夢を渡る(KAC20247用)

Tempp @ぷかぷか

第1話 夢の中

「絶対に秘密だよ、かなめ。それはもちろん私にも」

 足立あだち春音はのんはぼんやりとそう呟き、目を細めた。その瞬間、それまで薄っすらと闇色だったなにもない空間はひび割れた。春音の目が閉じる代りだとでもいうように、春音を中心としてバリバリと空間が割けていく。唐突に中空に現れたその世界の裂け目から真っ赤な液体がどろりどろりと滴り世界を満たし始める。その粘液が私の裸足の足元に到達したとき、私は唐突に衝撃を感じた。

 痛い。その裂け目が広がるたびに痛みを感じる。この痛みは私のものじゃない。誰かの感じた痛みがこの空間を緩慢に伝わって私に到達する。裂け目はやがて見上げる間に天頂に達する。そろそろ今回の世界は終わりだ。春音が目覚める。この夢の世界から。すぐ近くで雷のような音が聞こえた。


 そのチリリリリという音を発するアラームをなんとか手探りで探し出し、ボタンを押す。なんとか起き上がれば、体はぐったりと重い。誰かの夢を見るときはいつもこうだ。そう思っていると、トーストの焼ける香りが鼻まで漂った。

 朝。

 制服に着替えていつもの鞄を引っ掛けて1階のリビングに降りれば、母が机にトーストとサラダと目玉焼きを並べているところ。

「お母さん、おはよ」

「おはよ、要。今日はうまく起きれたみたいね」

「うん。よかったよ」

 本当によかった。今日はあいつが夢にでてこなかった。春音の夢に巻き込まれてからもう1週間程だが、その半分にはあいつが出てくる。多分男だ。多分若い。若いといっても高校生の自分よりは大人だろうけど。

 私はよく、他人の夢に巻き込まれる。たいていは親しい人が私のことを考えながら寝たとき、掃除機に吸い込まれるようにその夢に呼び出される。その夢の中でその人と話したり遊んだりしていれば、たいていは朝になる。そしてその当人は夢の中に私が出てきたことなんて覚えていない。だって夢なんだもの。

 けれども巻き込まれた私としてはたまったものじゃない。どうしてそうなるのかわからないけれど、夢のなかで怪我をすれば寝ている私も怪我をする。多分私にとって、誰かの夢というのは夢じゃなくて現実に近いからかもしれない。だから他人の夢の中で死ねば、多分私は死ぬ。

 だから私はなるべく友達を作らない。夢というのは荒唐無稽で、ちょっとしたことでわけのわからない展開を見せるから。ちょっとしたことで怪獣が現れて、ちょっとしたことで大災害が起きる。そしてちょっとしたことで、死ぬ。

「なんかすごく、お腹すいた。パンお代わりある?」

 そう言うと、母はトースターに新しい1枚をセットした。多分、私は夢の中で体力を消耗する。走ったり逃げたりしてるときは特に。


 今日見た夢を思い出す。今日は特に何もなかった。

 春音はいつもどおり何かを探していた。今日は砂浜だった。夢自体は体感的にもそんなに長い時間じゃない。春音が起きたから、私も夢から追い出された。それが一番穏当な方法だけれど、私が巻き込まれた原因を解消しなければまた巻き込まれる。完全に他人の夢から手を切るには、私との接点になるものを解消すればいい。例えば夢の中で私のことを考えたり、私のことを思い出すきっかけを。

 夢というのはその人の頭の中が反映される。同じ夢を見る場合、そこには何かのこだわりがあるものだ。普通だったら困ったこととか願い事とか、そういったもの。それを解消させないまでも、興味を薄れさせることができれば、同じ夢をみなくなる。つまりそれで私にとっての夢は終了。

 けれども春音はいつも、私に夢の内容を話すなという。それは起きているときの春音自身に対してももだ。夢というのは覚えていないことが多いものだから、普通は夢の中で会ったなんていっても変な顔をされるだけだけれど。

「大変なの?」

「まあ、よくわかんないんだよね、いつも」

 ため息を母に聞かれたらしい。私が他人の夢に入れることを、母は知っている。私の一番の加害者は大抵の場合、一番近くにいる母だからだ。小さい頃は酷かった。でも母は今は私が夢に入れることを十分に知っている。だから夢の中でこれは夢だと言えば、私を開放してくれる。

 友達だとこうはいかない。まず夢に入れることを信じさせないといけないから。

 でも春音はまた違った。私と春音はそんなに親しくはない。4月に同じクラスになってから1ヶ月ちょっとだけど、私は春音と話したことはないはずだ。春音は演劇部なのは知っている。けれどもほかは全然しらない。少し茶髪のツインテールでたまに結い上げている。服は制服を着ているのしかしらない。普段の春音なんて全然知らない。

 だからって、春音に夢のことは聞けない。だって夢の中でいつも念をおされているから。

 春音は何をしたいんだろう。

 私は何をすればあの夢から抜け出せるのだろう。とりあえず、学校に行ってまた様子を見るしかない。

 玄関を出て浴びた陽光は早い夏の訪れを予感してすでに暑く、ぐったりとした体に更にうんざりした。

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