いいんですか?お客様

鳥尾巻

ノベルティ

「だからぁ、ちょっと色付けてくれって言ってるの」


 私は受付のカウンター越しにお客様の顔をまじまじと見つめた。


 大人気ドラマ『KOUJI~愛とすれ違いの日々~』

 歯科医師と女性患者の愛の軌跡を描いた壮大な物語だ。深夜枠の単話から人気が出て、今や国民的恋愛ドラマの代名詞と言ってもいい。

 そのノベルティグッズ。にこやかに高性能レーザー治療器を掲げるKOUJIのメモ帳、ブルーのマスクから無邪気な目を覗かせるKOUJIのボールペン、仮歯キーホルダー、顎関節レントゲンのクリアファイル。

 私が勤める鳥尾とりお銀行での新規口座開設、もしくは専用アプリでの1万円以上のチャージについてくる特典だ。

 それがもっと欲しいとごねる年配の女性が、でっぷり太った体を揺すり、私に詰め寄っている。おまけに色付けろって言われてもねえ……。


「そうは申されましても……」

「うちは定期預金もローンも全部ここなのよ?いいお客様でしょ?さっきチャージもしたし、こっそりその新規口座用のノベルティくれたっていいじゃないの。ね?私、KOUJIの大ファンなのよ」

「いえ、あの、その」


 女性はゴテゴテした指輪を嵌めたまるまるとした指で、私の手をぎゅっと握ってくる。以前から押しが強くて苦手だな、とは思っていたけど、だいたいは上司が対応してくれていたから、私と関わることはそれほどなかった。


 私は予想外の事態に上手く対応できないのだ。しかも、言葉を取り違えることが多くて、いつも上司やお局様に叱られている。


 まだ「お茶汲み」の悪しき習慣が残っていた新人の頃。お局様に「課長の珈琲はマグカップ、部長は『おゆのみ』でお願いね」と言われ、部長に白湯を出してこっぴどく叱られたのだ。だって「お湯のみ=白湯」だと思ったんだもの。「お」をつけたら湯呑だなんて思わない。きっとお局様の意地悪だ。

 窓口業務が終わった後に、他の行員が上司に「だいてください」「してください」と言うのを聞いた時に、ちょっといかがわしい想像をしてしまったこともある。

「代金取立手形=だいて」「支払手形=して」のことだけど、慣れないとなんだかドキドキするよね。今は電子化も進んで手形もそう使われないから、聞くこと少なくなってきたけどね。部長、白湯が元気の源なのね、と思ったのは内緒。


「ちょっと、聞いてるの?」

「あ、ああ、はい」

「だからね、色付けてちょうだいって言ってるの」

「はあ……」


 甲高い声に妄想が破られる。目の前の女性はイライラしている。どうしよう。私はオロオロと周りを見回した。でもみんな自分の応対で忙しそうだし、頼りになる上司も昼休憩でいない。


「わかった?」

「あ、はい。本当によろしいんですか?」

「何が?」

「色付けるの」

「良いって言ってるでしょ、さっきから!」


 女性のヒステリックな声がますます高くなる。

 私は覚悟を決め、特殊蛍光塗料がたっぷり詰まった防犯用のカラーボールを握り締めた。


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いいんですか?お客様 鳥尾巻 @toriokan

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