トリあえず一杯
水定ゆう
「トリあえず生で」
都内某所。裏側にあるとされる陰世界。
そこには奇想天外な店が幾つも軒を連ねている。
今宵、とある飲み屋にやって来た俺は、奇妙な出会いを果たす。
「いらっしゃい! お客さん、一名?」
「ああ。とりあえず生で」
「トリあえず生っすね。じゃ、そちらのカウンターに腰掛けてくださいよ」
俺が立ち寄ったのは、なんてことのない普通の居酒屋。しかし何処か不思議な香りが広がっていて、口調とやけに訛っている。
おまけに俺の相手をしてくれた店主と思しい男には鳥の羽のようなものが生えていた。
あれは一体なんなのか。気のせいで流しても良いのかどうか、見当も付かない。
「まあいいか」
とは言えこの街では普通のことだ。別に驚く心配はない。
むしろ驚いていふ暇はなく、俺はカウンターに腰を掛けると、手を組んでジッと待つ。
「へい、生ビール一丁!」
手慣れた捌きで俺の名前にキンキンに冷えた生ビールのジョッキが置かれた。
しかし色合いが妙に薄い。金色と言うよりも赤み掛かっている。
「これは?」
「へい。うちの自慢の一品で、烈火麦芽で作られたレッドビルですね」
「ヘッドビル? そんな貴重なものを生ビールとして……流石だな」
正直、こんな良いものが出てくるとは思わなかった。
ジョッキに手を触れると、指先が凍りつきそうになる。
これこそが雪女の絶対零度。大した出立だ。
「大将、一反木綿焼きを一つ。それと八咫烏の爪を頼める?」
「あいよ。一旦木綿焼きと八咫烏の爪ね」
俺がふと頼んだのは、この店の看板メニュー。
一反木綿焼きと八咫烏の爪。
この二つの味が、このビールと如何に組み合わされるのか。実物でしかなかった。
「全てはここで決まるな」
俺は腕を組んでキンキンに冷えたビールを飲む。
喉越し爽やかでキレがある。俺の心を鷲掴みにすると、口元の泡を拭い去ることさえもったいないと思わせた。
「あいよ、一旦木綿焼きと八咫烏の爪ね」
「早いな。流石は鳥人間」
「あんがと」
大将は鳥人間と呼ばれている。
そんな人の目の前で同族の皮を被ったか神の名を冠するメニューを食べるのはやや気が引けた。
しかし俺は気にしない。
目の前にはチーズで包んだ木綿豆腐の通称一反木綿焼き。焦醤油の香りが鼻腔をくすぐる。
隣には黄色い鷹の爪。カリカリに上がっていて、歯で噛むと辛味成分がドパドパ出る。
これが八咫烏の爪。最高のつまみ二種だった。
「美味いな。しかもこのビールとよく合う」
俺は生ビールを一気に飲み干す。
魅惑を誘う居酒屋の雰囲気に俺は一瞬で飲み込まれてしまった。
「大将。次なんだけど……」
日々の疲れを洗い落とすみたいに、俺の口が饒舌に滑る。
気が付いた頃にはアルコールにやられ、気分が爽快になっていた。
それこそがこの店の持つ独特な雰囲気。
俺はそれを知った上で、この店にやって来ていた。
都内某所。裏側にあるとされる陰世界。
そこには奇想天外な店が幾つも軒を連ねている。
今宵、その実態を調査した。
そこは陰世界などではない。単なる路地裏の酒場街。
しかし単なる酒場街ではない。特別な料理を振る舞う、この世の墓場。
そう、それこそがコンセプトカフェではなく、妖怪居酒屋の体を着たコンセプト居酒屋。俺はその魅力にすっかり心惹かれていた。
トリあえず一杯 水定ゆう @mizusadayou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます