彼女には色がある

とは

彼女には色がある

 自分には、彼女との始まりの記憶がない。

 実にひどい話だが、彼女から呼び出された時。

 自分にあった感情は、「また人を傷つけてしまう」だった。

 いや、そんな綺麗なものではない。

 まずはじめに抱いたのは、『あぁ、面倒だ』という思いだったから。

  

 好意を持ってもらえる。

 これを喜ばない人間など、そういない。

 だが、ごくまれに存在するのだ。

 どうか自分に関わらないでくれと願う人間が。


 いつからか、自分に好意を向けてくる異性に対し、母親が厳しい言葉や行動をするようになっていた。

 当初はいさめていたものの、それは母親をエスカレートさせるだけ。

 やがて『あらがう』から『諦める』へ。

 考えることや変えていこうとする気持ちを止め、心を暗く、鈍らせる場所へと自分で沈み込んでいく。

 もう、人を好きにならなければいい。

 そうすれば、失うことや傷つくことを知らなくて済むではないか。

 興味を持たず、そして持たれぬように。

 気が付けば、そう生きるようになっていた。

 感動は薄れ、刺激はなくなり、世界は次第に色を失い消えていく。



◇◇◇◇◇



 始まりは、小さなチョコレートの茶色。

 それから彼女のはにかんだ笑顔、掛けられる言葉、まっすぐな思い。

 かつて失くした、そして知らなかった色が自分の中で広がっていく。

 その手に、楽しそうな笑顔に。

 あの子は次々と、優しく温かな色を添えて、自分を彩りある世界へと引き上げてくれたのだ。


 彼女が隣にいるのが当たり前となった今、始まりの記憶がないということに後ろめたさはある。

 けれども、同時に思うのだ。

 覚えていない、まっさらな状態だからこそ、彼女の言葉が自分に届いたのではないのかと。


 そんな幸せをくれたあの子に、自分ができることを。

 彼女には、『今日は大学の先輩と飲みに行くので遅くなる』と伝えてある。

 これで今晩はゆっくりと、自分の時間を過ごしてくれるはずだ。


「さて、約束の時間になったな」 


 そう呟くと、直人は相手の待つ店の扉に手をかけるのだった。

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彼女には色がある とは @toha108

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