二十一グラムの鳥

秋待諷月

二十一グラムの鳥

「とり……ず……『とりあえず』?」

 幼い私が、知らぬ漢字に少ない語彙を強引に当てはめてそう読み上げると、背後の父は「鳥瞰図ちょうかんず、な」と呆れた。母は可笑しそうに、だが優しく言った。

「鳥の目で見た世界のことよ」


 家族サービス、という言葉が生まれていたかどうかという時代のこと。昔気質の父が唯一、母と私を連れて行ってくれたのが、電車で二時間ほどの場所にある、この山の上の展望台だった。

 山頂から里を見下ろす崖の上、硬貨を入れて使う錆びた観光双眼鏡のすぐ脇には、上空から眺めた景色を図示した展示パネルが設置されていた。今思えば随分といい加減なものだったが、私はその図と目の前の風景とを見比べて夢中になったものだ。鳥の目で見た世界はこんなにも違うのか、と。


 あれから何十年もの歳月が過ぎた。

 ずっと忘れていたこの場所のことを思い出したのは、この視点を手に入れたことがきっかけだ。

 鳥瞰図、と教えてくれた両親の懐かしい声がふと耳に蘇り、「とりあえず」と思って、真っ先に訪れることにした。

 今、こうして鳥の目で見る風景は、双眼鏡越しに見たものとも、鳥瞰図に描かれていたものとも、まるで違うものになっている。

 麓に青々と広がっていた森や田畑はすっかり姿を消し、ぽつぽつと見えていた瓦屋根の代わりに見えるのは、ソーラーパネルの載った近代的な家屋や高層建築の群れだ。

 けれど、蛇行する川のかたちや、遠く望む山脈の雪の模様は、双眼鏡を覗いたあのときと変わらぬまま。

 そして世界は、あのときよりずっと広く、空はずっと近い。


 私は鳥だ。

 眼下を流れる雲を、ジオラマのような街を見下ろし、高揚感に胸が高鳴った。


 さあ。とりあえず、ここからどこへ向かおうか?

 海を見ようか。知らない町へ出掛けてみようか。憧れの外国を目指すのもいい。この空のどこかにいる、父や母の元へだろうとも。


 二十一グラムのこの身体なら、きっと、鳥のようにどこへでも飛んで行けるだろう。






 Fin. 

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二十一グラムの鳥 秋待諷月 @akimachi_f

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