04.最後の夢の中?

 目を瞑ってしばらくすると、いつものように夢の中へと入ることができた。

 まだ寝始めたばかりで、夢の世界は広がっていないようだ。

 同時に眠ると、悪夢を食べる手間がないから助かる。


「やあ、バク」


 パッとオルター様が現れた。もちろん私はすでにバクの姿。


「オルター様、今日はなんの夢を見るばく?」

「今日は夢はいいんだ」

「……夢は、いい?」


 どういう意味だろう。もう夢を見る必要はないってこと? どうして……

 私はもう、バクの姿であっても必要ないの?


「ぼくはもう、必要ないばくか……?」


 現実の私では言えない言葉も、バクの姿なら心のままに言える。

 夢の中だからって言い訳をして。


「いや、俺には君が必要だよ。けど、君のご主人にとって、俺は必要な人間じゃないんだ」

「そんなことは」

「あるんだよ」


 私が否定する前に、オルター様は自分で肯定してしまった。

 そんな風に言うけど、オルター様だって私を必要としてくれていないじゃない。必要なのはバクであって、私じゃないんでしょう?


「悪夢を見たくないという俺のわがままのせいで、ミレイの前途ある将来を奪ってしまった。彼女の家が借金まみれだったのをいいことに、無理やり結婚させてしまったんだ」

「それは仕方ないばくよ。誰だって悪夢なんか見たくないばく」

「だからと言って、本人に気持ちがないのに無理やり結婚させてしまうのは最低だ。自分でもわかっていたんだが、あの時はとにかく悪夢から解放されたくて……浅慮だったと思っている」


 毎夜悪夢に襲われていたなら、どんな手段をとってでも解放されたいと思うのは当然だわ。責める気なんて起こらない。

 むしろ私は幸せだった。仮初めとはいえ、夫婦になれたんだから。

 バクの姿ではそれを伝えられずにいると、オルター様は難しい顔のまま続けた。


「まだ十六歳になったばかりの少女に無茶はさせられない。だから手は出さないと誓った。彼女がいつか、離婚したいと切り出した時には迷わず送り出せるように。せめて、清い体のままここを出ていけるように……愛することはないと、彼女に告げた」

「……」


 私はなにも言えなかった。

 まさかそんな考えでいたとは、露ほどにも思っていなかったから。


「だけどミレイは、日に日に美しくなっていってな……十も年の差があるというのに欲情してしまうなんて、情けない話だ」

「よく……じょう……?」

「ああ、バクにはわからんかな」

「わ、わかんないばく」


 バクな私は、はわはわと口を動かしながらわからないふりをした。

 というか、実際わからないんだけど……欲情って、どういうこと? オルター様が、私に? 全然そんな態度じゃなかったのに!

 けど、欲情と愛情は別物だってことは、経験のない私にだってわかる。単純に喜んじゃいけない。


「実は俺は、ミレイのことを昔から知っていてな。弟たちの世話を一生懸命している姿を何度も見かけた。この子には幸せになってほしいと、俺はずっと望んでいたんだ」


 オルター様の告白に、私の口は自然と開いた。まさか私のことを知っていたなんて……!


「幸せになってほしいと思っていたくせに、俺自身がミレイを不幸にしてしまっている……もう耐えられない」

「ミレイは不幸だなんて思ってないばくよ」

「いいや、見ていればわかる。日に日に元気がなくなっているんだ。いくら借金がなくなるからと言って、結婚などするのではなかったと、後悔しているんだろう」

「そんなことはな──」

「優しいな、バクは。だがもう決めたんだ。彼女を……ミレイをもう、解放してあげようと思う」

「……かいほう」

「ああ」


 オルター様は硬い決意の表情で首肯した。解放って、つまり……


「ミレイは自分から離婚を言い出しにくいだろう。だから俺から離婚を言い渡そうと思う」

「え、ええ!!?」

「起きたら伝えるつもりだ。バク、君には世話になったから、ちゃんと別れを伝えたかった」


 オルター様の温かい手が私の頭を優しく往復する。

 私の態度がオルター様に決意させてしまったの? そんな……

 あんな態度、とるんじゃなかった!!


「イヤばく……別れはイヤばく……!」

「すまない。また誰かの夢を幸せにしてやってくれ」

「ぼくがいないと、オルター様はまた悪夢に悩まされるばくよ!」

「そうはならないんだ」


 オルター様に否定され、私はバクのまま首を傾げた。


「どういうことばくか」

「実は一週間前に、とうとうスキルの除去に成功したんだ。バクの力を借りなくても、悪夢は見なくなった」


 スキルの除去。確かにオルター様は、教会にスキルの除去を願い出ていると言ってはいたけれど。

 でも十年以上も成功していないという話だった。それが成功していたの?

 喜ぶべきことなのに、全然喜べなかった。

 確かにここ一週間は、同時に寝て同時に起きることが続いていたから、悪夢を食べる手間がないなとは思っていたけれど。

 悪夢を見なくなったということはつまり、オルター様に夢喰いは必要ないってことだ。

 小娘相手に、本当は欲情なんてしたくないんだろう。私と離婚すれば、オルター様も本来結ばれるべき人と結婚できる。私もバクも、本当に必要なくなったんだ……。

 ぎゅっと歯を食い縛っていると、オルター様はやわらかな声を出した。


「最後にひとつだけ、わがままを言っていいか?」

「……なにばくか?」

「君は今まで色んなものに変身してきたが……ミレイには、なれるか?」


 ミレイに? なれるというより、戻る、だけど。

 どうして、私なんかに。


「なれるばくよ」

「では、ミレイになってもらいたい」

「どうしてばくか?」


 この一年、一度も私を出してと言わなかったオルター様が、どうして今になってそんなことを言い出すのか。

 不思議に思って彼を見上げると、少し困ったような、悲しそうな顔をしていた。


「伝えたいことがあるんだ。実際には伝えられないから、せめて夢の中で彼女に話しておきたい」

「……わかったばく」


 なにを言われるんだろうと不安になりながらも、私は変身を解いた。

 私には直接言えない話って……欲情しているという話だったし、まさか現実ではできないからって夢の中で?


「すごいな、ミレイそのままだ」


 元の姿の私を見て驚くオルター様。

 それもそのはず、イメージじゃなくて私自身なのだから。


「ミレイ……」


 オルター様が優しく目を細めて私を見ている。

 なにを言われるのか、なにをされてしまうのか。心臓がバクバクして破裂しそう。

 口から軽く息を吸い込んだオルター様は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「俺は、君と結婚できてよかった」

「……え?」


 オルター様の言葉を聞いた瞬間、私の心の中に風が吹いた気がした。

 その瞬間、イメージは夢の中で再現されて、草原が広がり風が吹き抜けていく。

 たなびくオルター様の黒髪が、現れた太陽の光でキラキラと輝きを見せる。


「悪夢を食べるバクのスキル持ちが、いつも健気に頑張っているミレイだとわかった時は、罪悪感しかなかった。十も年上の俺に嫁がせて申し訳ないと。君には幸せになってほしいと思っていたから」


 私を利用することに罪悪感を持つオルター様は、やっぱり優しくて正義の人だと思う。


「オルター様は、いい人ばくよ。ミレイもそう思ってるばく」

「ミレイはいい子だからな」

「そ、そんなことは──」

「素敵な女性だよ。一緒に暮らしているうちに、いつの間にかどうしようもなく彼女を愛してしまっていた」

「あ……い……」


 周りの景色が、色鮮やかな花で咲き乱れ始めた。

 甘い香りが鼻腔をくすぐっていく。


「ああ。愛している、ミレイ。このままずっと、そばにいてほしかったと思うほどに」


 オルター様は優しく、でも悲しく微笑んだ。

 そばにいてほしかったという過去形の言葉に、私は喜んでいいのか泣いていいのかわからなくなる。


「オルター様……」

「伝えたかったのはこれだけだ。さぁ、これが最後の幸せな夢になる。楽しませてくれるか、ミレイ。いや、バク」

「……わかったばく」


 バクだと思われている今、きっとなにを言っても無駄になる。

 起きた時には、ちゃんと私の気持ちを伝えなきゃ。


「ミレイと一緒の夢は、今までで最高の夢となるな。俺はこの記憶さえあれば、幸せに生きていける」


 夢の中だけで満足しようとしているオルター様を見ていると、その優しさに泣けてきてしまう。

 私を手放したくないと思えるくらいに、楽しい夢を見せなくちゃ。


「たくさん、たくさん遊ぶばくー!」


 私がそう言うと、たくさんのかわいい動物たちが現れて。

 オルター様は『ミレイの姿でその喋り方もかわいいな』と笑っていて。

 私たちは何度も顔を合わせて笑い、気のゆくまで遊んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る