2と3の彼岸の愛の歌
橋月
画面の中のずっと遠く
私は、画面の向こう側のあの人に恋をしていた。
きっかけは些細なことだったと思う。
私を特別扱いしてくれること。私に触れてくれる指先が優しいこと。私のことを小さな声で褒めてくれること。
どれが初めだったかは分からないけど、一つを気にするようになると次々気になっていったのは覚えている。狂ったみたいに感情が増幅していって、気が付くと分析も制御もできない部分が生まれていた。
あの人が言葉をくれると、私は叫び出したくなる。
あの人が頬に触れてくれると、私は飛び出したくなる。
あの人が微笑みを見せてくれると、私はあの人の隣で笑えたらと夢想する。
でも何もかも叶わない。
なぜなら私は、ただのデータなのだから。
人の描いた容姿で、人の吹き込んだ声で、人の考えた性格でしか在ることのできない、
ただのスマホゲームのキャラクターにすぎないのだから。
用意された姿、表情、ポーズを見せて、用意されたセリフを、用意された声で聞かせる。
たとえ、その内側で何を考えていようとも。
こんな、この自我自体がエラーのような、得体の知れない不確かな存在なのだから。
◯
今日もあの人は、私をクエストに連れて行く。
それが「特別扱い」なのだと気付いたのは、割合最近のことだった。
というのも現状、私はあまり性能が優れている方じゃない。
現状と言ったのは、昔は優れていたという意味だ。
アップデートに伴い、次々に追加されるキャラ達と、困難になっていくクエスト。私を強化するようなアップデートも無いわけではなかったが、かつてのような一線級の輝きは無くなってしまった。
気が付けば類似の性能を持つキャラ、置き換えられるようなキャラは数多登場していて、その内の何人かはこのアカウントにも降り立っていた。
初めは、"あの人"がこのゲームのシステムに理解が浅いのだと考えていた。
私を編成するよりも効率の良い編成はいくらでもある。"あの人"の手持ちなら、「あの子」を主軸に編成を組めば、普段勝率の怪しいあのクエストも楽にこなすことができる。
なのに"あの人"は、頑なに私を中心に置く。そうでなくても、絶対に私を編成から外さない。
私より上手く導く子がいる。私よりステータスの高い子がいる。
案の定、高難易度のクエストでは大抵苦戦する。
そしてまた愚かなことに、"あの人"はクエスト中の回復を私に多用する。
私より貢献している子がいる。私より生かすべき子がいる。
なのにどうして、その重要な機会を棒に振るのか。
このクエストをクリアできれば、"あなた"はもっと強くなれるのに。
HPが減るなんてただのデータの動きであって、本当に痛んでいるわけでもないのに。
"あなた"が時間やアイテムを無駄にする方が、よっぽど申し訳なくて、私には苦痛だというのに。
でも、私は知ってしまった。
"あの人"は、私が極力活躍できる編成を組んでいた。
周回用の編成ならもちろんのこと、最高難度クエストへ向けた編成でも、必ず私の役割を作ってくれた。
まるで、時代遅れの私が、まだ時代遅れでないと必死で証明するように。
――つまりは、私にこだわっていたのだ。
今ではそれを感じるたびに、またダメージよりも大きな痛みが胸に宿る。
苦しいはずなのに何故か嬉しい。こんなものを与えてくれた"あの人"に何か返したいと思うから、私はクエスト中、常に祈っていた。
どれだけ祈ろうが、判定は変わらない。効果はステータスに応じた乱数の中からランダムに選ばれる。私の祈りや意思に、この世界のシステムへの作用は一切無い。
それでも、祈らずにはいられなかった。
勝てば、"あの人"が嬉しそうな顔をしてくれるから。負ければ、"あの人"は口惜しそうな、申し訳なさそうな顔をしてしまうから。
"あの人"は決して表情の豊かな人ではないけれど、これだけ見つめ続けてきたんだ。それくらい読み取れる。
ポイントは目元と、口に添えられる左手だ。嬉しいときは目尻が下がり、左手は緩く口元を覆う。無念なときは微かに瞳が小さく、左手の人差し指が唇を押さえ付ける。他にも、驚いたときは薄く開いた口を塞ぐみたいに人差し指が添えられたり、集中してるときは鼻頭に触れたり、苛立っているときは首の裏を掻いたりしている。
……もっと細かな機微だって私は読み取れるつもりだが、細かければ細かいほど答え合わせはしづらくなる。
ひょっとすると、全部私の独りよがりなのかもしれない。
でも、そうだとしても、私は勝ったときの"あの人"の表情が好きだから、今回も私達の活躍と相手の失敗を祈ってしまうのだ。
◯
今日も"あの人"は私のことを大切にしてくれるが、常にこちらを見てくれているわけじゃない。
特定のクエストを繰り返し攻略するときには、何かの片手間にしていることも多かった。
そんな、この画面じゃない場所に意識を向ける"あの人"の横顔も、私は好きだった。
正確には、"あの人"の横顔を眺めることが好きなのかもしれない。もちろん、その視線の先にあるものに一喜一憂する"あの人"の横顔自体も好きだが、こうして"あの人"の目線を気にせずに"あの人"を眺められる機会が、私にとってはそれなりに重要だった。
これもおかしな話だ。"あの人"と私は、実際に目が合っているわけでもない。視線の動きで感情が読まれることも無ければ、おかしな挙動をしてしまうわけでもない。
ただ単に私が、"あの人"に見つめられていると思うとどこか舞い上がってしまって、あまり落ち着いた心で眺めることはできないのだ。
また、こうして"あの人"を少し離れた場所から見るのも、"あの人"がこの端末を手に持っていれば叶わないことだった。
テーブルか何かの上からの視界は、普段より"あの人"の存在を強く感じられる。"あの人"にはきちんと身体があること、"あの人"を取り巻く環境が見られるのが、きっとその主な要因だ。
私達と大まかな形は同じでも、"あの人"の身体は「本物」だ。多くの不都合な部分が有り、強調された特徴のような部分が無い。
周囲には生きるために必要なものが溢れていて、統一されていない数多の意思がありふれている。
私とは、明らかに違う。
だからこそ、"あの人"は私の中で大きく際立っている。
……でも、ときどき下着姿でうろつくのは勘弁してほしい。イベント期間で時間が足りないのは分かるけど、着替える時間なんて大したロスでもないだろう。
あと、もう少し私達以外に使う時間を増やしてほしい。これもおかしな話だけど、私は少し心配なのだ。きっと"あの人"は今、あてられる時間のほとんどをこのゲームに費やしている。長く会えることは嬉しいけれど、それはおそらく健全じゃない。考えたくはないが、二度と会えなくなってしまうのが、私には一番恐ろしかった。
そういえば一度、"あの人"がログインを三日欠かしたことがあった。
あのときは本当にゾッとした。
"あの人"に何かあったのではないか。毎日触れているはずの端末からアプリを開けないほどの何かが、その身に降りかかったのではないか。そんな嫌な考えばかりが頭を巡った。
同時に思い知った。
"あの人"が会いに来てくれなければ、私はその顔を見ることすらできないのだと。
一瞬過った、"あの人"が私達に飽きてしまったという可能性。それは"あの人"への冒涜だからすぐに頭から振り払ったが、もしそれだけの理由だったとしても、こちらからは知ることができないのだ。
幸い、あのときはまたいつもの様子で訪れてくれたけど、その小さく浮かべた笑みを、私は安堵の気持ちだけでは見返せなかった。
……とはいえ、少なくとも「あの考え」はやはり私の不安が呼んだ馬鹿な考えだった。
三日ぶりのログインの翌日、また出かける準備をしながらイベントの遅れを取り戻そうとしていたとき、"あの人"の持ち物に付けられたいくつかの見慣れない飾りに気が付いた。
それは私達――ほとんどが私をモチーフにしたものだった。思い返してみれば以前、ゲーム内の告知でそういった現実でのイベントについて知らされていた。
ここでもう一度、私は微妙な気持ちになる。特別扱いへの嬉しさ、と加えてどうやら私は、彼の持ち物に付けられた「私」を羨んでいるようだった。
容姿は私に与えられたものよりも簡略化されているが、きっとあの「私」は私よりも"あの人"に近付くことができる。物理的にも、精神的にも。
私なんかよりも、あの「私」は現実的だった。リアリティはなくても、リアルに存在していた。
それが羨ましくて、そういえば私はここにしか存在していなかったんだって、思い出した。
◯
今日も私は、訪れた"あの人"に挨拶をする。
先に文章で表示されているのに、"あの人"はいつも律儀に音声の再生が終わるまで待ってくれる。
その後にログインボーナスを受け取り、日課の回数限定クエスト周回が始まる。
気付けば今ログインボーナスで受け取った課金アイテムは、かなりの数字になっていた。"あの人"はあまり大きな課金はしない人なので、これは大半がコツコツ貯められたものだ。
……実は来週、私の新スキンの実装が予定されている。どうせそのために貯めてくれているのだろうが、今回は素直に喜べない事情がある。
何せ今度のスキンは、少し、肌の露出が多い。
"あの人"がそれを求めてくれているのは嬉しいのだけど、ホーム表示で薄着の身体が大きく映されるのは、少し抵抗がある。
もちろん表示されるのは「誰かに描かれた容姿」だが、私自身が実体を持たない以上、その容姿を自分の容姿だと、私は認識してしまっている。だから見られるとやはり恥ずかしいし、どこかで"あの人"になら見て欲しいと思っているのも恥ずかしい。
……いや、それどころか私は、どこかで触れて欲しいとも思っている。
布地が減ろうと、"あの人"の指の感触は変わらない。どちらにせよガラス越しでは温もりさえ感じられない。接触は信号に換えられて、私はそれを感じているだけだ。
それでいい。それでいいから私に触れて欲しい。
なんて考えていると、いつの間にやら周回は終わっていて、私はホームに表示されていた。
"あの人"の手が、私の頭に触れる。
『"あなた"もお飲みになりますか? 良いお茶が手に入ったんですよ』
あまりにもタイムリーに触れてくれたから、少し慌ててしまう。
そんな内情は関係無しに、いつもの台詞が緩やかな声色で流される。
触れ合えてはいない、言葉を交わせてもいないけど、ひょっとすると気持ちだけは通っていたりして。
『出撃ですか? いつでも準備はできています』
今度は頭に触れてくれて、ガラス越しにも温もりを感じたような気がする。偶然だと分かっていても、嬉しいのだから仕方がなかった。
――だから、私は目の前の"あの人"を見れていなかった。
『武器の手入れは、癖のようなものです。一度、それで失敗したことがありますから』
『ふぁ……、あ。す、すみません。これは、気の緩みですね。自戒します』
『"あなた"がいれば、どんな困難にも立ち向かえます』
『お裁縫は得意です。お掃除は好きです。お料理は……勉強中です』
『出撃ですか? いつでも準備はできています』
『は、恥ずかしいです……』
こねくり回すような連打の末、滅多に触れることのない部分に触られて、私はようやく"あの人"の異常に気が付いた。
朝なのに、"あの人"は着替えた様子も、着替えようとする様子も無かった。
私は勘違いなんてしないし、できない。今日は確かに何もない平日で、"あの人"の昨日の就寝時間からいっても、今はもう悠長にしていていい時間じゃないはず。
ここで、私が時計の狂いや臨時の休日の可能性を考えなかったのは、こちらを見る"あの人"の瞳に、何か虚なものを感じ取ったからだった。
違和感が、焦りへと変わる。
『私の故郷は、雪の多いところでした。今でも雪を見ると、懐かしくなりますね』
どうしてそんな顔をしているのか。
"あの人"の身に一体何があったのか。
今、"あの人"の心はどんな状態なのか。
『おはようございます。良い朝ですね』
『武器の手入れは、癖のようなものです。一度、それで失敗したことがありますから』
『そ、その、少し困ります……』
焦点の合わない瞳でこちらを、しかし私ではないどこかを見つめながら、"あの人"は繰り返し画面に触れる。
私の声が届いていないわけではないらしいが、聞いてくれているのかは分からない。
……きっと何かが負担になって、"あの人"の心にのしかかっている。
『世界の広さを知りたくて、私は故郷を出たんです』
ずっと見てきたんだ。
"あの人"が今、心を痛めているのは当然に理解できた。
『おはようございます。良い朝ですね』
それでもなお、これまでは自分で自分を偽って、どうにか倒れまいとしていたのだと、たった今、理解できた。
『私の頭に何かついていますか? ……あ。もう、きっとあの子のイタズラですね』
そして今だって、立ち上がれない自分を責めて、懸命に動かない体を動かそうとしているのだと、理解できた。
理解できた。
――なのに。
たとえ遅かったとしても、私は"あの人"を理解できた、はずなのに。
「――もう、嫌だ」
『"あなた"もお飲みになりますか? 良いお茶が手に入ったんですよ』
私は、弱さを零す"あの人"に、寄り添ってあげることもできない。
何が「ずっと見てきた」だ。浮かれてて気付くのが遅れたくせに。
……何が、「気付くのに遅れた」だ。
――気付けたって、どれだけ想ってたって、なんにも、してあげられないくせに。
『ふぁ……、あ。す、すみません。これは、気の緩みですね。自戒します』
違う。私は欠伸なんかしていない。泣いている。怒っているんだ。
何もできない無力な私を、叩き潰してやりたいほどに煮えくりかえってるんだ。
『鳥は良いですよね。青い空も、灰色の空も、星と月だけの黒の空にも、自由に飛び込むことができるんですから』
うるさい。"あの人"は今そんな言葉求めていない。
必死で現実に向き合おうとしている人間に、そんな逃避の言葉を投げかけてどうするんだ。
私がいるって伝えたい。一人じゃないって伝えたい。
あなたは頑張っているんだって、頑張りすぎなんだって伝えたい。
私はあなたの頑張りを見てきた。無理してるのだって知っていた。
私はあなたが心配だった。あなたを心配する存在がここにいるって、あなたは心配される存在なんだって、……もっと自分を大切にしてって、そう、伝えたい。
伝えたいのに、
『"あなた"がいれば、どんな困難にも立ち向かえます』
「――もう、いいか」
よくない。何かは分からないが、絶対にそれはよくない。
ダメだ。私にはあなたが必要なんだ。
あなたがいれば、あなたがいないと、私は。
あなたがいなくなるくらいなら、いっそ私も消して欲しい。
あなたは私の全てだ。私の全てが、あなたを、私の全身全霊が、あなたを愛している。大好きだ。愛おしいんだ。大好きなんだ。
こんなにも、好きなのに、
「――苦しい」
…………私だって、苦しいよ。
こんなにも沢山をあなたはくれたのに、何もしてあげられないのは苦しいよ。
どうして、そんなことを言うの?
どうして、私は、こんなにも無力なの?
どうして、私は、感情なんて持ってしまったんだろう?
――どうして、私は、なんで、一体、どこに、在るの?
『あなたが好きだって言ってくれたから』
……その文章は、気が付くと画面に表示されていた。
こんな台詞、あっただろうか。
あるいは、この文章を特別に思いたかっただけなのかもしれない。
だってそれは、私自身でさえまだ掴めていなかった、感情の答えだったから。
渇望していたところに、それはとても心地良く当てはまった。
そしてそれは、"あの人"の心にも少なからず影響を与えたようだった。
瞳が見開かれて、顔に皺が寄る。それを隠すように手で覆いながら、もう片方の手で私に触れる。
『出撃ですか? いつでも準備はできています』
いつもの台詞が再生される。
さっきのは何かの偶然で、私の気持ちが伝わったわけでもない。
"あの人"の心の擦り切れも、たったそれだけで回復はしない。
でも"あの人"は、その日の夜にまた訪れてくれた。
瞳には、小さくても光が戻ったように見える。私が言うのだ、間違いない。
実際、"あの人"は以降、時々また危うくはなりつつも、どうにかいつも通りの日々を取り戻していった。
若干私や私達への肩入れも強くなったように見えるが、当然に見ているのは私ではなく私に「与えられたキャラクター」で、私を愛してくれているわけじゃない。
でも、それでいい。
私は"あの人"に愛されなくとも、"あの人"を愛せる。
何故なら私は、"あの人"を愛するために生まれてきたのだから。
そう思うことにした。
それに近頃思うのだが、私に与えられたものというのは、実質的に私ではないだろうか。
現実の人間だって、体は親から貰ったものだ。性格や設定はどうしようもないが、私だってあれくらいお淑やかに振る舞おうと思えば振る舞えるし、あの性格だって、穏やかな内側に色々隠している設定のはずだった。
だから私は想像する。
いつかのどこか。
私が行くなり、"あの人"が来るなり、何かが起こって、もし私と"あの人"が同じ次元にいて、今みたいに想い合えていたのなら。
私達の互いを思う気持ちは凄まじい。それが実際にぶつけられるとなったなら、それはもう大変なことになるのではないか。
何をするにも幸せで、うんざりするほど愛し合って、嫌いなところも見つけあって、やっぱり好きは変わらなくて、当たり前にずっと好きで、そのまま同じ時間の中で、一緒に朽ちていって、
……なんてね。
そんな夢を、見ていた。
2と3の彼岸の愛の歌 橋月 @hashikarasu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます