おまけ 麟の名前について――あるいは暴走する葵さん

当初本編に入れたいなと思ってたネタなのですが、まさかの連続投稿最終日にRTAで仕上げておまけとするなど。


―――――


そういえば。

そんな言葉でりんの隣に腰掛けてソフトクリームを舐めていたあおいが口を開いた。


りんさんのお名前って、麒麟きりんりんなんですよね……三才図会さんさいずえ説?」

「はい?」


途中まではともかく、最後の言葉がよくわからず、りんは思わず聞き返した。


「確かに、俺の名前は、麒麟きりんりんの字、ですけど……そのせいで、中学の時のあだ名、ジラフでしたけどね」


そう言って、りんりんで、自分の持ったチュロスをかじる。

昼下がりの遊園地。近くの軽食販売所でおやつを買って、二人で並んで、メルヘンチックな装飾のされたベンチに腰掛けている時の事であった。


「それは、完全に動物の方のキリン、ですね。私の言ってるのは、空想の動物の方の麒麟きりんだなって話です」

「ああ、中国の、ですよね」


りんの言葉に、ですです、と言ってから、あおいはソフトクリームを口にする。

それから、ごそごそとスマホを取り出したかと思うと、何やらたぷたぷと片手で操作して、そして画面をりんの方へと向けて来た。


「え……? ナニコレ?」


画面を見たりんは思わず、その画面に表示されていた内容に目が点になる。

画面の、右寄りに表示されてるのはそれこそ、今話していた麒麟きりんの図像だ。

だが、その左側はややかすれ気味の漢字の羅列。よくよく見ると、横に小さくカタカナや返点かえりてんが書かれている。


「国立国会図書館デジタルコレクションの『和漢三才図会わかんさんさいずえ』です」

「え、え、国立国会、え、わかん……?」


少しどやっとした表情をしているあおい可愛かわいい、が、結局のところりんには良くわかっていない。


「国立国会図書館デジタルコレクション、古書とかをスキャンした画像データが見れるんです。館内利用のみやユーザ登録が必要なものもありますが、この『和漢三才図会わかんさんさいずえ』みたいに、ネット環境さえあれば見れるものもあるんですよ! 資料に便利です!」

「な、なる、ほど」


気のせいだろうか。

あおいの鼻息が荒い気がする。

気圧けおされたまま、りんは手元のチュロスをまた一口かじる。


「『和漢三才図会わかんさんさいずえ』は中国のみんの時代に作られた百科事典の『三才図会さんさいずえ』を参考に、江戸時代の寺島良安てらじまりょうあんという人が書いた百科事典なんです。元の『三才図会さんさいずえ』だけでなく、いろんな漢籍かんせきの記述も引用されてます」

「あー、だから漢文、なんですね」


とはいえ、りんとしては漢文を読む気は、あまり、起きない。


「うふふ、国立国会図書館デジタルコレクションの和漢三才図会わかんさんさいずえ』の特徴は、中近堂という出版社が明治に発刊したものなので、なんと、活版印刷された文字で読める事が重要なのです」

「……じ、重要、なの?」


なんだかあおいの知らなかった一面を掘り下げているような感覚を覚えながら、りんは疑問を口に出す。

すると、くわっとあおいは目をむいた。


「重要です!! くずし字であれ、なんであれ手書き文字の翻刻ほんこくは……あれは、忍耐とひらめきと確認の作業、ですから……クセ字、許すまじ……」


うふふ、とあおいの口から低めの笑い声が飛び出す。

それから、はたと気付いたように、りんに向けていたスマホを自分の方に戻した。


「ああ、でも普通に合略仮名ごうりゃくがなとか入ってるから読みにくいといえば、読みにくいんですよね」

「え、あ、そう、なの……」


そんな細かいところまで見る気はりんには起きなかったので、気付いていなかった。

すると、あおいは溶けつつあるソフトクリームを手にしたまま、一度すうっと大きく息を吸うと――


本綱ほんこう麒麟きりん瑞獣ずいじゅうなり。𪊽身こんしん牛尾ぎゅうび馬蹄ばてい五彩ごさいにして腹下ふくかなり。高さ丈二じょうに圓蹄えんてい、一角、角端かくたんに肉有り。こえ鐘呂しょうろにあたり、いくこと規矩きくにあたる。あそぶかならず地をえらびて、つまびらかにしてのちところをり、生蟲しょうちゅうまず、生草しょうそうまず。羣居ぐんきょせず、侶行りょこうせず、陥穽かんせいに入らず、羅網らもうかからず。王者おうじゃじんいたるときはすなわちづ。三才図会さんさいずえいわ毛蟲もうちゅう三百六十にして麒麟きりんこれおさり。めすい、おすりんう。おすの鳴くを――」

あおいさん!? そんな壊れた音声ガイドみたいに!?」


立て板に水ですらすらと読み上げ始めたあおいに、りんは思わずツッコむ。

端的に言って、昼下がりの遊園地で何をやってるんだ、という話である。

後、ソフトクリームの溶け具合が気にかかる。


「え……だって、たぶんさっき私の言った、三才図会さんさいずえ説って言葉、りんさん、わかってませんでしたよね?」

「うん、わかってなかったけどね、まさかね、そんな行為に出るとは、思いもよらなかったよ……」


びっくりした。とてもびっくりした。

あおいの可愛らしい声でも、内容がゴリゴリの漢文だとこんな気持ちになるのか、となんとも形容しがたいもやもやがりんの胸中にあった。


「えっと、かいつまんでもらっていいですか……?」

「あ……はい、すみません、調子に、乗って、しまい……」


我に返ったらしいあおいの顔が真っ赤に染まる。

それから、あおいはスマホを膝の上に置いて、ふう、と一回ため息をつくと口を開いた。


「えっと、『和漢三才図会わかんさんさいずえ』で引かれてる『三才図会さんさいずえ』での記述では、麒麟きりんりんおすで、めすだと言うんですね。雌雄しゆうについてはこの『三才図会さんさいずえ』から引いた部分が、メインの本文に書かれてるんですけど……」


それから、あおいはちらっとりんの方を上目遣うわめづかいで一度見上げた。


「ただ、『和漢三才図会わかんさんさいずえ』の麒麟きりんの項目の最後には、『瑞應図ずいおうずいわく、おすし、めすりんす。三才図会さんさいずえ表裏ひょうりす。三才図会さんさいずえの説あやまりか』と記載されてるんです」

「……ん?」

「この『瑞應図ずいおうず』、おそらく中国の南北朝の南朝のりょう時代に作られた『瑞應圖記ずいおうずき』ともくされてまして、普通に考えれば、古い記述ほど伝承的には真と考えられるので……」


りんの脳裏に、小学校低学年の頃、女みたいな名前とはやし立てられた記憶がよぎる。


「えっと……つまり、その『三才図会さんさいずえ』ってのにしたがえば、麒麟きりんおすりんだけど、それより前には逆で、麒麟きりんりんめすで、の方がおすって言われてた……ってこと」

「そう、なります……」


気まずい沈黙と共に、目を合わせようとしないあおいをじーっとりんは見つめる。


あおいさん」

「ひゃい、ご、ごめんなさい!」


飛び上がらんばかりに肩を震わせてあやまあおいりんは苦笑すると、そのあおいの右手を指さした。


「ソフトクリーム、マジで溶けますよ」



――――――――――

参考文献

国立国会図書館デジタルコレクション

『和漢三才図会』中之巻

https://dl.ndl.go.jp/pid/898161

 目次のところの「三十八巻 獣類」を選ぶと左側に麒麟きりんってるぞ!

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NTR系字書きと溺愛系字書きがお見合いしたら 板久咲絢芽 @itksk_ayame

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