いいんですか?お客様
鳥尾巻
ノベルティ
「だからぁ、ちょっと色付けてくれって言ってるの」
私は受付のカウンター越しにお客様の顔をまじまじと見つめた。
大人気ドラマ『KOUJI~愛とすれ違いの日々~』
歯科医師と女性患者の愛の軌跡を描いた壮大な物語だ。深夜枠の単話から人気が出て、今や国民的恋愛ドラマの代名詞と言ってもいい。
そのノベルティグッズ。にこやかに高性能レーザー治療器を掲げるKOUJIのメモ帳、ブルーのマスクから無邪気な目を覗かせるKOUJIのボールペン、仮歯キーホルダー、顎関節レントゲンのクリアファイル。
私が勤める
それがもっと欲しいとごねる年配の女性が、でっぷり太った体を揺すり、私に詰め寄っている。おまけに色付けろって言われてもねえ……。
「そうは申されましても……」
「うちは定期預金もローンも全部ここなのよ?いいお客様でしょ?さっきチャージもしたし、こっそりその新規口座用のノベルティくれたっていいじゃないの。ね?私、KOUJIの大ファンなのよ」
「いえ、あの、その」
女性はゴテゴテした指輪を嵌めたまるまるとした指で、私の手をぎゅっと握ってくる。以前から押しが強くて苦手だな、とは思っていたけど、だいたいは上司が対応してくれていたから、私と関わることはそれほどなかった。
私は予想外の事態に上手く対応できないのだ。しかも、言葉を取り違えることが多くて、いつも上司やお局様に叱られている。
まだ「お茶汲み」の悪しき習慣が残っていた新人の頃。お局様に「課長の珈琲はマグカップ、部長は『おゆのみ』でお願いね」と言われ、部長に白湯を出してこっぴどく叱られたのだ。だって「お湯のみ=白湯」だと思ったんだもの。「お」をつけたら湯呑だなんて思わない。きっとお局様の意地悪だ。
窓口業務が終わった後に、他の行員が上司に「だいてください」「してください」と言うのを聞いた時に、ちょっといかがわしい想像をしてしまったこともある。
「代金取立手形=だいて」「支払手形=して」のことだけど、慣れないとなんだかドキドキするよね。今は電子化も進んで手形もそう使われないから、聞くこと少なくなってきたけどね。部長、白湯が元気の源なのね、と思ったのは内緒。
「ちょっと、聞いてるの?」
「あ、ああ、はい」
「だからね、色付けてちょうだいって言ってるの」
「はあ……」
甲高い声に妄想が破られる。目の前の女性はイライラしている。どうしよう。私はオロオロと周りを見回した。でもみんな自分の応対で忙しそうだし、頼りになる上司も昼休憩でいない。
「わかった?」
「あ、はい。本当によろしいんですか?」
「何が?」
「色付けるの」
「良いって言ってるでしょ、さっきから!」
女性のヒステリックな声がますます高くなる。
私は覚悟を決め、特殊蛍光塗料がたっぷり詰まった防犯用のカラーボールを握り締めた。
終
いいんですか?お客様 鳥尾巻 @toriokan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます