参ノ陸 客人、雲間の先の青空

 なんとか無事に重雪峡に帰った、斗羅畏(とらい)と倭吽陀(わんだ)。

 新しい服に着替えた斗羅畏に、邸瑠魅(てるみ)が頭を下げた。


「男二人、楽しんでいるんだろうと思って迎えを出さなかったのが、裏目に出たみたいだね。あたしの落ち度だったよ」

「言うな。俺も抜けていた」


 他人に謝罪されると、自分の間抜けがより、際立つ。

 結果として大丈夫だったのだから、斗羅畏はもうその話を誰にもして欲しくなかった。

 昂奮しっぱなしだった倭吽陀は、母の姿を見るなり電池が切れたように。


「きゅう」


 可愛い声を一言だけ発し、気絶した。

 体力、気力の限界を超えたのだろう。

 きっといい夢を見るに違いないと斗羅畏は思いながら、邸瑠魅たちの包屋(ほうおく)を後にした。

 ちょうどそのタイミングで、斗羅畏の腹心である気の良い老将が、重雪峡に来て報告した。


「殿(との)、昂(こう)の国母(こくぼ)さまから、贈り物と使者が来ておりますぞ」


 そんな段取りは聞いていなかった斗羅畏が、驚き怪訝な顔で問う。


「俺たちの遣わした挨拶に対する、返礼か?」

「おそらくは。隣の大邑(だいゆう)で待ってもらってますからな。早いうちに迎えてやって下され」


 昂国の皇太后が、わざわざ贈り物を用意してくれたのだ。

 最大限の敬意と感謝を以て、頭領である斗羅畏自身が使者たちを接遇(せつぐう)しなければ、礼儀にもとる。


「わかった。すぐに準備する。礼服を用意してくれ」

「そのへんは、ぬかりなく」


 という事情で、斗羅畏は急ぎ重雪峡の南にある、大きめの邑へ向かった。

 周辺地域に対する外交儀礼として、頭領に就任したこと、これからも宜しくお付き合いを、という形ばかりの挨拶を送っただけのつもりだったが。

 まさか、皇帝の母が直々に、人と宝物を寄越すとは、斗羅畏も思ってはいなかった。


「まったく、なぜこうも準備していないときに限って、大げさなことばかり起こる……?」


 緊張と不安、焦りと喜びなどから、馬上の斗羅畏はすっかり混乱し愚痴っぽくなってしまった。

 覚悟していたこととは言え。

 頭首棟梁の座、まことに忙しい。

 行動を共にし、補佐に動いてくれる老将が。


「ぐふっ」


 なにか意味ありげに、楽しそうな笑いを漏らす。


「どうかしたか」

「いえ、なんでもござらん」


 斗羅畏が気になって聞いたが、はぐらかされた。

 なにか、怪しい。

 まさか使者が来たと言う話が嘘八百で、自分が虚仮にされているということはないだろうが。

 大邑への道を進む老将が、やけに楽しそう、嬉しそうなのが、斗羅畏は気味が悪く、落ち着かなかった。


「あちらの屋(おく)で待っていただいております」


 大邑に到着した斗羅畏。

 もっとも大きな包屋の横に、荷物を満載にした馬車が、ひい、ふう、みい。

 合わせて、八台も並んでいた。


「あ、あんなに……」


 いったいどれだけの物資、宝物が積まれているのか。

 斗羅畏は池の鯉のように口をパクパクさせ、はっと気を取り直し、老将に尋ねる。


「こういう場合は、どうすればいい」


 なにせ、斗羅畏がこの土地の責任者になって以来、はじめての「重要過ぎる賓客」である。

 どのように迎え、挨拶を述べれば失礼に当たらないのか、想像もできなかった。

 こういうところはまだまだ、斗羅畏は世間知らずの若武者であるのだ。


「殿は殿らしく堂々と、しかし相手を軽んじて貶めることなく接すれば、それで良いでしょう」

「わ、わかった」


 真剣過ぎる繰り返しのチェックで自分の衣服に乱れがないことを確認し。

 斗羅畏は、昂国からの使者たちが待ってくれている包屋へ、静かな挙動で入って行った。


「と、頭領を務める、斗羅畏であります」


 思わず、慣れない敬語が出てしまった。

 深く一礼し、絨毯の上に輪になって座している昂国人たちへ向かい、口上を述べた。


「このたびは、寒風厳しきかような土地に、お足もとも悪い中わざわざお越しいただき、まことに……」


 言いながらゆっくりと顔を上げると。

 まず手前側に、神妙に座礼している年かさの宦官が一人。


「世に聞く勇者にお目にかかれて、光栄にござりまする」


 角のない、柔和な物腰の人物のようだ。

 斗羅畏は宦官という階層の人間を詳しく知らないが、目の前の彼に邪気邪念がないことは、自然と理解できた。

 この宦官の名は銀月(ぎんげつ)というのだと、斗羅畏は後で知ることになる。


 問題は、その後ろに控える人物たちだった。


「あ、どうも斗羅畏さん」

「久しぶり、でもないか。元気そうだな」


 変な女が、二人いた。

 忘れもしない。

 自分が人生で会った中で、最もおかしな女たちが。


「なぜ、貴様らがここに居る!!」


 ノータイムで冠を脱ぎ捨て、床にバチーンと叩きつけながら、斗羅畏が叫んだ。

 体中の血管に流れる血液が、瞬時に煮えたぎるのを感じた。

 一人は、かつて理由もなくこちらを挑発し喧嘩を売って、散々に斗羅畏の顔面が凹んだり膨らんだりするほどに殴り倒してくれた、長い髪を結んだサル女。


「なぜと言われてもな。私が麗央那(れおな)の横にいることに文句を言われても困る」


 胡坐をかいて腕を組み、さも「つまらない話はしたくない」というようないけ好かない顔で、サル女は言った。

 姓を紺(こん)、名を翔霏(しょうひ)という、信じられないくらいに喧嘩が強い女である。


「翔霏、こういうときは『国のお仕事で来ました』って言っておけばいいんだよ」


 サル女を冷静な目で諭す、隣のもう一人の、痩せた短髪女。

 こいつは、もっとおかしいやつだった。

 どう見てもしょぼくれた邑娘、あるいは町の屋敷で奉公でもしているような、豆腐屋の店番でも似合いそうな小娘なのに。

 そんな出で立ちと、どこか自信なさげな引き攣った顔をしておきながら。

 あの覇聖鳳を、その手で間違いなく、殺してのけた狂人なのだ。

 周囲からは麗央那(れおな)と呼ばれているが、それが姓名なのか、下の名前だけなのかを、斗羅畏は知らない。

 この珍しい名の女が昂国の人間なのか、戌族(じゅつぞく)なのかすら、斗羅畏は詳しく知らないくらいだった。

 まさか、と斗羅畏は思いながらも、切れそうなこめかみの血管をなんとか鎮まらせて。


「し、使者というのは」

「あ、私と言いますか、ただの付き添いみたいなもんですけど、一応、そういうことになってます。皇太后陛下からの、お手紙も預かってます」


 言って、麗央那は手元に大事に持っていた小箱を丁重に開いた。

 中に封書が収められている。

 立ち上がった麗央那は、両手で恭しくその封書を捧げ持ち、斗羅畏の前に差し出す。


「我が国の聖母皇太后陛下が、斗羅畏どのの白髪左部(はくはつさぶ)における頭領戴冠を祝して、ご挨拶と宝物をここに贈ります。万歳、万歳」


 ぺこりと一礼して、麗央那はすぐに自分の座っていた場所へ戻った。

 呆然と封書、おそらくはお祝いの言葉と宝物の目録であるその紙を受け取り。


「あ、ああ。有り難く、受領いたす。国母さまに幸多からんことを、お祈りする」


 うわ言のように、言った。

 まったく斗羅畏には、なにが起こっているのか、理解のキャパを超えていた。

 この、使者を名乗る狂った毒串女。

 以前は常に不安定に視線をきょろきょろと動かし、神経質そうにびくびくと怯えながら周囲を睨んでいたような気がする。

 まるで蚊やハエの大量にたかる、腐った泥池の中で生きているのではないかと思うほど、嫌な目をしていた、はずだった。

 それが、不思議と今日は落ち着いていて、すっきり澄み渡った瞳をしていた。

 風のない湖面のように穏やかな無表情、とでも言おうか。

 麗央那と、横にいる翔霏の間に流れている空気も、前に会ったときとは段違いに優しく、柔らかく。

 まるで二人の間だけ、春が一足先に訪れているかのような暖かさが、目に見えるようですらあった。

 もっとも、昂国の温かい地域は、すでに春を迎えているのだが。


「祝い品の授受の任を恙なく終えられて、拙(せつ)も安心でございまする」


 手を合わせて座礼の動作を取りながら、銀月という宦官が言った。

 わけがわからないが。

 ひとまず、重大な用事はこれで一区切りついたようだ。

 斗羅畏にはまだまだ仕事が残っている、のだが。


「さ、終わったし帰ろっか、翔霏」

「そうだな。どうやら若殿さまに私たちは歓迎されてもいないらしい」


 奇女二人は、さっさと帰るなどと言い出した。

 しかしこの場合は、と斗羅畏が混乱し、珍しく逡巡していると、脇に控えていた老将が割って入った。


「それは困りますな。しばらくはこちらの饗応をお受け下され。長旅の疲れもございましょう」


 ニコニコと笑って、麗央那たちを引き留める。

 怪しさの正体は、これか!

 斗羅畏はぐぎぎと歯を軋ませ固く拳を握り、恨めしそうな顔で老将を睨んだ。

 来てくれた使者が麗央那と翔霏なのだと知ったとき、斗羅畏がどんな顔をするか。

 老将は、それが楽しみで仕方なかったのだ。

 その目論見は十全に達成され、斗羅畏は今、女怪二人を相手に感情の右往左往に陥っている。


「……後で、覚えておけよ」

「ほっ、なんのことですかな」


 あさっての方向を見て、老将は鼻歌交じりに逃げて行った。


「これもお国の大事なお付き合いだし、有り難く甘えますか」


 麗央那はシニカルに笑い。


「ご馳走は出るんだろうな」


 翔霏が傲岸不遜、傍若無人なことを言いつつ、数日の滞在を諒解した。

 貴様らに食わせるものなどないし、寝るなら外で寝ろ!!

 斗羅畏は、そう叫びたくなる自分と、必死で戦わなければならなかった。

 げんなりしながら、客をもてなす宴会の準備差配のために、別の包屋へ移ろうとする斗羅畏。

 そこに、宦官の銀月がそっと近寄った。

 銀月はまともそうだと思い、紳士的に対応する斗羅畏。


「どうかなされましたか。なにかご不便があるなら、遠慮なく」


 そのとき、銀月がこっそりと耳打ちする。


「白髪部(はくはつぶ)の突骨無(とごん)さまが、じわじわと武器を買い集め、赤目部から傭兵も雇い入れ、自陣の戦力を増やしておりまする」

「な、なに? それはまことか?」


 まったく斗羅畏も聞いたことのない、新情報である。

 この初老の宦官は、いったいどこでそんなことを知り得たのだ?


「これ以上は、拙からは申し上げられませぬ。しかし、お気を付けなされ。くれぐれも油断なさいますな」


 端的に一方的な言葉だけを残し、銀月はさっきまでの柔和な表情に戻った。

 

「ねえ翔霏、こんなふかふかの絨毯、神台邑(じんだいむら)のお堂にもあったらいいよね」

「板の間に直接座ってると、尻が冷えるからな」


 斗羅畏が戦々恐々としている一方で女たちは、実に他愛のない会話を交わしていた。

 昂国はいったい、自分たち戌族のことをどれだけ知っていて、どれだけの影響力を持っているのだ?

 わからない、まだまだ頭領として、自分にはわからないことが多い。

 立場が、斗羅畏をそうさせたのか。

 わからないことが恐ろしいと、気楽に話す女たちや宦官を見ながら、斗羅畏は冷や汗を流すのだった。

 果たしてこの先、斗羅畏の心胆を大いに寒からしめるのは、戌族同士のお家騒動か、昂国との関係のもつれか、はたまた別の要因か。

 答えがわかる日は、そう遠くはない。

 楽しいはずの宴会の準備に、斗羅畏の心は全く踊らなかった。




                         (丙の巻 草原の群狼・完

                               第四部へ続く)

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黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~ 西川 旭 @beerman0726

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