緑色の霧、再び

大田康湖

緑色の霧、再び

 1971年3月19日、陽光原ようこうばら市。黒いセーターにジーンズ、黒縁の眼鏡を掛けた青年、京極きょうごく伸男のぶおは夕暮れの流川ながれがわの土手を散歩していた。

(明日はいよいよ上京か。もうここで桜を見ることもないんだろうな)

 伸男が土手に植えられた桜のつぼみを見ながら心でつぶやいた時、反対側から紺色のブレザーに赤いパンタロンの少女が歩いてきた。年頃は18歳の伸男と同じくらいだろうか。

 少女は桜の幹の前で立ち止まると、何かを祈るように手を組み合わせて目を閉じた。肩まで伸びた髪に隠れて表情は見えない。次の瞬間、夕闇の空を切り裂くように、一筋の緑色の光が横切った。


 気がつくと、伸男は緑色の霧の中にいた。隣にはさっきの少女がいる。この霧に伸男は見覚えがあった。二年前、姪のやちよが生まれた晩に、流川の土手でこの霧に包まれたのだ。霧の中には亡くなった父親の姿を借りた宇宙人、ノチィヒ星人がおり、伸男は宇宙人から緑色の石を託された。

(でも、あの石は流川に捨ててきたはず)

 伸男が考えこんでいると、少女が口を開いた。

「宇宙人さん、石を返しに来ました」

 すると、霧の向こうのカーテンのような仕切りが開き、着物を着た老人が現れた。少女が優しく呼びかける。

「おじいちゃん」

(僕の時と同じで、きっと亡くなった祖父の姿を借りてるんだな)

 伸男が思ったその時、老人が口を開いた。

竹末たけすえ功子いさこさん、京極伸男さん、これまでの協力ありがとう。君たちを通して貴重な資料を得ることができました。京極伸男さんの石は回収済みなので、竹末功子さんの石をこちらに渡してください」

「宇宙人さん、一つ聞きたいんだけど」

 功子が石を差し出しながら尋ねる。

「石を返したら、もうおじいちゃんとは会えないの」

「この宇宙人は君のおじいちゃんの姿を借りているだけだよ。分からないのかい」

 伸男はたまらず声をかけたが、功子は顔を向けると抗議した。

「分かってるよ、そんなこと。でも、おじいちゃんにもう一度会いたいって思ってたら来てくれたんだよ」

「僕は幻の親父に会っても嬉しくなかった。だから石も川に捨てたんだ」

 抗議する伸男を見て老人、もといノチィヒ星人の声のトーンが下がった。

「あの石の回収には苦労しました。幸い、体内のマーカーは無事でしたので、これからもあなた方の追跡はさせていただきます。マーカーはケセルこと地球人には検知できないようになっていますので、あなた方は気にする必要はありません」

「そっか、もう私から会いに行くことはできないんだ」

 落ち込む功子を見て、胸が痛くなってきた伸男は思わず励ました。

「僕は明日、就職のために東京へ行くんだ。君だっていずれ独り立ちするんだろ。亡くなったおじいちゃんも、がんばってる君を見たらきっと安心するよ」

「うん、そうだね。今までありがとう」

 功子は石をノチィヒ星人に渡すと、頭を下げた。

「それではあなた方を帰します。もちろん、今回のことは秘密ですからね」

 ノチィヒ星人の姿が、霧の向こうに消えていく。気がつくと、二人は桜の木の側に立っていた。既に辺りは夕闇に包まれている。

「まさか、私と同じ体験をしている人がいるなんて思わなかった」

 功子に話しかけられ、伸男は眼鏡に手をやりながら答えた。

「僕もだよ。ま、きっと話しても誰も信じてくれないだろうけど」

 功子は桜の幹の向こうから顔を覗かせると言った。

「私は竹末功子。名前はおじいちゃんが付けてくれたんです」

「僕は京極伸男、名前は亡くなった父が付けたと聞いています。良かったら少し散歩しませんか」

 伸男の言葉に功子はうなずくと、伸男の側に立つ。それが後に結婚する二人の出逢いだった。


 おわり

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