偽りの方程式

上城ダンケ

少女と駆逐艦

「いかなる場合でも植民惑星開拓法第167条は動かせない」


 エアハッチの前。俺は少女にフェーザーガンを突きつけていた。オーケー、俺は悪くない。規則通り、マニュアル通りに対処してるだけ。


 船外作業服スーツのスイッチをオンにする。ヘルメットが閉まり背中の酸素ボンベから空気が送られてきた。


「お願いします……助けて……殺さないで……」


 耳もとのマイクから少女の声。超強力UVカットシールドを通し少女の唇の動きが見えた。


「植民惑星開拓法第167条て何? 知らないよ、そんなの……」

「知ってようが知ってまいが関係ない。ルールとはそういうものだ」


 少女に銃口を向けたままエアハッチ操作盤を探った。レバーを探す。

 あった。レバーを「開」に押し倒そう。それが手順だ。そうすれば目の前の少女は宇宙空間に投棄、死ぬ。俺はそれをやらねばならない。


 だが。レバーはピクリとも動かなかった。


『警告。エアハッチを操作しようとしています。船外作業服スーツを着用してください。船外作業服スーツ未着用のクルーがいます。一般規則第95条により、人命保護の観点から動作ロックします』


 コンピュータボイスが警告。


「オーケー、トレイシー。スーツは着ている。ヘルメットも閉じた。大丈夫だ」


 トレイシーというのはこの船、駆逐艦雪風のコンピュータの愛称だ。艦長のレオナルドが名付けた。レオナルドの娘の名前だ。よくあるロマンチックエピソード。


『警告。船外作業服スーツ未着用のクルーがいます』


 再び警告。


「そいつは人間じゃないんだ、トレイシー」


 ゆっくり俺はトレイシーに言った。


「ヤツは特定生命体第69号。人間じゃない。スキャンしろ」


 壁からスキャニングレイが放射される。俺と少女、ふたりに光線が絡み合う。


『スキャンしました。特定生命体第69号を検知できません』

「ほら! 違うでしょ! 私、特定生命体第69号なんかじゃない!」


 少女が叫んだ。


「トレイシー! もう一度スキャンしろ!」

『再度スキャンします……特定生命体第69号を検知できません』

「ディープスキャンだ、トレイシー! 全艦スキャン!」

『ディープスキャン開始します……ディープスキャン中……ディープスキャン中……ディープスキャン終了。艦内に特定生命体第69号を検知できません』

「はああ? トレイシー、スキャナーをチェックしろ!」

『チェックします……異常はありません』

「そんなはずはない!」


 そうだ。そんなはずはない。俺の目の前の少女は、絶対特定生命体第69号なのだ。

 レオナルドめ……まさか、先に手を打ったか?


「副艦長緊急命令9号。トレイシー、本艦になんらかの機能制限はかかっているか、報告しろ。くりかえす。これは副艦長緊急命令9号だ」

「艦長命令により、スキャンに制限がかかっています。特定生命体へのスキャンを制限されています」


 なんだと? レオナルドの仕業か。


「わかった、トレイシー。スキャンの制限を解除しろ」

『できません。艦長命令により制限されています。艦長以外解除はできません』

「トレイシー、俺は神戸かんべ幸村ゆきむら少佐、副艦長だ。レオナルド艦長は植民惑星開拓法第167条違反未遂で俺が逮捕した。よって現時点での駆逐艦雪風の最高階級士官は俺ということになる。宇宙艦隊規則第10条により俺が臨時艦長だ。わかるか?」

『はい。神戸少佐を臨時艦長と認識しました』

「よし。では艦長命令だ。スキャン制限解除、特定生命体第69号が船内にいるはずだ。もう一度ディープスキャンしろ! 全艦内だ!」


 永遠にも思える数秒の沈黙。

 俺は少女――いや、特定生命体第69号をまばたきもせずに見続ける。


『ディープスキャン終了。特定生命体第69号の存在を検知しました』

「よし。もう一度聞く。俺の目の前の少女、こいつは特定生命体第69号だな?」

『はい』


 特定生命体第69号。第2植民惑星の原住生命体の正式名称である。こいつは可変生命体。どんな姿にも変形できる。ペット、機械、そして人間。こちらが望むどんなものにでも変化した。

 発見された当初は「夢の生命体」としてもてはやされた。それでついた愛称が「ハッピー」。人を幸せにするから、ハッピー。


 最初に目をつけたのはセックス産業だった。著名女優やモデル、そしてアイドルそっくりに変化させ客を取った。何人もの「ハッピー売春婦」が生まれた。だが植民惑星開拓法第167条により、地球外生命体は発見後50年は地球に持ち込めない。特定生命体として番号がつけられ、厳重に管理される。ハッピーも例外ではなかった。

 必然的に第2植民惑星は歓楽惑星となった。事実上のセックス産業専用惑星となった。風紀と治安の乱れを嫌った人々は続々と他の惑星へ移住、あるいは地球へ帰った。

 艦長のレオナルドもその一人だ。彼は第2植民惑星に住んでいた。娘のトレイシーの教育に良くないといって地球に戻ることを決意した。


 駆逐艦雪風。古い船だ。第三世代型戦闘艦だ。最新型が第七世代なのだから、骨董品レベルの古さだ。改修に改修を重ねたが基本設計の古さは否めない。

 辺境警備隊のパトロール船として、数年前に最後の改修を受けた。本来、駆逐艦を動かすにはクルーが30人は必要だ。だが、兵装の簡略化と当時は最新だったAI支援、および多次元波動エンジンの実装で、なんとたった一人で動かすことが可能になった。ただ、宇宙艦隊規則9条「宇宙艦隊の艦船には艦長および副艦長を各々1名配置すること」とあるので、レオナルドの他に俺が配置されたのだ。


「なあ、神戸、聞いたか? 今度の辺境警備ミッションで雪風も引退、解体処分だそうだ。俺も退役することに決めたよ。今度のミッション、娘も連れて行く。いっしょに故郷のミシガンに帰るんだ。俺の両親がミシガン湖で小さなペンションをやっているんだ。娘のトレイシーと一緒にそれを手伝おうと思う」


 そう言って、レオナルドは俺にトレイシーを紹介した。


「さ、トレイシー。神戸おじちゃんに挨拶しなさい。これから、一ヶ月、一緒にユキカゼに乗って地球まで行くんだ。ちゃんと言うこと聞くんだぞ?」


 レオナルドはトレイシーを俺に紹介した。レオナルドと同じく、金髪。年は14歳。

 今、俺の目の前でフェーザーガンを突きつけられている少女。彼女も金髪で14歳だ。そう。彼女こそ、数時間前までトレイシーと呼ばれていた存在だ。


「おねがい、神戸のおじちゃん。トレイシーをいじめないで!」


 少女が懇願する。


「お前はトレイシーじゃない。特定生命体第69号だ。本物のトレイシーは5年前、マフィアの抗争に巻き込まれ、レオナルドの妻、つまりトレイシーの母親と一緒に殺されているんだ。お前は、レオナルドがハッピーに作らせた、トレイシーの偽物だ!」

「偽物じゃないもん!」

「いや、偽物だ。さっき、地球の入管にお前の旅券データを送ったら、偽造だという警告が来た。調べたら、お前はもう死んでるというじゃないか? それでレオナルドを問い詰めた。すると白状したよ。お前がハッピーだとね」

「違うもん! ハッピーなんかじゃない! パパに会わせてよ! パパ、パパ、どこ?」

「かわいそうにな。ハッピーは完全に対象に同化するらしい。つまり、自分がハッピーとわからなくなるそうなんだ。お前も、自分がハッピーだとはわかってないのかもしれないな」

「もういいよ、ハッピーでもなんでもいいよ。地球にはいかないよ。だから、戻して! 第2植民惑星に戻してよ!」

「残念ながら、もう地球は目の前だ。燃料がない。お前を宇宙空間に投棄するしかないんだ」

「そんな……! どこかで補給してくればいいじゃない!」

「無理だ。そんな公私混同はできない。それがルールだ」


 腰のフックを確認。大丈夫だ。ワイヤーで壁に固定されている。これで俺が宇宙空間に飛び出す心配はない。エアハッチを開ける前の、極めて当たり前のルーチン。


「トレイシー、ハッチ操作盤のロックを解除しろ」

『はい。エアロックに人間がいないことを確認しました。ハッチ操作盤のロックを解除します』


 コンピュータが冷たい声で言った。ブーンと音がしてロックが解除された。


「やだ……やだよ、やめて……」

「すまんな。ルールなんだ」


 俺はハッチのレバーを引いた。トレイシー……いや特定生命体第69号は悲鳴をあげる暇もなく空気とともに宇宙空間に吸い込まれた。


 レバーを「閉」に戻し、腰のフックからワイヤーを外す。


「くそッタレが」


 規則とはいえ、なんとも後味が悪い。見た目は少女なのだ。この一ヶ月、一緒に寝食を共にし、遊んだ少女なのだ。

 気密室に空気が満ちるのを確認してからフェーザー銃を置き、スーツを脱いだ。

 その時だった。後ろに人の気配を感じた。振り返ると艦長のレオナルドがいつの間にか立っていた。船外作業服スーツを着用して手にはフェーザーガンを持っている。そして腰のフックにはワイヤー。


「……艦長、どうやって独房から出て来たんですか?」


 フェーザーガンは「殺傷」にセットされている。まずい。俺を殺す気だ。


「トレイシーに君の命令を取り消しさせたんでね」

「え?」


 おかしい。そんなことは無理だ。


「神戸、君は私のかけたスキャン制限を解除し、全艦スキャンを実行したな。それでわかってしまったのさ。君が特定生命体第69号だってことがトレイシーにな。君は艦隊士官どころか人間ですらない。だから私はトレイシーに君の命令を全て無効にするよう命じた」

「な、何を言ってるんですか、艦長?」

「すまないな。君は私の娘と同じく特定生命体第69号なんだよ」

「ど……どういうことですか?」

「君は3年前の辺境任務中、船外事故で死んだのだ。優秀な部下を失った私はハッピーに頼んだのさ。神戸幸村少佐になってくれるようにな」


 そんなはずはない。俺は神戸幸村。宇宙艦隊の士官だ。アカデミーを出て、巡洋艦ロングビーチに配属され……あれ? 思い出せない。細かいディティールが出てこない。データベースにあるような無味乾燥な情報しか頭に思い浮かばない。


「色々詰めが甘かった。トレイシーに悪いことをした。そして神戸……君にもだ」


 レオナルドが言った。スーツのボタンを押す。ヘルメットのバイザーが閉じた。


「すまんな。ルールなんだ」


 レオナルドはハッチのレバーを引いた。俺……いや特定生命体第69号は空気とともに宇宙空間に吸い込まれた。

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