第11話 悪夢

 遠い遠い昔の話。

 シディアンがまだ、医仙と呼ばれていた頃のことだ。その頃の彼は病める人々を救うことに奔走し、また怪我を負う者がいれば持てる手段の限りを尽くし、命を救おうとした。ある者は礼を言い、ある者は医者なのだから当然の行いなのだと言う。世間の評判など彼は気にしなかったし、若く情熱に溢れていたため、ただひたすらに人々を救うこと――それが己の使命なのだと思い定め、ただがむしゃらに情熱を傾けていた。

 貧富を選ばず人を救う彼を、人々は尊い者と呼んだ。

 彼の評判は留まることを知らず、いつしか人々は彼のことを『医仙様』と呼ぶようになった。それでも彼は慢心もせず各地を放浪し人を救い続け、気づけば飛昇して本当の『医仙』となっていた。

 仙となった彼は、その力をもってさらなる人々を救うことを誓う。

 善い行いをしているのだから、間違いなどあるはずがないと思っていた。世のために正しい行いをしていると、信じていた。そうやって人を救い続けていけば、やがて光ある世界になるに違いないと――しかし、若過ぎて彼は気づかなかったのだ。

 ――貪欲な闇は光をも食らい尽くすのだと。


『頼む! 妃を生き返らせてくれ! かの高名な医仙なら、最愛の妃を生き返らせることも可能であろう!?』

 旅をしていたシディアンを探し出し、王宮に招いたのはとある国の皇帝だった。聞けば亡き妃を生き返らせて欲しいのだと彼は言う。

『陛下、妃殿下は亡くなられてからあまりにも日数が経ち過ぎております。すでに妃殿下の魂は天に還り、魄もお体に留まってはおりません。いかなる手段を使おうとも、決して良い結果は得られないでしょう』

 すでにシディアンの力は神仙の領域に達しており、重篤な怪我すら治すことが可能であった。しかし、死の淵にいる人間ならいざ知らず、死んで三月も過ぎた人間を生き返らせることなど不可能だ。彼は丁寧にそのことを皇帝に伝えたのだが、それでも皇帝は諦めず、シディアンを拘束し牢獄へ閉じ込めた。

『ならば貴様の考えが変わるまで、そうしているがよい!』

 皇帝は皇后を心の底から愛しており、彼女をどうにかして生き返らせたかったのだ。ありとあらゆる手を尽くしてようやく医仙の存在を掴み、招くことに成功した。医仙の力をもってすれば、死者を蘇らせることなど造作もないと考えていたのだ。

 ――それでもシディアンは首を縦には振らなかった。

 いや、いかに彼が医仙とて不可能なことは不可能。だから首を縦に振りようがなかったのだ。

 しかし皇帝は諦めなかった。彼は自国の民をシディアンの元へ連れてくると、民の首に当てた刃を引いた。

『どうだ? 貴様が朕の願いを聞き入れぬから、民の命がまた一人失われたではないか!』

 飛び散る鮮血が泥だらけの彼の顔に雨のように降り注ぐ。生暖かさと鼻につく鉄錆の匂い。目の前で行われた後継を信じることができず、ただただシディアンは繋がれたまま呆然とその光景を見るだけだった。

 狂気の沙汰としか言いようがない。

 毎日のように皇帝は自ら民を一人ずつ彼の元に連れてきて、そして一人ずつ彼の目の前で殺したのだ。

 それでも首を縦に振らぬシディアンに痺れを切らし、今度は彼を城下に連れ出すと、彼の目の前でなんの罪もない民たちを虐殺し始めた。

『そら見ろ! 貴様朕の願いを聞き入れぬから、こんなに沢山の命が奪われたのだ! 全ては貴様のせいなのだ!』

 沢山の血が流れ、大地は真っ赤に染まった。人々の慟哭が国中に溢れ、怨嗟の声がシディアンに届く。悩んでいるあいだにも血は流れ命は消え、辿り着くのは破滅のみ。

 ――どうすれば良かったのだ!

 何度自問しても答えが出ることはない。

 善い行いをしたつもりでも、好意で受け取られるとは限らなかった。それでも構わぬと思っていたはずだった。しかし悪意が返ってくるとはさすがに思いもよらなかったのだ。

 あれほど咲き誇った情熱はいつしか腐り落ち絶望へと変わる。絶望すらも枯れ果てた頃――医仙はただの虚ろな抜け殻となった。

 それから百年――二百年――――――。


    * * *


 目を開けシディアンは愕然とした。

(身動きが、取れない……)

 なぜかといえば、仰向けのシディアンのほうへ体を向けたウェイリーがいて、彼の腕がシディアンの腰をしっかりと抱えているからだ。少し視線を動かせばウェイリーの寝顔が見えることだろう。気になって全く眠ることのできないシディアンとは対照的に、ウェイリーの寝顔は安らかで幸せそうだ。

(どうしてこうなった……)

 昨晩何かあったのだろうか。記憶をたどるも全く思い出すことができない。しかし、いかに普段から触れ合うことの多いウェイリーとて、勝手に寝床に入る男ではないはずだ。きっと何か理由が、理由があるに違いない。それとも、自分が彼を無理やり連れ込んだのだろうか?

 窓の外の空は暗く、幸いにして起床にはやや早い時間だ。悩むにはもう少し時間に猶予がある。穏やかなウェイリーの綺麗な寝顔は、成人の男性らしさを備えながらも僅かにあどけなさを残す。伏せられた黒く長い睫毛の艶やかさと、薄く色づいた柔らかそうな唇を見て、シディアンは無意識に喉を鳴らした。

(眠っているとまるで人形のようだな)

 仙源郷で振り回された元気なウェイリーの行動や笑顔を思い出し、シディアンは思わず頬を緩めた。少しだけ体を傾け、ウェイリーのほうへ体を向け、緩やかに彼の背を抱く。もう少し。もう少しだけ、このままでいられたら。

 しかしその思いはウェイリーの微睡みによって打ち破られる。

「ん……しでぃあんさま……?」

「あ、いや……。こ、これは違……、き、気づいたら君が……その、誤解だ!」

 理由も分からぬまま隣のウェイリーが目を覚ましかけたので、シディアンは慌てた。慌て過ぎて要らんことまで口に出してしまったような気がする。そのせいで半分夢の中にいたはずのウェイリーを完全に起こしてしまったらしい。

「シディアン様!」

 ぱちりと目を開けたウェイリーは、シディアンの頬をぱっと両手で押さえぐっと顔を近づける。ウェイリーの真剣な眼差しがシディアンを捉え、言いようもない恥ずかしさがこみ上げた。ウェイリーはしばらくシディアンの頬や目の周りをぺたぺたと触ったあとほっと胸を撫でおろす。

「良かった! 泣いてない!」

 何があったと尋ねる前に、今度はぎゅっと抱きしめられた。予想だにしないことの連続で、どうしてよいか分からない。動くこともできず振りほどくこともできず、呆然とウェイリーに抱きしめられるままになっている。

(何がどうなったんだ!? 泣いてないって、どういうことだ!?)

 勇気を出してウェイリーから体を少しだけ離し、彼の顔をもう一度見る。自分の身に何があったのか尋ねると、心底驚かれてしまった。

「覚えておられないのですか!?」

「す、済まない……。私に一体何があったのだろうか? 君に迷惑をかけたのだろうか……」

「シディアン様は、昨晩とてもうなされていたのです。それで大丈夫ですかと声を掛けたのですが……その、泣きながら側にいて欲しいと仰って……。それで失礼かと思ったのですが、お傍で寝かせていただいたのです」

 泣きながらの下りは一切覚えていないのだが、確かに思い出すのも苦しいような遠い昔の夢を見ていたような気がする。その記憶は桃莱国のことではなかったが、やはり皇城に呼ばれ皇帝に関わり合うものと接したことで、過去の記憶が夢となって現れたのかもしれない。

「済まない。そういえばずいぶん辛い夢を見た気がする」

「シディアン様があれほど苦しむ辛い夢とは、どのような夢だったのですか?」

 言う必要はない――そう思ったのに、心は裏腹に『聞いて欲しい』と訴える。躊躇った末に少しくらいならと思い直し、『昔、不可能なことを無理やり行わなければならなくなったそのときの後悔の記憶』であると掻い摘んで説明をした。何度夢に見ても夢の中ですら変えられぬ、辛い辛い思い出だ。

「しかし……そうか、君が側にいてくれたお陰できっと落ち着くことができたのだな」

 ウェイリーに聞くまで、夢のことは微塵も思い出さなかった。それはきっと、彼が側にいてくれたことで気持ちが落ち着いたからなのだろうとシディアンは思った。

「……念のため聞きたいのだが……。傍にいて欲しいの他にも、君に頼んだことはあるか?」

 シディアンの問いに、やや躊躇いがちにウェイリーは言葉を濁す。

「その……私がシディアン様を落ち着かせようと抱いて背中をさすって差し上げたところ、そのままでいて欲しいと……」

「……」

 穴があったら入りたいとはこのことだ。記憶にないこととはいえ、かなりの無茶をウェイリーに強いてしまった。本当に申し訳なかった、と何度も謝るもウェイリーは謝る必要などないと笑う。

「シディアン様は強く優しく、立派な方だと常々私は思っております。……ですが、そんなシディアン様でも悩み苦しむことがあるのですね。失礼になるかもしれませんが……私は、貴方の強い部分も、そして弱い部分も知ることができて嬉しく思います」

 今まで誰にも言われなかった言葉だ。見せなかったから、誰も知ることがなかったのかもしれない。それでも弱さに対して嬉しいと言われ、嬉しくて泣きたい衝動に駆られた。

「私は……決して立派などではない。弱さも悩みも人並みに持っている。ただ単に、それを人に見せるのが怖かっただけ……。恥ずかしいところを見せてしまった」

「そんなことはありません。見せるのを恐れるのは、それだけ辛い思いをしてきたのでしょう」

 自分も計り知れない苦労と苦難を背負っている。なのに彼はなぜ、ここまで他人を想い、優しい言葉を掛けることができるのだろうか。互いに背負った重みは異なるとはいえ、少しばかりウェイリーの優しさが眩しく思えた。

「君は、強いな」

「私とて強くなどありません。それに私の弱さは……すでにシディアン様が受け止めてくださったのですから」

「私に?」

 そうですよ、とウェイリーは微笑む。

「あ……。では、私はシディアン様の秘密を、少しだけ分かち合うことができたのでしょうか? 僅かなれど貴方の苦しみを、和らげることができたでしょうか?」

「大げさな。……まあ、恐らくは」

 誰とも分かち合うことなどないと思っていたはずなのに、よもや悪夢にうなされ、このような形で誰かに過去が知られてしまうなんて。恥ずかしさにそっぽを向いたシディアンは、しかし背後から柔らかく包まれて目を見開いた。

「これからも、少しだけ貴方の辛さを私に受け止めさせてください。せめて皇城にいるあいだだけでも――」

 胸がちくりと痛む。

 せめて皇城にいるだけでも――。できることなら、もっと、ずっとこうしていられたらいいのに。

 そう思うのは身勝手なのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

千歳の虚を満たすもの(ちとせのうつろをみたすもの) ぎん @tapoDK5W0gwakd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ