Green Blue eyes

森陰五十鈴

見守る瞳

 また一人、灰にした。


 夜の路地裏、街灯の光も差し込まない暗がりに、銀の眼が輝いた。持ち主は、月明かりが形成かたなしたような少女。銀色の長い髪を持ち、黒いコートを華奢な身体に纏う。

 彼女の足元には、灰の山があった。火葬の後を思わせる白っぽい灰。それがつい先程まで人の形をしていたと、誰が思うだろう。もっとも、目撃者は少女の他におらず、証明の手段はない。

 微風にさらさらと灰が流れる。山は少しずつ削られていく。だが、少女は構うことなく瞼を伏せた。朧げな銀の光が遮断される。夜より深い闇がそこにあり、吐息さえ掻き消す沈黙がそこにあった。

 深更。人々が眠りにつく時刻。少女イリスは周囲に配慮し、足音を殺して路地裏を出る。空に星はなく、代わりに雲に覆い尽くされていた。街灯だけが石畳の路を照らす。白に浮き上がる灰色。色を失くした街並みを、少女は青に塗り変えた。色付きの眼鏡を掛けたのだ。珍しい瞳の色を覗き込まれるのを、イリスは怖れていた。今ここに他人は居ないが、習い性となっている。


 邪眼。

 イリスの銀の瞳を、知る者はそう称す。

 金属光沢を持ったその瞳は、意思を持って視るだけで、あらゆるものを灰にすることができた。悪魔の力。異能の力。彼女はその特異な力を有するが故に、人に死を与える役目を与えられていた。

 今宵もまた、イリスはその役目を果たした。彼の罪状は少女には知らされていない。彼女は、ただ望まれるがままに役目を果たすことを強いられていた。


 ぽつ、ぽつ、と空から雫が落ちる。惹かれるようにイリスが曇天を見上げた途端、激しく雨が降り出した。石畳を叩きつける雨音に、辺りは騒然とする。しかし彼女は動じることなく、ゆるりとした足取りをそのままに路を歩いた。

 冬の雨が少女を濡らす。青い視界が、水滴に覆われた。ずぶ濡れになるのは構わなかったが、視界を妨げられるのはさすがに鬱陶しかった。せっかく掛けた色眼鏡をイリスは外す。瞳を覗き込む者が居ない深夜であることが、彼女に勇気を促した。

 街は再び色を失くした。雨に色を洗い流されたようだった。単色モノクロームの景色に、イリスは溜め息を溢す。それは彼女の心境を映したようだった。与えられた役目を彼女は受け入れこそしていたが、愉快にはなれなかった。手を赤に染めることのない――人らしい死を与えることのないこの力に、うとましささえ覚えていた。

 それでも、彼女に拒む権利はない。

 思い悩みこそしなかったが、イリスの世界は役目のために精彩を欠いていた。


(遠回りしていこうか)


 気鬱による思いつきを、イリスはすぐに打ち消した。気化熱が彼女の身体を冷やしていた。寒さが少女の足を家路に向けさせる。


 やがて辿り着いたのは、他と同じく灰色の石を積み上げた、小さな二階建ての建物だった。一階は店舗。二階が住居。壁から突き出た丸い看板には、黒猫のシルエットに〈夜想曲ノクターン〉の文字が書かれている。

 イリスは〝閉店〟の札が掛けられた木の扉に手をかけて、そこで動きを止めた。扉に嵌まった硝子越しに、白い光が見えた。店に、誰か居るのだ。

 イリスが開けるのを躊躇していると、中から扉が開かれた。彼女の目に飛び込んできたのは、鮮烈なグリーンブルー。

 背の高く純朴な亜麻色の髪の青年が、眼鏡のないイリスの邪眼を真っ直ぐに見下ろしている。

 イリスは、まるで胸を撃ち抜かれたように、青年の前に硬直した。


「お帰り」


 青年は柔らかい声で、少女を出迎えた。


「……起きていたのか」


 呆然とするイリスに、


「ただいま、でしょ?」


 青年は朗らかに笑いかけ、少女を暗い店内に招き入れた。

 カウンター直上の明かりだけが、店内を照らしている。窓際に置かれた三つのテーブルが影の中で沈黙していた。闇洋やみわだに浮かぶ小島のように、カウンターの周囲が浮かび上がっている。


「うわ、ずぶ濡れだ。早く上着脱いで」


 青年ロビンは悲鳴じみた声を上げながら、店の奥へと進んでいく。右手側に備えられたカウンター。その向こうへと回り込む。カウンターの下からタオルを取り出すと、コートを脱いでシャツ姿になったイリスに向かって放り投げた。


「髪、拭いて。お風呂入れてくるから!」


 ロビンはイリスの手から、水の滴るコートを取り上げると、扉の向かい側の壁沿いに設けられた階段を駆け上がった。木の床に、黒のスポットができる。

 店を汚したことを申し訳なく思いつつ、銀の髪をタオルで拭きながらイリスはカウンターの丸椅子に腰かけた。テーブルに肘を付き、ぼんやりとその向こうを見つめる。蛍光灯の白い光が、カウンターの中を照らし出していた。併設された小さなキッチンは、きれいに片付けられている。が、調理台の上に白いポットと、ガスレンジの上にやかんが置かれているのが気になった。細い口先から白い湯気が出ている。

 首を傾げたイリスの腕のそばに、のそりと黒い影が這い寄った。目を向けると、黒の毛むくじゃら。ロビンと同じグリーンブルーの目を持つ猫が、カウンターの上に寝そべっている。


「ロビンに伝えたのは、お前か」


 イリスは猫に話しかける。静かな彼女の帰宅を察知したのは、この猫のほう。猫が知らせたから、彼は扉の向こうに立つイリスを出迎えた。

 猫は目を細めてあくびするばかり。イリスは肩を竦めた。


「すぐに入るから、ちょっと待ってて」


 階段を下りてきたロビンは、そのままカウンターの向こうへ行くと、やかんを手に取った。ティーポットにお湯を注ぎ込む。ここはロビンが経営する喫茶店。紅茶とシフォンケーキを提供する場所。そんな場所で、客も居ないのに茶を淹れるのはどうしてか。

 三分後、イリスの前に白磁のカップが出される。


「温まるよ」


 ロビンは淡く笑みを作る。蛍光灯の下で、グリーンブルーの瞳が優しくイリスに向けられていた。少女はついその瞳に見入り、余計な色のない視界に、自分が眼鏡を掛けていないことを思い出した。視線を逸らす。

 イリスの目は、手元のカップに向けられた。小花柄のつややかなカップには、紅茶が入っているはずだった。が、紅みのあるその液体は、普段よりも僅かに紫がかっている。見慣れない色に、イリスは目を瞬かせた。人を灰にする銀の瞳が、純粋な疑問の色を浮かべる。

 微かな湯気が、芳醇な花の香りを運んできた。


「フルーツティーだよ」


 ロビンは頬杖をついて、イリスが茶に口付けるのを待っていた。その目が柔らかく細められている。


「ベリーと葡萄が入ってる。他にハーブがいくつか」


 グリーンブルーの目は、期待と不安がない混ぜになっていた。この店にあるものでは、珍しいお茶だった。いつの間にかカウンターの猫も飼い主と同じ色の瞳で凝視している。

 注目に身体を硬くしながらも、一口啜る。噎せ返るほどの花の香りと果物の酸味と甘味、そして少しの植物の苦味。飲み込めば、喉へ、胸へと熱が通り抜けていく。


「……美味しい」

「そっか」


 ロビンの表情がほころんだ。

 お茶の香りと温かさが、イリスの身体のこわばりをほどいていった。そこでようやく自らの気が張り詰めていたことに気がついた。人を手に掛けた夜は、心に重しが載せられる。彼はそれを取り払うために起きていてくれたのだ。

 今度は気恥ずかしさに、カップに視線を落とした。紫色と、不思議な色合いのお茶。白いカップの縁は金。その下、四方に小さな薄紅色の花。睡蓮に似ている。そして、花を繋ぐように、紅い色の蔦模様。

 こだわりのある店主が、ただの素っ気ない茶器を使用しないのは知っていた。だがそれは、こうも心動かされるものだっただろうか。いつも硬く引き結ばれたイリスの口元が緩む。手の中の小さな彩りが、彼女の心を浮き立たせた。


 身体の中が温まり、頭の中に浮遊感を覚えはじめた頃。


「そろそろ、お風呂も入ったかな」


 温かいうちに中身を飲み干した茶器を片付けて、ロビンは視線を上階に向ける。木の天井は静かなもので、上の階の様子など計れはしない。が、湯水が張られる時間を考えれば、頃合いだろう。

 イリスは丸椅子から下りた。


「俺は、片付けてから寝るから」

「……そうか」


 髪の雫を吸ったタオルを片手に、階段へと向かう。そこでふと思い至って、イリスはロビンのほうを振り返った。


「おやすみ」

「おやすみなさい。良い夢を」


 グリーンブルーの眼差しに見守られながら、イリスは階段を登っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Green Blue eyes 森陰五十鈴 @morisuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ