モノクローム

秋色

Monochrome

 僕の叔父さんはイラストレーターをしている。

 叔父さんか描くのは、アメリカ北部のダイナーやそこに集まる人達、カントリースタイルの家具等、ちょっとお洒落なイラストだ。賞を取った事もあり、そこそこ人気もある。母さんは昔からよくそんな叔父さん、つまり自分の弟を自慢していた。


 まだ幼稚園に通っていた頃、僕は一度、その叔父さんのイラストをメチャクチャにして叱られた事がある。


 叔父さんのイラストは、基本、ペン画でモノクロだ。

 それにオレンジ色とピンクのクレヨンを塗りたくってしまったんだ。少し斜め向き加減の女の子の絵だった。

 メチャクチャになった……というのは、周りにいた大人達の見解。自分としては、すごく良くなったと思っていた。


 いつもは温和な叔父さんが厳しい表情で、絵と僕とを見比べていた。



 *



 あれから十二年。僕は高校生になり、日々、退屈な授業を聞いている。


 物理の教師の言葉が遠くに聞こえる。

 ――全てには法則がある。偶然なんて決してないんだよ――


 地学の教師が言う。

 ――想像を絶するほどの時間を遡って地球の過去を知ることで、今を知る事が出来るんだ――


 叔父さんは海外へ旅しては、今も異国情緒にあふれたイラストを描き、個展を開いている。

 日本に戻ると、実家である僕の家にも時折顔をのぞかせる。でも長い時は何ヶ月も外国を旅しているんだ。



 僕は授業中、ノートの余白を見ていて、ふと考える。なぜ昔、自分は𠮟られたのだろうか、と。

 叔父さんのモノクロのペン画は、見る人に、そこにあるべき色を想像させる。

 シンプルな曲線の世界。そこに人は心の中であらゆる色を重ね合わせるんだ。

 だから色を付ける必要はなかった……のに僕は色を塗りたくってしまった。

 なぜ? それは絵の中の女の子が、寂しそうに見えてしまったからだ。


 そんな事を考えていたある日。授業の後、突然、僕は息切れを感じていた。教師達は何か囁やきあい、僕を病院へと連れて行った。 


 新型コロナウイルス。どうやら僕はそれに感染したらしい。




 気が付くと白いベッドの上だった。


 普通より重症なので入院になったとその時に聞いた。

 頭がぼんやりして、すぐまた眠りにつく。

 夢の中で僕は、いつかのあの絵の中の少女に会っていた。


 そこは、モノクロの街。周りはくすんだ灰色の世界だった。

 でも女の子がオレンジ色のワンピースで現れると、瞬間、ぱっと光がきらめいた。女の子の髪にはリボンが付いたカチューシャが。いつか僕がクレヨンで塗ったピンクのカチューシャだ。

 女の子が歩く街角は、次々に色が付いていく。まるで灯りが灯っていくように。

 そしていつの間にか僕達の周りは緑濃い公園にと変わっていた。


「こんにちは」


「あ、ハイ。こんにちは」


「私をここに連れてきてくれたのは、あんたなのね」


「あ、いや。色を塗ったのは僕だけど、連れてきたのかどーか分からないし」


「色を? じゃあやっぱりそうよ。今までずっと色のない街にいたの。毎日、同じ日ばかりで面白くなくて、息が詰まりそうだった」 


「そっかー。じゃあ色を塗りまくって良かった」


「ね、あれ見て」


 そこにはいつの間にか、一台のキッチンカーが停まっていて、家族連れがそこでオレンジジュースやソフトクリームを受け取っていた。


「食べよ」


「うん……」


 夢の中にありがちだけど、お金を払う事なく、オレンジジュースやソフトクリームを受け取った。そしてオレンジ色のワンピースの女の子は左手に自分のワンピースと同じ色のオレンジジュース、右手にソフトクリームを持って、楽しそうに代るがわる味わっていた。


「美味しい?」僕が訊く。


「美味しい!」


 それで僕も口にすると、信じられない位、笑ってしまう位、いや、もう笑いこけてしまう程に美味しい。


 そしていつの間にか、僕達は公園の芝生に寝そべり、鳥の囀りを聴いていたんだ。


「これが色のある世界なのね」


「色なんて気付いたら、いつでもあったんだけどな」


「私には無かったの。あんたが色を取り戻してくれるまで」


「良かった。散々叱られたけど、思い切って塗りまくって。せっかくだから可愛い色を塗ろうと思ったんだよ。ちょっとだけクレヨンで色を付けようと思ったら、止まらなくなったんだ」


「おかげですごく楽しい。空は真っ青だし」



 そんな会話をしていると、いきなりポツッ、ポツッと何か冷たいものが降ってきた。

 雨粒だった。


「雨だ。じゃ、私、帰らなきゃ。ほんっとに今日は楽しかったよ」


 そう言うと、女の子は立ちあがり、ワンピースについた砂を払うと、僕に笑いかけて、まだ雲の隙間から顔を覗かせている太陽を一瞬見て、公園の出口に向かって走り去った。

 すると辺りは、また、くすんだ炭の色の街に変わっていった。



 夢はそこで終わり。


 *


 僕は、コロナ感染から完全に回復して、叔父さんの元を訪ねる事にした。


 電車に乗って個展の用意をしている叔父さんのギャラリーへと向かった。



 叔父さんのギャラリーは、ちょっと遠い海沿いの街にある。

 潮の香りが街中に広がっているような場所。



 僕は潮の香りのするギャラリーで叔父さんに久し振りに会った。叔父さんは、母さんの弟だけど、お洒落な髭を生やしていてまだまだカッコいい。


「やあ、祥矢。すっかり元気になったんだな。心配したよ」


「うん。心配かけてごめんなさい。僕、叔父さんに話したい事があるんだ」


「何?」


「昔、叔父さんの絵にクレヨンで落書きした事、あったよね? ちゃんと謝ってなかったと思って」


「なんだ。今更、そんな事か……」


「僕、色々考えたんだ。叔父さんの絵に色がないのは、なぜかって事。それはきっと、見る人に色を想像させるためなんだなって」


「大人になったんだな。でもあの絵の事ならもういいんだ」


「それで、その絵の中の女の子の事なんだけど」


 僕は病気の間にみた夢の話をした。


 叔父さんは小さくため息を付いて言った。


「そうか。そんな夢をみたんだ。あの子が夢で知らせたのかもしれないな」


「何を?」


「何だろう?」


「え?」


「実は、あの絵は、叔父さん自身、ちょっと寂しい絵だって感じてた。あの絵のモデルは、叔父さんの幼なじみでね。ずっと妹のような存在で、もしかしたら、いやもしかしなくても初恋の子なんだ」


「そうなの?」


「でもね、今はいないんだ。生まれつき体が弱くて成人式を迎えるちょっと前に亡くなってしまったんだよ」


「そんな……」


「だけど今になって考えると、周りの大人も、叔父さんも、その子は体が弱いから何にもしちゃいけないって思って、がんじがらめにしてたんだ。楽しい事も我慢させてた」


「我慢を? そうだったんだ」


「だから絵もあんな、寂しい感じになってしまったんだね。祥矢がオレンジ色やピンクのクレヨンで塗りたくった時、あの子はもしかしたらこんな風に色鮮やかな世界に生きたかったのかもしれないって思ったんだ」


 そして叔父さんはギャラリーの一つの引き出しからその絵を取り出した。


「とってたんだね」


「ああ。これはあげるよ。それがいいと思うんだ」



 僕は家に帰ってもう一度、絵を広げてみた。


 右下に、昔は気付かなかったタイトルが書かれてある。タイトルは「十七歳」


 僕もこの四月、十七歳になったばかりだ。だから、あの子は僕の夢に現れたのか、熱のためにみた単なる夢なのか、それは分からない。

 でもいつかの物理の教師の言葉がふと浮かんだ。


 ――偶然なんて決してないんだよ――



 そして相変わらず僕は、日々、退屈な授業を聞き、窓の外の青空を見ている。




〈Fin〉

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モノクローム 秋色 @autumn-hue

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