05.これからも、夢を

「ん、んん」


 朝を迎えると、私の方が先に目を覚ました。

 そんな時は、すぐにオルター様を起こすことになっている。バクが消えれば、またすぐに悪夢が襲ってきてしまうから。

 もうスキルは消えているという話だったけど、私はいつもの癖でオルター様を起こした。


「おはようございます、オルター様。朝ですよ」

「うんん……朝か……おはよう、ミレイ」


 まだ寝ぼけまなこのオルター様は、かわいい。

 そして繋がれていた手が離される瞬間は、悲しい。


「いい夢は見られましたか?」


 毎朝の確認の会話。

 オルター様はいつものように頷いてくれた後、いつもの報告とは違うことを言った。


「ああ、最後にとてもいい夢を見られた。ありがとう、ミレイ」


 最後。

 その言葉に、オルター様は本気だったのかと体が固まってしまう。


「最後って、どういう意味でしょうか?」


 ミレイとしては聞かされていないから、知らないふりで聞き返した。

 オルター様は一度唇を引き結んだあと、黒髪を揺らしながら真っ直ぐに私を見る。


「言葉の通りだ。バクに頼ることはなくなったから、君との婚姻関係は終わらせて問題ない」

「頼ることがなくなった、とは?」

「実は教会で、スキルを除去してもらうことに成功したんだ。悪夢を見ることは、もうなくなった」

「そう、ですか」

「勝手を言ってすまないが、君とは離婚したい。もちろん君の家への支援は続けるし、ミレイの次の嫁ぎ先もちゃんと考える。誰がいい? 年が近くて優しい男なら、男爵ではあるが令息の──」

「待ってください!!」


 勝手に話を進めるオルター様に、私は声を上げた。

 もちろん、私のことを考えてくれているのはわかってる。だけどオルター様と離婚なんてことは、絶対にしたくない。


「ああ、すまない、ミレイの気持ちも考えずに。誰か想い人がいるなら、協力は惜しまないから大丈夫だ」


 優しく目を細めるオルター様に、私は唖然とする。

 愛していると言ってくれていたはずなのに、あれは夢だったの? いえ、確かに夢の中ではあったけれど。

 今のオルター様を見ていると、妹を思いやる兄のようにか見えない。

 まさか、愛していると言ってくれたのは……家族としてということだったの?

 夫婦としての愛は、まったくなかったんだ……。


 私の視界は歪み始めて、オルター様の顔がちゃんと見られなくなる。


「ミレイ?」

「オルター様には、愛する女性がいるんですか? 家族としてではなく、一人の女性として愛する方が」


 しゃくり上げそうになる喉を押し込めながら、私はオルター様に質問した。

 もしもいるなら、私のわがままで婚姻を継続するわけにはいかない。

 悪夢のスキルが無くなったオルター様に、私は必要ないのだから。


「愛している女性は、いる」


 淀むことなく告げられたオルター様言葉に、私は納得した。

 なんだ。そうだったんだ。

 二十七歳の殿方が、好きな人の一人もいないわけがない。

 私みたいな子どもとしか見られない女と結婚したのは、利害が一致したというだけの話。元々、白い結婚でしかなかったのだから。


「そうですか……私と離婚しなければ、その方と結婚できませんものね」

「ああ、そうだな……だからミレイも気にせず、ちゃんと愛する人と幸せになってくれ」


 愛することはないと言った人が、家族として愛してくれていた。

 それだけで、十分幸せなことだったはずなのに。

 妹としてでもいいからそばにいたい。

 でもそんなことを言っても、困らせるだけだ。ちゃんと決別しないと。

 悪夢に悩まされることがなくなった今、オルター様は今度こそ想い人と結婚できるのだから。

 私の存在はもう、邪魔でしかない。


「わかりました……今まで本当に、ありが……」


 ハッと気づいた時には、涙が転がっていた。

 私のバカ。

 私なんかに好きになられても、困らせるだけなのに。

 オルター様に罪悪感を味わせたくないのに、涙がどうしても止まらない。


「……ミレイ? どうして泣いて……」


 ほら、オルター様は私の気持ちになんて、ちっとも気づいてない。

 それほどまでに、私は眼中にないから。

 私はこんなにも、オルター様が大好きなのに……!!


「どこか痛いのか? つらいのか? なんでも言ってくれ。俺はミレイの力になりたい」


 私の力になりたいだなんて、できもしないことを簡単に言うオルター様に腹が立った。

 離婚しないでって言ったら困るくせに。

 私にも、夢の中のバクにもいい格好をして。


「そんなだったら、嫌いって言ってくれた方がよっぽどいいばく!!」

「……ミレイ!?」


 うわぁああん、と私は声を上げて泣いてしまった。

 だって、ずるい。

 優しくしてくれて、夢の中では愛してるとまで言ってくれて。


「この気持ちをどうすればいいばくかー! いっそ嫌いだって言ってくれた方が、諦められるばく! 優しくしないでほしいのばくー!!」

「ミレイ……君は、バクだったのか!!」


 驚いた顔でオルター様が私を見てる。

 え、どうしてバレたの……?

 ずっと隠してたっていうのに……!


「ひ、ひっく……ぐすん……」


 私は声が出せずにこくんと頷いた。

 ああ、軽蔑される……。

 今まで夢をずっと覗いていたのかと、嘘つきな女だと、見切りをつけられてしまう。


 嫌われた方がマシだなんて、そんなことはなかった。

 本当に嫌われると思うと、こんなにも胸が苦しい。


「ミレイ……」


 蔑みの言葉が浴びせられるものと思いきや、いつものオルター様よりも、さらに優しい声で私の名前は呼ばれた。


「まさかミレイがバクだとは思わず、その……色々と触れてしまっていたな」


 オルター様はバクな私の頭をいつも撫でてくれていたし、猫に変身した時は抱きしめて頬擦りをしてくれていた。

 私だとわかった今、さぞ嫌な気分にさせてしまっているだろう。


「嘘をついていて……ごめんなさい……っ! 私なんかに夢を覗かれるなんて嫌だろうと思って……それで嘘を……」

「気にしなくてしい。ミレイの配慮だったことはわかる」


 やっぱり、オルター様は優しい。罵倒されても当然のことをしてしまったっていうのに、私の気持ちを慮ってくれている。


「それで、その……バクがミレイだったというのなら、俺の気持ちはもうわかっているとは思うが」

「はい、わかってます……私なんか必要ないって──」

「そう、俺は君を愛している」

「え?」

「え?」


 私たちは同時に疑問符を重ねあった。

 今、オルター様はなんて?


「えっと、あの……愛しているっていうのは、家族としてですよね? 妹のように思っている的な」

「いいや。俺が女性として愛していると言ったのは……君のことだよ、ミレイ」

「え、えええ??!」


 オルター様が私を? 一人の女性として……本当に??


「だが悪夢のスキルの除去に成功した今、君を俺に縛り付けるべきではないと──」

「私は!」


 思わず声を張り上げる。真っ直ぐにオルター様を見つめて。


「私は十歳の時に初めてオルター様にお会いした時から、ずっとお慕いしていました……!」


 思いが溢れると同時に、また涙がこぼれ落ちてしまう。

 出会ってから六年間、ずっと。結婚してからの一年は、さらに強く。


「好きなんです……オルター様が……どうか離婚なんて、言わないでください!」

「ミレイ……」


 オルター様の手が伸びてきて、私の涙を優しく拭ってくれた。


「そんなに昔から、俺のことを……気づかずにすまない」

「オルター様……」

「その分、これからは俺がたくさんの愛を返していこう。だからまた、素敵な夢を見せてくれるか?」


 また、一緒に夢を。

 これからも、ずっと。

 それはまた、ベッドを共にするという意味で。


「現実では、俺が君に夢を見せてあげるよ」


 そう言って微笑んだオルター様の顔が、ゆっくりと近づいてきて。


 夢にまで見た優しいキスを。


 オルター様は私に施してくれていた。

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好きな人に結婚を申し込まれて舞い上がっていたら、初夜に「君を愛することはない」と言われました。 長岡更紗 @tukimisounohana

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