白い翼

白米おいしい

白い翼

 ぱちゃーん!


「ははは、つめてっ」


 思ったより勢いよく水たまりにジャンプしてしまった。はね返ったしぶきが少年の服や顔に当たる。

 白いシャツに点々と黒いシミを付けながら、彼はなお笑顔で水たまりをパチャパチャ足踏みした。ふしぎなことに彼は素足だったし、白いシャツの背中には同じく白い翼が生えていた。


「あ~~カリン、それくらいにしといてくれると、俺が洗濯的にありがたいんですけどぉ」

「ええ、もうちょっと! なんだか楽しくなっちゃった」

「はしゃぎすぎだって」


 水たまりで遊ぶ少年の後ろから控えめに懇願するもう一人の少年がいた。こちらは名をオノリスという。メガネと褐色の髪色で知的な印象を与えているのとは逆に表情が陰気だ。

 子どものように無邪気に笑っているカリンを見て、オノリスは「はあ~」とため息をつきつつメガネを押し上げた。


「その服、俺のなんだぞ」

「助けてもらった恩は忘れないよ」


 ふわふわの明るい髪を揺らしてカリンが振り返る。


 カリンはオノリスの家の庭のすみでうずくまっているところを発見された。ついさっきのことだ。

 オノリスがぼんやり窓の外を見ていたとき、突然ドサリと重い音がしたのだ。泥棒でも入ってきたのかと庭に走っていったら、素裸の少年が桜の木の下で倒れていた。背中の白い翼が非現実的で、オノリスは夢を見ているのかと思った。


 まあ、夢なら何があってもふしぎではあるまい。現実をきらい、逃避していたオノリスは深く考えたくなかった。野鳥をさわってはいけないと聞いたことがあるが、目の前の生きものは「鳥」に分類されるのか判断に困った。悩んだ末、オノリスは鳥少年を抱き上げて家の中に運んでいったのだ。


 落ちた小鳥はこの先の厳しい試練に耐えられないだろう。生きるすべを持たない弱き者は淘汰される。自然界のことわりに手を出してはいけない。しかし、そのときのオノリスは現実を生きていなかった。


 翼を通すため、貸した服の後ろにハサミを入れた。動きやすいジーンズも提供した。


「あのとき飛ぶの失敗しちゃってさあ。雨で木の枝が濡れてたんだよね」

「巣立ちの練習してたのか」

「そそ。あ、ヤバい、と思ったときには真っ逆さまだよ」


 目が覚めた少年にあたたかいカリンジュースを飲ませてやった。すぐに元気になった少年、「カリン」は雨上がりの庭に飛び出した。元気な小僧だ。鳥ではなく、少年に翼が生えただけ、ととらえる方がしっくりくる。


 空はまだどんより曇っており、ときおり、ぽつ、ぽつと雫が肩を濡らす。

 オノリスは水たまりを踏んづけて遊ぶ少年を見守りながら、用心して持ってきた傘をさした。カリンの白い翼がパタパタと開く。これでどうやって飛ぶのだろう? 勇気があれば太陽に手が届くのだろうか?


「なあ、カリン。君のその翼のこと……」


 さーー……


 カリンがふと灰色の空を見上げたとき、待っていたかのように細い雨が降り出した。みるみるうちに髪が水分を含み、しっとりと肌に張りつく。

 言わんこっちゃない。オノリスは話しかけるのをやめて鳥少年に傘を貸してやろうとした。しかし、一歩前に出たところで足が止まった。


 カリンの白い翼は、雨に濡れていくうち、ゆるやかに色を失って透明に変わっていった。

 白い絵具が洗い落とされたわけではない。たしかに羽毛の存在感はある。翼を広げれば風切羽がどこにあるか言い当てることもできるだろう。翼の下の骨格が白い筋となってうっすら見える。


 オノリスはまばたきした。

 少年の翼は透明だった。


 たしか、雨に濡れると色が透明になる花があった気がする。暗い部屋で読んだ本に載っていた。知識だけは自信がある。

 サンカヨウの名前を思い出したとき、カリンに名を呼ばれた。


「どう、きれいでしょ」

「そんな翼でも、飛べるのか?」

「実験してるとこなんだ。うまくいきそうなんだけどね。こうなっちゃうと、風と友達になる方法がよくわからなくて」


 雨に濡れたシャツが透けている。カリンはニッと笑って、透明な翼を大きく広げてみせた。このまま飛んでいってしまうのではないかと、オノリスはほんの少し不安になった。


「ねえオノリス。僕おなかすいたんだけど、何かもらってもいいかな」

「ひ、ひまわりのたね……?」

「いや~~もうちょい人間扱いしてくれるとうれしいけど」


 ぐうー


 カリン少年のおなかが切実に訴えている。なじみのある音を聞いてオノリスは我に返った。


「翼、ちゃんと乾かさないと風邪引くだろ」

「うん。あったまったらまた白に戻るよ」

「透明なのもきれいだよ」


 オノリスは少し笑って、新しくできた友達に傘をさしかけた。



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