あなたがいなかったら、この色を知らなかった

@Miraing

あなたがいなかったら、この色を知らなかった

新中学3年生、宇瀬村和乃うせむらわの。 これが私の名前。

最初は名字も含めてこの名前が好きだった。


でもあることをきっかけに、嫌いになった。


いつか、また好きになれる日なんて来るのだろうか?






 「和乃! いい加減起きなさい!学校始まるわよ!」


「嫌だ! 学校なんて知らない!」


「はあ......。どうしたの?最近。全然学校にいかないじゃない」


「うるさいな! 元はお母さんのせいなんだから!」


「......」


私は布団にしがみついた。部屋の鍵をロックしているから母は入ってこれないけど、無意識な反射である。

もう無意識が出てしまうほど、この流れを繰り返しているということだ。


最初の頃は、お腹が痛いとか、吐き気がするとか適当な理由を付けたり、最悪体温計を温めて微熱を出したように見せかけて仮病で休んでいた。


でも仮病で学校を休むことが毎日になって、母が病院に連れて行くとか言ったから、仮病は使えなくなってしまった。


だから今は堂々と学校に行きたくない!と言っている。


「今日はもう休ませるけど、いつまでそうしているつもり? あなたもう3年生でしょう。高校にいかないつもりなの? お母さんも辛かったけど不登校にはならなかったわ」



.......高校? そんなものどうだっていい。 高校にいかなくたって、就職できるのでしょう。

だけどそんな強気も、すぐ薄れていって、段々と不安が募ってきた。

私はのっそりと起き上がると、スマホを手に取った。


『高校 行かない 影響』


震える手で検索ボタンを押す。


そこには、私にとっては苦痛な結果があった。

『高校にいかないと、就職が難しくなる。』

『特定の資格試験が受けられない』



......調べるんじゃなかった。学校に行かないといけない気になってしまった。


行きたくない。でも行かなきゃいけない。どうしたらいいかわからない。そう迷っていたら、


プルルルル


先生から...か......


「宇瀬村! 3年生になってから学校に来ないが、何かあったのか? なにか学校のことで嫌なことがあったのなら、先生に相談してくれないか。不登校が続いたら、君の『小学校教師になりたい』っていう夢が叶わないかもしれないんだぞ」


そう、私は小学校教師になりたいんだ。 どうしても。

しょうがない。がんばれ、私。覚悟を決めろ!


「先生。私明日、学校に行こうと思います。

......そこでお願いがあるんです。特別に私用の教室を手配してほしいんです。クラスの皆と顔を合わせたくないから」


「...分かった。もし宇瀬村がいいなら、その時に事情を教えてくれ」


ツー・ツー・ツー


電話を切ったときの機械の無情音が部屋に響く。

今のままでいいのかな。電話でしか人と話せない、今のままで。

このままだと、誰とも話せなくなっちゃいそうだった。


そういうことを延々と考えていたらいつの間にか夜になって、眠りについていた。



 アラームの音が鳴り響く。私は重たい体をなんとか起き上がらせて、学校に行く準備をした。

特に制汗剤、汗ふきシート、タオル、換えの制服があるか確認する。


「お母さん、私今日は学校に行くから。朝ご飯は帰ったときに食べる」


母は驚いて私を見た。当たり前だ。急に娘が学校に積極的になったのだから。


 勢いよくドアを開ける。あたりを見回し、顔見知りがいないかを確認した私は、急いで学校に向かった。


 「先生!私です! 教室はどこですか?」

「おお!宇瀬村。すまんが教室を手配できなくて、図書室なら借りれたんだが」

「そこで結構です!じゃあ私、先に行ってますね」


早く行かないと、クラスの皆が登校してきてしまう。私は図書室まで走り続けた。


「うわあ、懐かしい...!!」

図書室の独特の香りがふわっと香る。私はこの落ち着くような香りが好きで、不登校になる前はよく図書室に行っていた。


「すまん宇瀬村。今日は来てくれてありがとう。」

「あ、先生。お久しぶりです。」

「早速だが、君、3年生になってから授業を受けれていないだろう。流石に受験とかもあるから、勉強しないといけなくてな」

「はい」

「だから、君が学校で授業に参加できるようにしたいんだ。不登校の理由を簡単に教えてくれ。授業が楽しくないから、とか、そんな簡単な理由でも構わない。なんとか対処したいんだ。」


「...私は、集団の中で授業をするのが苦痛なんです。それが嫌で、学校にいけなくなりました。」

「そうか! じゃあリモートで勉強するというのはどうだ?俺が後ろにカメラを置いて黒板を映す。

皆が勉強しているときに、君がリモートに入ってくれれば、一緒に授業を学べるだろう」

「それで構いません。ありがとうございます」

「じゃあ先生はそろそろ皆のところに行かないと。リモートのキーワードは電話でその都度伝えるから」




......はぁ〜。なんか久しぶりに家族以外の人と話したな。

正直こんなことにも疲れ切って、図書室の机に倒れ伏す。

ちょっとくらい寝ても構わないだろう。例えクラスの人が来ても、うつ伏せだったら顔は見えないだろうから。


「すみません、大丈夫ですか? うなされてましたけど」


......え? 私、うなされてた? そういえば、ちょっと苦しい夢を見た気がする。

私が持っている病気のせいで、クラスの皆が離れていって、私だけの世界に閉じ込められた夢。


「僕は図書委員長の宮部竜也です。僕で良ければお話お伺いします」


初対面の人に悩みを言えるわけ無いだろう。


でも宮部さんの真っ直ぐな瞳に見つめられたとき、「この人は信用出来る」。そう思ってしまったのか、頑丈な口のロックが解けてしまった。


「お話、聞いてもらいたいです......」




私が中学生に入ったときの話だ。

体育祭のとき、皆少し汗をかいている程度なのに、私だけ透けるほど体育着がびしょ濡れだった。


本当に、雨に打たれたのかと思うくらい。


気になって、病院に連れて行ってもらった。その時も汗をかいていた。


そこで、思春期に入ってから発症した多汗症だと分かった。 特に手がやばかった。

遺伝で多汗症になる人が多いらしい。

同じ多汗症を患っている母を恨み始めたのは、その時からだった。


その日から、学校に行くのが怖くなった。

自分が汗臭いんじゃないかと不安になって授業に集中できなかったり、プリントを手渡すときにプリントが汗で濡れて、後ろの人が不快に思っているんじゃないかと考えたり。

対策はもちろんした。

制汗剤を使い、汗を頻繁に拭き、プリントを渡すときはハンカチを使った。

でも制汗剤やシートはすぐなくなるし、ハンカチ自体がびしょ濡れになって使い物にならないことがあるから、対策の意味がわからなくなった。


2年生まではその日常に耐えていたけど、クラスの問題児から「あせむら」って名前をいじられてから精神が崩壊し、行けなくなったのだ。その日から『宇瀬村和乃』という名前を嫌いになった。


お母さんはそんな私を心配したけど、「お母さんなんて大嫌い」って言ったら、うなだれて部屋を出ていったこともある。良心が傷ついたけど、元はといえば私がこんな思いをしているのは母のせいなのは間違いなかった。




「......そうだったんだね。辛かっただろう。


でも、相手のことを思ってどうにかしようとした君は偉い。もっと自分を誇るべきだ。


それと、君は今まで一人で闘ってきたんだろう。よく頑張った。 だけどときには人に頼ることも解決のひとつなんだ。 僕は君の味方だ。 僕に頼ってくれたっていい」



そんな温かな言葉に、不意に涙が溢れ出た。


涙が止まらない。 人前だけど制御できなかった。


そこで分かった。


私、誰かに甘えたかったんだ。

この悩みを誰でもいいから聞いてもらいたかったんだ。

そして、誰かに頑張ったねって言ってもらいたかったんだ。

なんだか、困難にも立ち向かえそうと思えた。


「そうだ、ここから近くに綺麗な海があるんだ。放課後、一緒に行ってみないか」

「きれいな、海......?」

「そう。きっと君もびっくりするよ。じゃあ今日の夕方四時、またここに来てくれる?約束だよ」

「わかり、ました......」



私はそのまま、家へ帰った。

なんだろう、不思議な人だったな。


温かい、太陽のような人だった。


「和乃。 置いておいた朝食、食べる......?」

「食べる」


今思うと、お母さんに「嫌い」だなんて、酷い事を言ったな。

お母さんが最近疲れてきているようなのは、私の言葉のナイフが胸に刺さったから...なのか......?


「ごめんね。私のせいで和乃に辛い思いさせちゃって......」


やめて。『私のせい』なんて言わないで。謝らなきゃいけないのは私の方なの。


今は宮部さんのお陰で、多汗症にも立ち向かおうと思えているの。辛くはなくなったの。


そう言いたいけど、口に出せない。

やっぱり私、心の何処かで、辛い思いをしたのはお母さんのせいなんて思っているのかな。

それとも単純に、怖くて言えないだけ? 反抗期だから素直なことが言えないの?


私はその場を逃げ出すように、「ご飯ありがとう」といって自室に逃げた。

それしか出来なかった。




ちょっと疲れちゃったな。

今宮部さんが居てくれたらいいのに。



早く会いたい。


「!」

四時になりそうだ。


私は制服から私服に着替えた。 ちょっと高かった、白のワンピース。

髪も整えて。


約束の場所に向かうため、家を飛び出した。





図書室に入ると、もう宮部さんがいた。

「来てくれてありがとう。早速行こう。僕についてきて」


言われたとおりについて行った。

海、か。 どんなところなんだろう。 引きこもっていたから、全くわからない。


「ここだよ」



「わぁ...!!」


信じられない。

こんなところがあったなんて。



そこには壮大なきらめく海と、砂浜があった。

それだけじゃない。砂浜には大きな砂城と、灯台がある。


「きれい......!!」


久しぶりにこんな景色を見た気がする。

いや、全く同じ海を見たような。

そうだ、小学生の時だ。


私が小学生の頃、骨折をして、行けるはずだった自然探検に行けなかった。

とても楽しみにしていたから、行けないと知ったとき、当時お世話になっていた副担任の美沙先生の前で号泣した。

そうしたら、担任の先生に相談してくださって、美沙先生と私は特別に別のところに行くことになった。

私はもちろん歩けないから、美沙先生が運転する車に乗って。

2人きりでこの海に来て、この砂城を一緒に作って、海ではしゃいで、


「どう? 自然探検には行けなかったけど、ここもなかなかいいところでしょう?」


美沙先生はそう言ってフフッとほほえんだ。


生徒のために力を尽くし、悲しい思いを楽しい思いに塗り替えてくれた先生をかっこいいと思った。

その時から、小学校の先生になりたいって思うようになったんだ。



「懐かしいな」

時間帯は違うけど、海もそのままだし、奇跡的に当時の砂城も残っている。


涙がこぼれた。 同じ日に2回も人前で泣くのは初めてかもしれない。


人間は、美しいものを見ると感動して泣く習性なのかも。



「どう? 綺麗でしょう。 僕のお気に入りの場所なんだ」

「綺麗です。 まだ悩みのなかった頃の自分を思い出しました。心が洗われたような気分です。」

「よかった。でも、海もきれいだけど、僕が見せたかったのはそこじゃないんだ」

「えっ?」

「空を見てみなよ」


空......?



「え......」


何気ない空。 いつも見ているはずなのに。

こんな空は初めて見た。


「いつも見ているはずの空に、何か感動を覚えただろう?」


青からオレンジへのグラデーション。そこにあるオーラある夕陽。


「これは、昼と夕方の中間の時しか見れない空なんだよ。その時間は毎日あるはずなのに、君は初めて見た感覚なんじゃない?」


「はい......。初めてじっくりと見たと思います。実際前に見ているのなら、こんなきれいな空忘れるわけないと思いますから。」


「空は当たり前にある存在だから、みんな意識を向けていないんだ。だから普段このような空を見ているはずなのに覚えていない。 この空を知らないなんて、もったいないでしょう?

君もそうなんじゃない。当たり前の事の中にある重大な変化を見逃しているかもだよ」


当たり前の中の、重大な変化......?


考えを巡らせる。当たり前、当たり前、変化、変化......


...まさか、私の当たり前は多汗症と闘う日々だけど、

でもそれが、なにか重大な変化を起こしているの?



「というか、そもそも宇瀬村さんは本当に多汗症なの? 汗かいてなくない?」

不意に宮部さんがそう言った。


確かに、私は今汗をかいていなかった。いつもの汗が出る不快な感じ、なかったもの。


まさか、病気が治った?


「私、今から病院に行ってこようと思う。 宮部さん、今日は本当にありがとう。心が救われたよ」

 


そう言って宮部さんに別れを告げ、病院に走った。


「あの、もう一回診断していただけますか!?」

「え?あ、あのときの。」

「今日から、汗をかかなくなったんです。多汗症と関係があるのかもと考えて」

「分かりました。 じゃあ質問しますね。今日までになにか心の変化はありました?」

「ありました。心が洗われたような、スッキリとした感じになりました」


「......回答有り難うございました。症状からするに、あなたは多汗症のうち、発汗恐怖症だったと思われます。この病気は、何らかの悩みを抱えると、多量に発汗してしまう症状です。その悩みが吹っ切れたことで症状が軽減したのだと思います。」


宮部さんの言った通りだ。

私の多汗症という当たり前が、心がスッキリしたことで治っていた。

当たり前の中の重大な変化に、宮部さんのお陰で気付けた。


というか、精神性だったなんて。じゃあ私の多汗症は、お母さんからの遺伝じゃなかったってこと!?


何で私、勝手に決めつけて『大嫌い』なんて言ってしまったのだろう。


「ありがとうございました!料金置いておきます」


早く、お母さんに言いたい。



「お母さん!」


「ど、どうしたの?和乃」


「今までごめん!私の病気、お母さんのせいじゃなかったんだ。今までひどいこと言ってごめん」

「どういうこと?多汗症じゃあなかったの?」

「精神性だったの。一時期友達と喧嘩したことがあって、元はそれがきっかけのストレス性発汗だったんだけど、その発汗がお母さんからの遺伝のせいだと思ってて。本当はお母さんのせいじゃないのに。

でもそれから汗への悩みを抱えていたから、発汗恐怖症を発症してしまったの。謝ってお母さんの心の傷が治るようなことじゃないけど、本当にごめん」

 

嗚咽で声がぐにゃぐにゃになってしまった。


すると、お母さんが私のところによってきてそっと抱きしめてくれた。


「私が気にしていたのは、私のせいで和乃に辛い思いをさせているんじゃないかってことだったの。あなたのあの言葉には驚いたけど、反抗期だからと思っていたわ。 でも良かった〜 和乃の病気が治って。 今まで頑張ったわね」


「ありがとう」


良かった。お母さんが私の言葉に傷ついていたわけじゃなかったんだ。


「もう一回言うね。私の病気はお母さんのせいじゃない。私の早とちりだったの」

「あ〜、本当に安心したわ〜」




 ああ、本当に今日はよく頑張った私。

でも最後のミッションがある。

私は先生に電話した。


「先生。私やっぱりみんなと同じ教室で授業を受けます。」


伝えることを伝えて、布団に潜った。

今日はよく眠れそう。


 


 

「あ、宇瀬村さん。 来てくれてよかった。」

「ふふ。宮部さんのおかげで吹っ切れることができたからね。すべての悩みを解決させたよ」

「本当にすごいよ。お疲れさま」

「ありがとう」


その後私は宮部さんをお礼をしたいと遊びに誘い、快く承諾してくれた。


それから宮部さんも私をよく遊びに誘ってくれるようになり、親友と呼べる関係になった。


「今日放課後あいてる?」

「あいてるよ」

「じゃあさ、久しぶりにあの海行かない?」

「あ〜、いいね」


「うわあ〜、懐かしい! このセリフ、前も言ったような気がするけど」

「見て!空が青からオレンジのグラデーション!」

「あ、そうだね。綺麗」

何だろう。 いつも落ち着いてる竜也がやけにソワソワしているな。


「ちょっと、どうしたの竜也。 珍しいじゃん」


「......今日は和乃に伝えたいことがあるんだ」


「伝えたいこと?」

雰囲気が違う。普段おしとやかな彼の男らしさにドキッとした。


「な、何......?」


「...僕と......」





 その日から約十年が経った。


「竜也、聞いて! 今日ね、生徒の皆がお別れ会を開いてくれたの。一年経つのもあっという間ね〜。」

「時が経つのが段々と早く感じてくるんだよ。 僕らが結婚してもう5年も経ってるんだから!」

「えっもうそんなに!? 」

「そうだよ和乃。だから今日結婚5年目のパーティーを開いているんだろう」

「確かにそうね。こんな豪華なパーティー、そういう機会でしか開けないもの」


「じゃあ改めて、結婚してくれてありがとう」

「こちらこそ」




あのね、貴方には言ってないけれど。

『宇瀬村和乃』の名前をまた好きになれたのは、あなたのお陰なんだよ。


まあ、今は宇瀬村じゃなくて宮部なんだけど。


「「「「宮部ご夫妻、結婚5周年おめでとうございます!!!!」」」」































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