境界の蓮(はな)

憧宮 響

【第一章 女を捨てた少女】

Story 0. 拾われた手


雪村蓮(ゆきむられん)は、なにも覚えていない。

気づけば、荒野をさまよっていた。

寒くて、腹が減り、倒れこんだ時ー死を覚悟した、その瞬間に、その人は現れた。


「オレと一緒に、来るか?」


震える手で、差し出された手を、かろうじて握りしめた。

それが、すべてのはじまりだった。



Story 1. 少女の秘恋


木刀の素振りをする音が響く。

ここは『護神勇隊(ごしんゆうたい)』ー大河幕府の治安維持を目的とした組織ーの中庭だ。


「精が出るな。蓮」


ある程度の回数をこなし、手ぬぐいで汗を拭いているところへ、男の声がかかる。


「藤堂(とうどう)補佐。お疲れ様です」

「おう、お疲れさん」


蓮が頭を下げると、男ー藤堂士郎(とうどうしろう)が、片手を上げて応じる。


「頭、上げろ」

「・・・はい」


ゆっくりと、蓮は頭を上げ、澄んだまなざしで、士郎をまっすぐに見る。


「本当に真面目だな、お前は。通りかかっただけなんだが」

「藤堂補佐は、私の恩人なので」

「・・・そうか。拾ったかいがあったってもんだぜ」

「ありがとうございます」

「んじゃ、オレは近藤(こんどう)さんに用があるから、もう行くわ。頑張れよ」

「はい。いってらっしゃいませ」

「あぁ」


士郎の背中が遠ざかっていく。

それが見えなくなるまで、蓮は自身の胸元を、強く握りしめていた。



Story 2. 姉弟の片恋


「蓮」


立ちつくす蓮の耳に、軽やかな声が届いた。


「樹(いつき)・・・」

「どうしたんですか?」

「・・・なにも、ない」


俯く彼女に、天草樹(あまくさいつき)ー『護神勇隊』一番隊隊長だーは困ったように笑みをうかべる。


「そのようには、見えませんが」

「平気だ」

「嘘ですね」


そう言い、樹は蓮の頭に手をのせる。


「苦しそうですよ」

「私は、けして・・・!」

「何かあったら、頼って下さい。オレはいつでも、あなたの味方です」

「っ・・・!」

「では」



「オレにしてくれれば、いいのに」


蓮の前から去り、彼女の姿が見えなくなったところで、樹は悲しげに、一人呟いた。



「士郎さん」


天草桜花(あまくさおうか)ー『護神勇隊』の女中を勤めているーは、執務をしている士郎に、お茶を差し出しながら声をかけた。


「そろそろお昼時です。少し休まれては」

「・・・ん、あぁ、もうそんな時間か。ありがとな、桜花」

「いいえ」


自らが差し出したお茶を飲む士郎に、桜花は優しげな微笑をうかべる。


「・・・はぁ、今日も美味いな」

「それならよかったです」

「これだけ終わらせたら休む。お前も無理するなよ」

「ありがとうございます」


静かな動作で、桜花は士郎の前から去る。

たしかにあたたかくなった気持ちをかみしめるように、彼女は自身の胸に手をあてる。

しかし、その表情はどこか悲しみを帯びたものだった。

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境界の蓮(はな) 憧宮 響 @hibiki1003

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