言えば、ウチの会社の利益の半分を占めている、超大手じゃないか! なんで、いきなり……」

「理由は分からん! だが、この契約が切らすわけにはいかない! 私自ら出向き何とか契約を続けてもらうよう説得してくる!」


 そう言い、荷物を纏めていく社長。


 しかし―――


「その必要はありませんよ」

「「ッ!?」」


 ———いつの間にか扉の前に立っていた一人の若い男が、それを制止する。


「あ、貴方は……!」

「お久しぶりですね、三浦社長。顔の色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「いえ、至って健康なので、お気になさらず……」

「それはよかったです」


 男と後ろに控えていた部下らしき女は部屋に入り、空いていた席に腰を下ろすと、社長と真一は慌てて対面に座り、由美達に部屋の隅に移動するよう伝える。


「あ、あの、どうして貴方がこちらに……?」

「いや、ちょっと、御社とは契約を切るべきだと思う出来事があってね」

「そ、そんな!? 何とか、契約を続けてはもらえないでしょうか!?」


 そう言い、必死に懇願する三浦社長。


「そう言われましても、これは決定したことなので……」

「そこを何とか!」

「では、そちらの彼に、少し確認したい事があるのですがよろしいでしょうか?」

「わ、私にですか?」


 急な男の指名に、困惑する真一。


「えぇ、貴方は、とある社員を解雇に追い込みましたよね?」

「え……」


 男がそう告げた瞬間、真一だけでなく、後ろにいた社長も顔を青ざめさせる。


「おや、違うのですか? 証拠はこちらにあるのですが」

「え、えっと……」

「それは、ですね……」


 机の上に広げられた数々の証拠に、狼狽える真一と社長。そんな彼らを無視して、男は気にせず話を続ける。


「彼の性格に私達は心を打たれがゆえに契約を結んだのであり、彼を不当に解雇した以上、御社と契約を続ける意味がないのです」

「そ、それは、そうかもしれませんが……」

「それに―――」


 真一の言葉を遮り、男は隅に座り込む由美達へ視線を向ける。


「———そこにいる悪女達と不倫した社員を平然と残す会社と、契約を続けると、我が社の格も落ちてしまうので」

「「ッ!?」」


 会話に巻き込まれた由美達が目を見開く中、真一が男に反論する。


「私達は不倫などしていません! きちんと愛し合った結果です!」

「そ、そうです!」

「はぁ……これを聞いても言えますか?」


 由美も同じように反論するのを横目に、男はボイスレコーダーを懐から取り出し、彼らの前で再生ボタンを押す。


 ――――――


『しかし、あの愚図は本当に馬鹿だよな! 家族に不倫されているとも知らずに、毎日、俺に説教してきたんだからよ!』

『少しずつ荷物を移動させていたけど、気づかなかったもんね!』

『真一さんの作戦が上手くいったおかげね!』


 ――――――


『ッ!?』


 ボイスレコーダーから流れ出る音声に、全員が目を見開く。


「これでも、まだ不倫をしていなかったと言えますか?」

「え、えっと……」

「あの、その……」


 男の視線に耐えきれず、顔を下に向ける真一と由美。すると、これまで沈黙を貫いていた琴音が突然、口を開く。


「そ、そもそも! どこで、その音声を録音したのよ! 私達は家でしか、そんな話をしていないのに!」

「「ッ!」」


 その言葉に「我が意を得たり!」と顔色を変える真一と由美。


「そうよ! 私達は外でその話をしていないわ!」

「それこそ、盗聴でもしない限り、こんな音声を用意できるはずがない!」


 「これがどういう意味か分かるか?」と視線で問いかけてくる真一達に、男は不敵な笑みを浮かべる。


「盗聴の証拠はあるのか? あぁ?」

「ッ……! だから、この音声が何よりの証拠だろうが!」


 口調が変わったのに驚きながらも、負けじと強めに反論する真一。すると、男が手を前に出し、次の瞬間、その手に光の球が生みだした。


『え!?』


 突然のことに、真一達が目を見開く中、男が生み出された光の球に触れると……


 ――――――


「そうよ! 私達は外でその話をしていないわ!」

「それこそ、盗聴でもしない限り、こんな音声を用意できるはずがない!」


 ——————


『ッ!?』


 光の球から、先程の会話が再生され、真一達はさらに目を見開く。


「お前らも聞いたことはあるだろ、『魔法』ってやつを」

「え、魔法……?」


 男から告げられた内容に、真一だけでなく由美達も目を点にする。


「御伽噺に出てくる架空の物のはずでは……」

「残念ながら、実際に存在するんだよ」


 光の球を消しながら、話を続ける。


「性能が良すぎたせいで、広範囲で録音して、会話を記録していた……そんな感じで言葉を並べれば、盗聴は疑われない」

「というよりも、盗聴だとは言えなくなりますね」

「そ、そんな……」


 隣に座っていた女の補足に、真一は「嘘だ……嘘だ……」と首を振りながら小さく蹲る。


「三浦社長、契約破棄の件……了承していただけますね?」

「は、はい……」

「では、私達はこの辺りで」


 破滅しかない未来を想像して絶望したのか、虚ろな目で俯く社長達を一瞥すると、男達はその場を後にしようとする。


 しかし……


「ちょっと待ってよ!」

「? まだ、何か?」


 一人の少女―――琴音が男達を引き留める。


「なんで、そんな酷いことをするの!」

「酷い事?」

「そうだよ! 私達は間違ったことはしていない! あの愚図に比べて、パパの方が何倍も優秀なのだから、こうなるのは当然の事でしょ!」

「……」


 真剣な顔で断言する琴音に対し、男は無言で冷たい視線を返し……


「……クソガキが」

「え……?」


 ズドォオオオオンンンン!!!!


 轟音と共に、琴音の顔が地面に叩きつけられる。


「がっ……!?」

「お、おい!?」

「貴方、いくら何でもやりすぎよ!?」


 這いつくばる琴音を見下ろしながら、その頭を踏みつける男を真一と由美が咎めるが……


「うるせぇよ、カス共」

「「ひっ!?」」


 男からの放たれる尋常ならざる圧に怯み、情けない声をあげる。そして、男は視線を琴音に戻し、問いかける。


「なぁ、クソガキ。テメェを育ててくれたのは誰だ? 必死に働いて、お前に裕福な暮らしをさせてくれたのは、誰だ?」

「そ、それは……」

「そこのゴミとは出会ってから、長くとも一年と少ししか経っていない。つまり、それより前のお前を育ててくれたのは別にいる。そうだろ?」

「あ、あんな奴の世話なんて、数えるに値しな、いっ……!?」


 尚も反論する琴音の首を男は無言で締め上げる。


「か、はっ……」

「……」


 琴音がジタバタと手足を動かし抵抗するも、男は全く動かない。


 視線の端で真一達が「やめてくれ!」と必死に懇願していたが、男は気にせず首を絞め続ける。


「育ててもらった恩を仇で返すようなゴミは処理しないとな」

「ッ!? い、やだ……はな、せっ!」

「おいおい、そんなに暴れると、間違って殺しちゃうだろ?」


 そう言い、男が嗤いながら、首に回していた手の力を強くする。いよいよ呼吸すら出来なくなってきた琴音。


「そろそろ解放しなよ。じゃないと、本当に死ぬよ?」

「そうだな……この辺りにしておくか」


 後ろに控えていた女から指摘を受け、男は琴音から手を放す。いきなり解放されたため、琴音が「ゲホッゲホッ!」と咳き込むが、男は気にせず入り口へ足を運ぶ。


「じゃあ、今度こそ、この辺りで~」

「失礼させていただきます」


 そして、男達は軽く挨拶を済ませると、そのまま部屋を後にした。


『……』


 部屋に残った真一達は、何かに襲われた後だと思わせるほど、静かだった。すると視線を右往左往させていた真一が、とある物を見つける。


「あれ……こんな紙、あったかな?」

「ん? 私は見た記憶がないが……」

「私もありませんね……」

「私も……」


 全員が首を傾げるなか、真一は紙を拾う。そして、そこに書かれていた一文を目にした瞬間、身体を硬直させる。

 その様子に他の者達は首を傾げ、何と書かれているのだろうかと、紙を覗き込む。


 ———これからの未来が、どうか不幸であらんことを―――


『……』


 その一文を目にした瞬間、他の者達も真一と同じように身体を硬直させる。


 その後、真一達はそれ以降、追加の料理を頼むことなく店を出て、身体中を襲う何かに怯えながら帰路に就くのだった。


―――――――――


 そして、時は流れ、幸治が初めて店に訪れてから、一カ月が経過した。


「うんうん、いい感じだな」

「まぁ、これでも甘いと思うけどね」


 開店準備をしながら満足げに頷く春斗に、楓は大きなため息をつく。春斗の手元にあるのは、楓が色々と調べた物をまとめたものだった。


「契約を切られたことで会社は倒産……収入を失った三浦たちは路上暮らし、か」

「危ない所から、お金を借りていたみたいで、今は取り立てから逃げてもいるみたいだね」

「まぁ、そんな連中に捕まることはないがな」


 楓の言葉に、春斗は小さく笑う。


「魔法でそういう連中を避けるよう思考を誘導させているし、万が一の場合、お前に任せれば問題がないからな」

「はぁ……時間外労働は嫌いなのに……」

「だが、人間のクズはもっと嫌いだろ?」

「まぁね」


 そう言い、悪い笑みを浮かべる春斗に、楓も悪い笑みを返す。


「いや~が一人いるだけで、仕事が何倍も楽になったぜ~」

「一般人からは、およそ出るとは思えない言葉だね」

「失礼な、俺は立派な一般人だろ?」

使が一般人なわけないでしょうが」


 本人たちにとっては軽口であろうが、もしこの場に会話を聞いている者がいたら、間違いなく信じられない内容だった。


 荒月 楓———元殺し屋


 数年前まで、《死神》という二つ名で呼ばれていた殺し屋であり、今は春斗の店でしがない従業員として働いているが、未だ、その力は健在。

 簡単な調査や制裁は、一瞬で実行できるほどの実力を有している。


 九条 春斗———魔法使い


 古くから存在する魔法使いの末裔にして、掃除屋クリーナーとして裏社会では恐れられており、多くの伝説を残してきた怪物だ。


「『SSFW』の方も順調か?」

「当たり前でしょ。これまでよりも好条件の取引先をゲットできたんだから」


 掃除を終えた楓が呆れながら、追加の資料を手渡す。


 『SSFW』は、そんな二人が社長と副社長を務める会社であり、それゆえに三浦達の会社との契約を簡単に打ち切ることが出来たのだ。


「うんうん、それなら問題ない!」

「ってか、軽口叩く暇があるんだったら、早く準備してよ!」

「へいへい、っと」


 へらへらと笑う春斗を、楓が叱る。


「営業中の看板をかけてっと……準備完了!」

「さ、今日も今日とて頑張りますか」

「りょうかい!」


 色々とあったなか、開店時間が訪れ、一気に店内が賑やかになる。


「あ! 幸治さん、来てくれたんですね!」

「えぇ、私もここの常連になりそうですよ」

「ありがとうございます!」


 穏やかに微笑む幸治の顔を見て、二人は「本当に良かった……」と心の中で呟きながら、仕事に励む。


 小さな飲食店で送られる「当たり前」の日常。


 しかし、日々の「当たり前」は、全て「特別」であり、大切であることを胸に、春斗達は今日も幸せな日々を過ごすのだった。


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