大和盆地伝聞譚書き起こし(鳥獣の話)

猫煮

第一稿

 これは古くからの知己である小林くんから紹介された田辺源蔵くんという青年に聞いた話である。


 話の前に田辺くんについて補足をしておくと、彼は奈良に生まれ育った男である。こちらには民俗学を学びにやってきて、今は二回生だということだ。


 彼と話をしたのは数度ほどであったが、その折に触れては地元に伝わるという話をいくつか聞かせてくれた。


 彼の話は彼自身も半信半疑であるようなことが多かったが、少なくとも物語としては面白く手帳に書き留めた。田辺くんは人柄の良い男であったから、この作業のために常頃の早口をいくらか緩めてくれたために、私が彼の語りをほとんど誤りなく書き記せたことを覚えている。


 ここではその手帳からいくつか、特に鳥獣に関するものを抜粋して載せるものである。


 ここで、話と話の間は等号「=」を並べて区切ることとした。


 また、分類のために筆者があとから題を考えてそれを最初に付けてあるが、これを笑って許してくれた田辺くんに感謝する。


 さらに、当時、いくつかの話について田辺くんと問答したことを書き留めた部分もあり、最初に話されたことに補足が必要だと思った場合は括弧内に注釈として付記した。また、その他の注釈もこれに準ずる。


 いずれにしても、彼の語ったことについては解釈も省略もせず、その話についての事柄を損なわないように配慮したつもりである。


 これを十分に伝えるためにはまず、彼の話の舞台についても補足が必要であろう。


 特に彼の生家のあるあたりは今でこそ観光に尋ねる人もあって賑わっているが、彼の祖父が若い頃には田畑と家畜小屋の他には小川が流れるぐらいの田舎びた土地であったという。


 そもそも奈良という場所は元が盆地であるから本来は寒暖の差こそあれ天候の安定したところであって、昔人はそれもあって都を建てたと思えよう。


 しかし、彼の生まれ育った土地は盆地の縁ということもあって、比較的四季の変化の激しいところであったそうだ。


 それもあってか、田辺くんが物心ついた頃にはまだ神仏を身近に置くような旧来の生活をしていたそうである。


 彼の民俗学を志す原点もそこにあると、なにかの折りに言っていた。


 その地元には近くの山中に八幡さまがあり、そこからさらに少し登ると筒井氏の建てたと伝わる山城の跡があったそうだ。


 それ故か、伝わる話の中には侍の居る話がままあると言い、筆者もいくつかの話を聞いた。(ただし、本稿には登場しない)


 つまるところ、金沢や、柳田先生が取り上げた遠野のように、元をたどれば城下町とも言える土地柄である。筆者の好奇心に付き合ったのも、柳田先生の遠野物語に面白さを覚えて真似事をしようというのが始まりだったそうだ。


 それに準じて筆者も誠実に書くつもりではあるが、顔を出せぬ以上責任の取りようもないので、具体的な地名はぼかすか、実際と異なるものに書き換えることをご容赦願いたい。


 とはいえ、地理的な状況が何もわからないと話の筋もいくらかぼやけようと言うものである。しかし、この土地については以下のことを知っていれば問題はないだろう。


 まず、奈良盆地の南側にあるため、山岳性気候である。故に、夏は雨が極めて多く、同様に冬は深い積雪がある土地である。


 次に、平地からいくらか山に分け入ったところにあるため、鳥獣が町中に迷い込んでくることは今になっても珍しいことではないそうである。


 最後に、古都の名残もあってか、山にはやたらと仏教にゆかりのある名がつくことが多い。また、何と混ざったのともしれぬ妙な仏法を聞くこともあるそうである。


 以上を念頭に、以下に話をいくつか書くものである。


 柳田先生のように「平地人を戦慄せしめよ」というつもりはないが、このような話のあり、また人の営みの中でその話の生きていたことを忘れずにありたいと願う。


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 狸の七橋


 行者が良く訪れたという山の麓には頑丈な石橋がある。


 これがなかなかに古い橋なのだが、辺りの人はこれを狸がかけた橋だと伝えている。


 昔、いたずら者の狸が山麓の森に住んでいた。


 ある日、この狸が山寺の坊主から油揚げをくすねようとして、あぜ道に隠れていた。


 やがて坊主が通りかかると、飛び出て荷物をひったくり逃げた。


 ところが、逃げた先にあるのは坊主の住む山寺で慌てて引き返すが何度逃げても寺の門の前に戻ってきてしまう。


 これを三日三晩続けて性も根も尽き果てたところで坊主が現れ、荷物を取り上げると言った。


「運んでくれてどうもよ」


 そうして狸を寺に迎え入れると、種を明かした。


 曰く、悪さをする狸の噂を聞き、懲らしめるために自我偈(妙法蓮華経の一つ、如来寿量品のこと)を口の中で唱えていた。この経文は悪党が仏の言葉を聞くのは心を改めたときであると解くから、お前は改心したのだろう、これからはあまり悪心を持ってはいけない、とのことである。


 それを受けた狸は神妙な面持ちで山へと消えたということだ。


 その後のある年、山寺のあった山に繋がる橋が大雨で流された。


 辺りのものが不便していると、夜のうちにたぬきが来て石橋を架けたのだという。


 これを山寺の坊主は大層喜び、千日回峰行(七年間の間山に入って経を唱え続ける修行)に等しい功徳を積んだと言った。


 だから、その橋は七橋と呼ばれているそうだ。


 同じような橋は奈良の北にもあるという。


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 天神様とウソ


 天神様では鷽替え神事というのをやるところがある。


 これは鳥のウソに見立てた彫り物を取り替えることで不幸を嘘にするという、言葉遊びのようなものである。


 この神事はなんでも、道真公が危難に遭われた際、ウソの群れに助けられたことに端を発すると言うことだ。


 ただし、具体的にどのような危難から救われたかということは地元の老人によって話すことが異なるという。


 あるものは山中で遭難なされたときに、ウソの群れが道案内をしたのだという。


 また、あるものは大切にしていた梅に虫が付いて病になったのをウソが虫を食べて治したのだという。


 雀が蔵に忍び込んで貯めてあった米を食い荒らそうとした際に、ウソがやってきて追い払ったのだという話も聞いたそうだ。


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 鵺


 各地に鵺の話は伝わっており、源頼政が退治したと伝わる鵺は猿の顔をした虎となんとも恐ろしげな怪物である。


 また、別のところでは夜に鳴く雉のような鳥を鵺と言うこともあるそうである。


 しかし、田辺くんの地元で鵺と言うと鳥のウソのことを指すと言う。


 これには次のような由来がある。


 地元の天神では旧暦の正月のあたりに鷽替え神事を行う。


 ところが権六という男が見もしないのに、聞きかじりで本物のウソを捕まえて年の変わり目に食しては捕まえて一年飼うということを繰り返していた。


 周りの村人は眉をひそめ、あるいは鷽替え神事について教える者もあったが、権六は聞き入れようとしなかった。


 すると、ある日ウソの群れが権六の家に来て五穀(ここでは稲、麦、粟、稗、豆のこと)を食べ尽くしてしまった。


 権六が食うに困って飼っていたウソを食べようとすると、ウソを入れていた竹籠の中から家を埋め尽くすほどの蜂が湧いて出てきて権六とその家族を刺し殺してしまった。


 権六の家から蜂が溢れ出て皆逃げ出したが、天神様に祈るとどこかからウソの群れが再びやってきて、蜂をすべて追い払った。


 ウソの群れはその後も村の辺りに居付き、夜になってもチチチと鳴いていた。


 最初はありがたがっていた村人たちだったが、夜になっても鳴き続けるので気が休まらない。


 やがて嫌気が差し、夜に鳴く鳥ということで鵺と呼んで嫌うようになったということだ。


 しかし、蜂を追い払ってから後に、そのウソの姿を見たものは誰も居なかったという。


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 鵺を見た男


 ところが、この鵺らしきものを見た男が出た。


 この男は弥助と言う若者で、権六の姉を弥助の従兄弟が娶っていた、遠いながらも権六の親戚である。


 弥助は山向うから帰る内に日が傾き、山の中でついに日が暮れてしまった。


 しかし、月の夜だったため山道をゆっくりと歩いているとチチチと鵺のなく声がする。


 うんざりするほど聞いた声だが、村の近くなった証でもあると気を緩めたところで女と行き合った。


 普通はこの夜中に山道を女が通れば怪しむものであるが、その時の弥助は不思議と違和感を持たず、むしろ美しいその女に見惚れていたという。


 そのまま家に帰った弥助であったが、思い返してみるとその女がどうもこの世のものとは思えない。


 怖くなった弥助が家の老人にその話をすると、その女は権六の妻ではないかと言う。


 確かに、顔貌は違ったが、言われてみれば身につけた物は権六の妻のそれによく似ていたように思えた。


 弥助はいよいよ怖くなり、村から出なくなった。


 それを不思議がった村人たちが話を聞くうちに、その女は鵺が化けたのではないかと言い出す者が現れた。(田辺くんは元はその権六が女房を殺した話が、伝わるうちにウソの話と混じったのではないかと語っていた。と言うのも、そのような話もまた、幽霊譚として伝わっているためである)


 そこで山寺の住職に相談すると、住職はそのウソを追い払ってやろうと言って村に赴いた。


 夜になっていつものようにチチチとウソが鳴き始めると、住職は山の方へ向かって一喝した。


 すると、ウソの鳴き声はピタリと止まり、それからは夜に鳴くことはなくなったという。


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 石を抱いた男


(この話に鳥獣は関わらないが)これも弥助の話である。


 弥助が壮年の頃、山の奥でふと意識を失っては気がつくと日が暮れているということが何度かあった。


 その度にやつれていく弥助を心配した周りの者が山に入るのは控えてはどうかと言ったが、弥助は耳を貸さなかった。


 さては山神にでも魅入られたかと村の衆が後をつけると、弥助は山道から下ったところにある沢の奥へと入っていく。


 ついて行ってみれば、弥助はその先にある滝で着物を脱いだかと思うと、滝壺に飛び込んだ。


 村の衆が慌てて駆け寄ってみると、滝の裏に穴が空いていることに気がつく。


 回り込んで見てみれば、弥助はそこにある石に抱きついて腰を振っていた。


 慌てて皆で引き剥がすと、弥助も正気を取り戻した様子だったが何故ここに居るのかわからないと言う。


 弥助たちはそのまま村に帰ったが、弥助はその晩に熱を出し十日の間うなされたという。


 弥助はそれから子がなせず、その血は今に残っていないそうだ。


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 飛び跳ねる岩


 彼の地元の近くには東熊野街道が通っている。


 ここは大層な難所だが、さらに獣もよく出るので皆難儀していた。


 さて、昔、射場という男が狩りをしに山に入った。


 すると、背中に笹が茂った大猪が飛び出してきたので、その胸を狙ったが、弾は足を撃ち抜いた。


 その猪が逃げ出したので、射場は後を追ったが、血痕は残っていても猪は見つからなかった。


 やがて、東熊野街道に一本足の怪物が出ては通る者を食うと噂が立った。


 その怪物の背中には笹が茂っているというので、射場の仕留め残った猪が化けて出たのではないかという話になった。


 そこで、射場は高名な僧侶の元に出向き、退治してもらうことにした。


 僧侶は引受け、法力で岩に怪物を封じ込めると滝壺へと落とした。


 そうして、怪物が街道に出ることはなくなった。ただし、師走の二十日だけは怪物は自由に動けるのだ。


 その怪物は岩に入ったまま飛び跳ねると、道を通った者の上に落ちてくるのだという。


 だから、今でも師走の暮れになるとその道を通る者は減るのだそうだ。


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 鶏石


 奈良の北には月ヶ瀬村というところがあり、そこには鶏石というものがある。


 これは、思うように鳴かなかった鶏を殺して下に埋めたという石なのだが、田辺くんの地元にも鶏石と呼ばれる石がある。


 ただし、その由来は月ヶ瀬村の鶏石とはいささか異なる。


 昔、彼の地元には雷がよく落ちた。


 ある日、又三という男が畑を耕していると、振り下ろした鍬の先に雷が落ちた。


 思わずうずくまった又三だったが、気を取り直して見てみると鍬の先で金色の鶏が目を回している。


 これはこの世のものではないと、又三は怖くなり家へ連れて帰る。そして目を覚ました金の鶏に米と酒を捧げて、鶏を慰撫した。


 気を良くした鶏は自分が雷の化身であることを告げると、自分が頻繁にこの地に降りて来るのは自分の雛が空から迷い落ちてしまったため探しているのだと語ったそうだ。


 そして、介抱した又三に礼を言うと、黄金でできた卵を産んで渡した。


 ところが、これを近くに住んでいた権左という男が見ていた。


 この権左は性根の悪い男で、口先で人を騙すからひどく嫌われていた。


 権左は天に登ろうとする鶏を呼び止めると、雛の居所を知っていると嘘をついた。そして、そこに案内をすると行って鶏を人気のない野原まで呼び出すと、石で打ち殺し腹を割く。


 ところが、鶏の腹の中からは金の卵が見つからない。腹がたった権左は鶏を手に持った石でさんざん殴ると土に埋め、上に石を乗せてこう言った。


「たとえお前が雷だったとしても、石に抑えられては天に帰れまい」


 すると、権左に雷が落ちて権左は焼け死んだ。


 それを遠くから見た村の者が石を除けて掘り起こすと、鶏の躯はみつからなかったと言う。


 村の者は祟りを恐れて鶏を打ち殺した石を砕くと、野原に打ち捨て、五穀と酒や干物を備えて許しを請うた。


 すると、一晩のうちに地面が盛り上がり、鶏冠のような岩が野原に生えてきた。これを鶏石と呼ぶ。


 それからと言うもの、その野原には草木が育たず禿げ上がってしまった。


 今でもその野原にはよく雷が落ちるのだという。


 年寄りは今でも雷が落ちるたびに、地面の下にいる鶏が仲間恋しさに雷を呼ぶのだろうと言うそうだ。


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 鳴く鶏石


 この鶏石だが、面白い伝承もある。


 なんでも、この鶏石は年に一度だけ声を出して鳴くのだそうだ。


 いつ鳴くかはその年によって様々だが、その声を聞いた者は財を成すと伝わっている。


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 化かす狐とアカショウビン


 狐が人を化かす話は各地に様々ある。


 田辺くんの地元に伝わる話は次のようなものである。


 ある娘が山道を急いでいると、狐が油を舐めているのに出くわした。


 娘は関わり合いになるまいと、尾を揺らす狐の後ろをそっと通り過ぎた。


 ところが、歩き続けると同じ狐が油を舐めているのをまた目にする。


 これが何度も続くので娘は怖くなって往生してしまった。


 すると、アカショウビンがやってきて言った。


「あなたの母親がいま今際の際にある。狐はそれを知ってあなたを惑わせているのだ。私が気を引くから、そのうちに走り抜けなさい」


 そう言うと、アカショウビンは狐の頭に糞を落とした。


 狐が怒っている間に娘がその通りにすると、山道を抜けて村へと帰り着いた。


 そして娘は母親の臨終を看取ることができたという。


 このことを村の老人に話すと、アカショウビンは自分が親の死に目に合えなかったから、同じ目にあいそうな者を助けるのだと教えたそうだ。


 この話が理由かは分からないが、彼の地元では狐に化かされたときには立ち小便か野糞をするのだという。


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(この話は田辺くんから聞いたものではないが、アカショウビンの話を知らない人のために付記しておく)


 親不孝のアカショウビン


 アカショウビンは大層身なりに気を使う鳥で、頭に簪を挿し、紅をつけていたそうだ。


 化粧に気が向くばかり、親が病になってもほとんど世話をせず身繕いをしていた。


 ある時親が水を飲みたがったので、水を汲みに行ったが、水に映る自分の姿に見惚れて長いことそこにいた。


 やっと頼まれたことを思い出して親のところに戻ったが、親はすでに死んでいて死に水を飲ませてやれなかった。


 そのバチがあたっために、アカショウビンは水をなかなか飲めなくなり、


「ミズヒョロ」


 といって喉の乾きを訴えるそうだ。


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 以上に、田辺くんから聞いた話の中から鳥獣に関するものをいくつか挙げた。


 山深いところだから鳥獣の話もかなり多いのだが、実は天狗や河童といった妖異、あるいは里に住む怪異として現れているような話もいくつかある。


 しかし、ここでは(一部を除いて)鳥獣があらわに登場するものだけを挙げた。


 また、その他の話についてだが、仏教の色が強いためか山伏や僧侶などの話はいくつかあるのだが、山神や山人といった話は比較的少ない。このあたりも風土が出て面白いところだろう。


 その他の話についてはいつかの機会にまた纏めてみたいと思っている。

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