世界の中心でXを叫んだトリ

宮野優

世界の中心でXを叫んだトリ


     ■


 人類は依然その手を取り合えずにいた。

 大国が隣国へ侵攻して起きた愚かな戦争は、ついに別の大国まで参戦し、世界中を巻き込む未曾有の争いへと発展していった。

 発端になった侵攻について、独裁者はもっともらしく正当化する理由を国民に喧伝していたが、国民の中にもそれを納得しない者は多かった。明確に諸外国を敵に回すことをわかっていながら、なぜそんな決断を下したのか。

 独裁者は開戦後、特に忠誠心の篤い側近に本当のことを語ったことがある。

「SNSを見てムカついたんだよ」

「は?」

「SNSで国民の囀りを見ていてね、年々どんどんその内容がひどくなってるのに気づいたんだ。ひたすらネガティヴな不満を垂れ流すか、諦念に支配されて冷笑的な態度を取るか、あらゆるものに狂った犬の如く噛みつくか。昔はあそこまでのゴミ溜めじゃなかったんだが。本当に生きている人間があの画面の向こうにいるのか疑問なほどだったよ」

「はあ」

「あるときぷっつんとキレてしまってね。このゴミのような国民がうじゃうじゃ蠢いているこの国を、めちゃくちゃにしたくなったんだ」


     □


 勇者マキリは単身乗り込んだ魔王城で、ついに魔王と対面した。ここに辿り着くまで長かった。だが並み居る魔王の配下を蹴散らしても尚マキリには魔力が有り余っていた。目の前の魔王の力も確かに強大だったが、それでも負ける気がしなかった。

「よく来たな、勇者マキリよ。まあ貴様ならここまで来れるのはわかっていたが」

「返してもらうぞ、ブルーバードを。みんなの声を」

「ブルーバードか……愚かな民衆に声を授ける怪鳥。貴様ほどの者がこんなものを求めるとはな」

 魔王は玉座から立ち上がると、近くの台の上の黒い覆いを外した。その下から現れた鳥籠には、鮮やかな青い羽毛に全身を覆われた美しい鳥が入れられていた。

「ブルーバードが消えて、魔力のない人たちは声を出して話すことができなくなった。その上読み書きもできない人は自分の意思を人に伝えることもできない。そのせいで国のまつりごとはどんどん魔力を持たない人をないがしろにしてる。みんながその鳥に会えずに苦しんでるんだ」

「貴様は我が理由もなく弱者から声を奪ったと思ってるようだが、それは違う」

「何が違う? 現にお前はその鳥を籠に入れて飾ってるだけじゃないか。それにお前は昔から、時々理由もなく人々を大量に殺していたはずだ。王国の記録に残っているぞ」

 マキリは剣の切っ先を魔王に向けた。

「まあ聞け。貴様がここに来た暁には少し話したいと思っていたのだ。この世界の歴史の講義をしてやろう。休めるのは貴様にとっても悪い話ではあるまい? もっとも万全でない今の貴様にも我は勝てぬだろうがな」

 魔王の言葉には一切の悔しさも恐れもなく、ただ事実を言っただけという手触りがあった。その毒気のなさに冷静になったマキリは訝しみながらも剣を下ろした。

「まずは神がこの世界を創造した五千年前の話からだ」


     ■


 SNSでは戦争を支持する声が日増しに増えていった。何も始めに開戦した国に限った話ではなかった。後から正義の名の下に参戦した大国の人々も、SNSでは盛んに独裁国家の打倒を叫び、敵国への憎悪を煽り合っていた。その傾向は参戦前から徐々に強くなっていて、それ自体が政治に影響を与えて参戦を後押ししたとも考えられたが、そのことを指摘する者はなぜか誰もいなかった。

 愚かな虐殺者たちを許すな。皆殺しにしろ。戦争が激化するにつれ、その思想が急速に人々の心に植え付けられていくようだった。

 こうしたSNSの過激化がいつ頃から始まったのか。データを詳細に分析すれば、それはあるSNSが名を変えた頃――青い鳥のマークを目印にしていたSNSから鳥が姿を消し、囀りを奪われた頃から始まっていることが判明したはずだ。だが世界の誰もその事実に気づくことはなかった。


     □


「始めに神は、小さな箱の中に我々の住まうこの世界を創造した」

「ちょっと待て。何の話だ。箱だって? 教典にはそんな話は載ってないぞ」

 マキリは信仰心に篤い方ではなかったが、教典の大まかな内容くらい覚えている。天地創造の逸話に箱など出てこなかったはずだし、大体この大地が球体の形をしていることは既に証明されている。

「だがこれが紛れもない事実なのだ。我々の住むこの大地も海も、神から見れば小さな箱庭の中の世界に過ぎない」

 魔王はそう言うと、鳥籠の載った台とは別の台に歩み寄り、そちらにかけられていた布も取り払った。台上に置かれていたのは、二つの大きさの違う箱だった。硝子か何かでできた透明の美しい箱で、大きい方は小さい方のざっと十倍以上の体積がありそうだ。

「そして神はこの小さな箱の世界の前に、もっと大きな箱の中にも世界を作っていた。それがおよそ六千年前――いや、もっとずっと気の遠くなるような昔だったか? 何億年、何十億年も前……いや、違う。それは確かそういう設定というだけの話だったはず。実際の天地開闢は六千年前……我々より千年早く世界が動き出した……」

 後半はマキリに話しているというより完全に独り言を呟くような調子だった。

「ふう。年は取りたくないものだ。このとおり記憶が抜け落ちた部分も少なくない」

「……そもそもお前は、何歳――何年前から生きているんだ? 王国の記録では三百年前には魔王が登場している。だがお前のその姿は……ほとんど人間と変わらない」

「ほう? 我の美しく高貴な姿に敵愾てきがい心が削がれたか? だが我は間違いなく貴様らとは別の生き物よ。この世界が生まれた五千年前から生き続けているのだからな」

「何だと……?」

「貴様ら人間が文明を築く前から、我は貴様らを見続けてきた。神が我に与えた使命、この世界の調律者としての役目を果たすためにな」

「お前の話はまるで理解できない。おれを惑わして何を狙っている? 隙を見て殺す気なら――」

「そんな気はない。我はただ疲れたのだ。身体も魔力も衰え、記憶もこぼれ落ち始めた今、世界のバランスを取るためにこれからも働き続けることに嫌気が差したのだ。だが誰かに話しておく必要はある。二つの世界のバランスについて……」

 魔王は二つの箱を両手にそれぞれ載せてマキリに見せた。

「二つの世界は互いに影響を受け合う。最も大事なことは、二つの世界は共通する資源リソースで動いているということだ。魔力を例に取るとわかりやすい。この世界で魔力が使われすぎると、大きい箱の方の世界に悪影響が出る」

 魔王は横に視線を送る。ブルーバードが優雅な姿でくつろいでいる。

「この世界では魔力のない者が声を出すには、ブルーバードから一定の距離にいなければならない。逆に言えばブルーバードが奴らのそばにいなければ、奴らの声に魔力を消費しなくて済む」

「何をわけのわからないことを……そんな理由で彼らから声を奪ったと言うのか?」

「声にまつわる資源リソースの浪費は、もう一つのオルタナ世界で声にまつわる何かの資源リソースを不足させる。我にはその内実は計り知れぬが、それでも神から調律者として生み出されたこの身には、世界の魔力の消費を感知できる機能が備わっておる。我はその芽を摘み取らねばならぬ」

「魔力の消費の、芽を摘み取るだと……? まさか人間を殺していたのは……」

「そうだ。世界の魔力の消費を抑えるため。そのために時々人間を減らす必要があった」

 マキリは下ろしていた剣を再び構えると、一歩魔王に近づいた。

「もういい。たわ言はもうたくさんだ。お前は殺す」

「もう一つの世界はどうなっても構わないか? 貴様は自分の世界さえ無事ならそれでいいのか?」

「そのもう一つの世界が何なのか、おれにはわからん。他の国のようなものかもしれんが、どうでもいいなんて思ったりしない。けど、おれは周りの力ない人たちが声を奪われたまま生きるのを見過ごすことはできない」

「弱者に声を与えることがそれほど大事か? 貴様ほど秀でた者なら心当たりがあるはずだ。魔力も使えぬ雑魚共のこぼす呟きは醜いぞ。不平不満に妬みそねみ。弱者の声をすくいあげたところで、この世界がよりよく変わるのか?」

「彼らの言葉が世界をよい方向へ導くかなんて知らん。知ったことじゃない。おれはただ彼らが自由に声を上げる世界を取り戻すだけだ」

「いいだろう。元より貴様が心変わりするとは思っていない。それに我を超える魔力を持った貴様のような存在が生まれたのもこの世界の意思だと思えば、調律者の使命を果たし続けられないのも諦めが付くわ。来るがいい勇者よ。だが忘れるな。貴様は我と共に、見知らぬ世界の無数の人々を間接的にその手にかけるのだ」

「お前の話が理解できたわけじゃないが……おれがみんなの自由を取り戻すことで遠い国の誰かが傷つくなら、おれはその罪を背負うよ」

「ふん。人の身で背負いきれる罪ではないわ。だが手を汚す覚悟があるならもう一度言っておこう。この世界の資源リソースは限られている。もし貴様が生きている間に世界中の人間が魔力を使えなくなったり、ような現象が起きたりしたら――そのときは人間を減らせ。どうにかしてその現象が収まるまで殺し続けろ。まあ貴様にはできぬだろうがな」

 魔王は玉座まで後ずさると、左右の肘掛けに仕込んだ短剣を抜き、両腕を交差するように構えた。

 こうして世界の命運を決める戦いが始まった。


     ■


 その日、太平洋の西の方を飛ぶ渡り鳥の群れが、それらを見かけた。

 彼らにはもちろん知る由もなかったが、あれから世の中の戦争肯定の風潮はどの国でもやむことはなく、戦争が終わりへ向かうことはなかった。

 戦火を煽った一因は確かにSNSにもあったのだが、そもそもSNSの画面の向こうには本当に生きた人間がいるのか? SNSの声は、本当に生身の人間が発したものなのか? そんなことに真剣に疑問を投げかける人間はついぞ現れなかった。

 こうして各地で人間たちは傷つき、その数を減らしていった。

 そして渡り鳥たちが見たそれらは、減少した人間の数をゼロに帰すべく放たれたトドメの一撃だった。

 渡り鳥たちを追い抜くように飛翔したそれらは、第三次世界大戦の終わりを告げる、核の雨だった。それぞれが敵国主要都市上空で爆発し、壊滅させることができるが、敵国の報復システムはそれより早く核の雨を同じように撃ち返し、破壊は二国間のみに留まらず、人類の時代は終焉を迎える。

 この大きい箱の世界のシミュレーションをそれでも続けるか。それは造物主のみの知るところだった。


 “The Bird that Shouted X at the Heart of the World” closed.

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世界の中心でXを叫んだトリ 宮野優 @miyayou220810

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