トリあえず、これ1本!!
笛吹ヒサコ
トリあえず、これ1本!!
『スーパー寄って帰るけど、なにか買うものある?』
醤油がそろそろ切れそうだったことを思い出した僕は、同棲中の婚約者にそんなメッセージを送った。
すぐに帰りを待っている婚約者から返事があった。
『トリあえず、豚こま200gお願い!!』
白ウサギが手を合わせて懇願するスタンプが二つ続いた。
どうしたら『とりあえず』が『トリあえず』になるんだと、微笑ましい気分で『了解』の二文字を返した。すぐに、バンザイしている青ガエルのスタンプが返ってきた。
彼女がスタンプを多用すると知ったのは交際してからだ。なんでも卒なくこなせそうなしっかり者の彼女、実は家事力はまだそうでもなかった。これは、同棲を始めてから知ったこと。まぁ、しかたない。一人暮らで自炊もしてた僕とは違って、彼女は半年前まで実家ぐらしだったのだから。僕だって、実家を出たばかりの頃は思うようにいかないことばかりだった。利発な彼女のことだから、すぐに肩の力を抜いて家のことを要領よく出来るようになるだろう。
このまま来月の交際記念日に婚姻届を出してもお互い仕事を続けるのだから、家事も二人でやっていけばいいと考えてる。僕も家事はそれほど苦にならないし。
だが、今は彼女がメインで家事をしてもらっている。これは彼女が言い出したことだ。在宅がメインの仕事をしてる自分がやると言い出したのだ。そこまでとも思ったが、生涯をともにしようと決めた相手に尽くしてもらえるのは、正直、めっちゃいい。幸せだ。彼女で本当によかった。生きててよかった。
効率が悪くて、ついつい偉そうに口出したくなることも多々ある。が、すぐに彼女のやり方を身につけるだろうから、我慢だ。もちろん、彼女から手を貸して欲しいと求められたり、求められなくても無理そうだなと思ったら、快くやってるつもり。
これからを想いつつ、今の幸せを噛み締めながら、僕はスーパーに寄って帰宅した。
「ただいま」
と言えば、キッチンの方から「おかえり」と返ってきた。パタパタと軽い足音とともにやってきたエプロン姿の彼女に、エコバックを差し出す。
「はい、これ」
「ありがとぉ。豚こま、買い忘れてたから、本当に助かったぁ」
さては、また夕飯を作ってる最中に食材が足りないことに気づいたな。
ありあわせの食材で料理するには、彼女はまだまだ経験値が足りてないな。
心底安堵した顔でキッチンに戻る彼女を微笑ましく見送って、僕は私服に着替えに寝室へ。
こういう不慣れな日常もいいけど、彼女が効率よく家事をこなすようになったらきっともっと……。彼女に頼りっぱなしになって負担にならないように気をつけないと。
着替えてキッチンに顔を出すと、彼女は不機嫌に問い詰めてきた。
「ねぇ、トリあえずは?」
「え?」
「だから、トリあえず。買ってきてってお願いしたじゃん」
あ、あれもしかして誤変換じゃなかったのか。
「今話題の万能調味料ト、リ、あ、え、ず。知らないの?」
「ごめん、知らない」
正直に答えた僕に、彼女は呆れた顔をしてエプロンのポケットからスマホを取り出して何やら操作し始める。
所在なく視線を彷徨わせると、まな板の上にジャガイモ、人参、玉ねぎが切ってある。そこに豚こま肉を加えるとなると、今夜のメニューは……そこまで思考を巡らせた僕の目の前に彼女のスマホが現れた。
「ほら見て」
画面には、万能調味料トリあえずの紹介サイトが表示されてた。気圧されてついスマホを受け取った僕は、とりあえず確認することにした。
トリのきぐるみのキャラクターがあちこちに散りばめられた堅苦しくない商品説明には、『トリあえず、これ1本!! 他の調味料はもういらない!!』と強気な文面が踊る踊る。
なんでも、鶏に和える酢を開発したら、万能調味料が爆誕したとか。いやちょっと待て、鶏肉を酢で和える料理なんてあるのか。少なくとも僕は知らないし、想像してみるがあまり美味しそうじゃない。すぐにツッコミたくなったが、最大のツッコミどころはそこじゃなかった。
砂糖、塩、酢、醤油、味噌のさしすせそはもちろん、和洋中、世界中の調味料がこれ一本でとか、万能にもほどがある。というか、無理がある。
だが、『レシピ』のページには、味噌もだしも使わない味噌汁や、コンソメを使わないポトフ、麻婆豆腐に至っては食材はトリあえず、豆腐、ひき肉のみ。正直、どれもあまり美味しそうじゃない。
どこからツッコめばいいのかわからなる。とりあえずスマホを返すと、彼女は得意げに笑った。
「ね、すごいでしょ。値段はちょっとするけど、これだけでいいんだから、節約になるし」
たしかに、値上げ値上げの今、調味料をあれこれ揃えなくていいというのは、非常に家計に優しいだろう。そんな魔法のような調味料があればの話だが。トリあえず、これは違う。絶対に違う。
「あのさ、調味料ケチらなきゃいけないほど、僕ら余裕ないわけじゃないのは、わかるよな」
「でも、何があるかわからないし、節約はしておいたほうがいいじゃない」
僕が賛同してくれないとわかった彼女は、唇を尖らせて反論する。が、その声に力はない。彼女も、家事に関しては僕のほうが経験値が上だと知ってるからだろう。
「やっぱり料理は見た目も大事で、なんていうか、そういう生活の余裕みたいなものを捨ててまで節約しても僕らのためにならない。僕らに子どもが出来て、その子どもに節約のためだからって、調味料をケチるのは絶対によくないこと、わかるだろ」
「…………ごめん」
「謝ることじゃないよ。君だっていろいろ考えてくれたわけだし」
今回は彼女の意見を通すわけにいかなかっただけで、僕が間違えることだってたくさんあるだろう。
彼女もこんな怪しい代物に手を出すのはよくないと理解してくれてよかった。
「でも、夕飯どうしよう」
「……」
トリあえずで味付けするつもりだったのか。うつむく彼女に、僕は笑いかけた。
「肉じゃがだろ、僕が作るよ」
醤油を買ってきて、よかった。腕まくりする僕に、彼女はボソリと言った。
「カレーを作ろうとしたんだけど」
さすがにそれは、いくら万能調味料でも無理があるって気づいてほしかった。
トリあえず、これ1本!! 笛吹ヒサコ @rosemary_h
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