とりあえずご飯でも

宵埜白猫

とりあえずご飯でも

 最初は見るたびに涙が溢れたっていうのに、繰り返すうちに慣れるものだ。

 写真の中で笑うあの人に、好物だった饅頭を備える。

 その隣にもう一つ、饅頭を並べた。

 そっと手を合わせて、あの人を想う。

 あなたとはそう遠くないうちにまた会えそうね。

 そんな想像をすると、不思議と頬が緩んだ。

 息を入れて立ち上がる。

 ずっと家族で暮らしていたこの家も、残っているのはもう私一人。

 息子も大学に行ってから一度も顔を見せに帰っては来なかった。

 慣れたとはいえ、寂しいものだ。

 いつも通り、一人分の朝食。

 それを片付けて、今に戻る。

 特にすることも無く、数時間。

 テレビから流れてくる音を何の気無しに聞いていると、玄関から声がした。


「母さん、ただいま!」


 もう聞くことは無いと思っていた、元気な声。

 もう一度聞けたらと願ったのが、神や仏に通じたのだろうか。

 のそのそと玄関へ向かうと、スラっと背の伸びた息子が立っていた。

 服が少し汚れているが、本人も特に気にした様子は無い。

 ずっと一人で頑張っていたんだろう。


「久しぶりだね、和哉」

「うん、久しぶり」


 静かに靴を脱ぎながら、和哉は居間に足を進めた。


「母さん、俺……」


 珍しく慎重な顔をする息子に、私は妙な胸騒ぎを覚えた。


「とりあえず、ご飯でも食べていきなさい」

「……うん」


 久しぶりに、二人分の食事。

 和哉の好物は何だったか。

 ……そうだ。いつも私の作るオムライスを嬉しそうに食べてくれていた。

 でも、今の和哉にオムライスだけでは足りないだろう。

 見栄えは悪いが、唐揚げとサラダも付けようか。

 いつもより手間の掛かった食事を用意するのも、食べてくれる相手がいると苦では無かった。


「お待たせ」

「ありがとう、母さん」


 二人向き合って皿を並べる。


「頂きます。」


 やはり若い和哉には、揚げ物を付けておいて正解だった。

 私がオムライスを半分食べる間に、和哉はもうオムライスとサラダを食べ終わっていた。


「よく噛んで食べるんだよ」

「うん」


 温かな時間。

 いつぶりだろうか。

 こんな時間が、ずっと続いてくれれば、そう思うけれど、和哉をあまり長く引き止めておく訳にはいかない。


「ご馳走さま」


 いつのまにか唐揚げまで食べ終わっていた和哉が手を合わせる。

 そして、


「母さん、俺は……」


 分かってる。

 だけど、あともう少しだけ。


「とりあえず、お風呂にでも行っておいで」

「……うん。そうするよ」


 和哉はゆっくり立ち上がって、風呂場に歩いて行った。

 姿が見えなくなると同時に、私は大きなため息を吐いた。


「私は何をしているんだろうね」


 引き止めていては、和哉が苦しいだけだと分かっているのに。

 私のわがままに付き合わせてしまっている。

 思えば、あの子は昔からそういう子だった。

 私の顔を見て、察して動いてしまう。

 だから私は和哉に甘えていてはいけないんだ。

 風呂場から、シャワーの音が聞こえ始めた。

 このシャワーの音が止まって、和哉が出てきたら、ちゃんと話を聞こう。

 そしてそれを、ちゃんと受け入れよう。

 心を決める。

 相変わらず、私の気持ちを見透かした様なタイミングで、シャワーの音が止まった。


「母さん、ありがとう。さっぱりしたよ」

「良かった。…………なあ、和哉。話があって、わざわざ来てくれたんだろう?」

「うん」


 和哉が穏やかな顔で、私を見る。

 私も、できるだけ平常心で和哉を待った。


「母さん、俺はもう死んだんだ」

「……そうか」


 知っていた。

 昨日警察から、山中で遺体が発見されたと電話があった。

 何があったのかは分からない。

 その遺体が本当に息子のものだと確認するのが怖くて、まだ足を運んでいないから。

 けれど、その事実だけは知っていた。


「だけど、母さんにまだちゃんと伝えてないことがあって、それだけ伝えたかったんだ」

「伝えてないこと?」


 少なくとも、私に心当たりはない。

 それとも、気付かないうちにまた迷惑を掛けていただろうか。

 無駄な気苦労をさせていただろうか。


「母さん、俺は母さんの子で幸せだったよ」


 何もしてあげられてないのに、和哉は笑いながらそう言った。


「ちゃんと親孝行も出来ないまま、母さんを一人にしちゃってごめんね」


 もう心を決めたというのに、こんな事を言われたら引き止めたくなってしまう。


「ここまで育ててくれてありがとう。体には気をつけてね」


 どんどん、和哉の体が薄くなっていく。


「和哉! と、とりあえず……」


 何か口実を探そうとして、止めた。

 これ以上は駄目だ。

 和哉がこうして、最後に会いに来てくれたんだ。

 私が最後に伝えるのは、そんな言葉じゃない。


「和哉、私の子でいてくれてありがとうね。……愛してるよ」


 精一杯の笑顔を作って、和哉を送る。

 さっきまでの賑やかさは嘘のように、静寂の音がした。

 寂しさはある。

 それでもなぜか、心は少し、軽かった。

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とりあえずご飯でも 宵埜白猫 @shironeko98

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