ヘドロ

@ku-ro-usagi

短編

大学に合格して上京してきたばかりの頃

2人のおばさんと言うかお姉さんと言うか

部屋に女の人が訪ねてきたんだ

私の実家は

気持ちいい程の田舎で

鍵も掛けないからさ

近所のお婆ちゃんが居間にいて勝手にお茶飲んで寛いでるのね

昭和じゃないよ

令和の今でもね

だから

その2人の女の人も

「最近引っ越して来たんですか?」

「何かお困りのことありませんか?」

なんて聞いてくれて

実家のご近所さんと違ってちゃんとチャイム鳴らしてくれるし

見知らぬ他人に困り事はないかなんて

親切な人達だ

って

「お話させていただいても?」

って言葉にもね

この辺りの、地域のね、ルールとかを教えてくれるのかと思って部屋に通したんだ

狭いキッチンだったけど奥の和室はもうベッドで半分以上いっぱいだから

向かい合わせで置いていた

キッチンテーブルの椅子を並べて座ってもらって

私は腰までの高さの

飾っておいてもさまになるお洒落な脚立あるでしょ

あれを部屋の隅から持ってきて座ったんだ

でも

飲み物1つ出してないことに気付いてさ

田舎だとホント勝手に飲むからね

冷蔵庫開けたけどまだ作りたての麦茶くらいしかなくて

迷ったけど水道水よりましかなって

言い訳なんだけど

まだ本当に引っ越してきて2日目で

嗜好品は後回しにしてたんだよ

でもグラスは

お客様用のお洒落なグラスを奮発して買ってたから

それに注いだ

私はマグカップね

でも2人は薄い麦茶には手を付けずに私の事を聞いてきた

どちらから?

まぁとても遠いところから

大学生、そうなんですね

って

あんまりこっちのこと教えてくれないなぁと思ってたら

ふと

麦茶の色が変な気がした

私のじゃなくて2人のグラスのね

あれ、麦茶こんなに濃かったっけ?

まだまだ薄かったはずなのに

グラスは無色透明でシンプルな円柱のトールグラス

縁に金縁が巻かれているだけのグラス

光の加減?屈折?

私は話している2人の話ではなくて

濁っていく麦茶ばかりに気を取られて

(洗ったんだけどな)

錆?

(どこから?)

「うわ汚な」

とか思われたらやだなとかさ

思ってた

そしたら

ワタシが上の空なのを感じたのか

よく話してる方の人が咳払いしてさ

慌てて顔を上げたら

もう一人の小柄な人が

前髪までべったり濡らすほどの汗かいてて

なのに笑顔でさ

「え?え?大丈夫ですか?」

って言ったら

「どうしました?あぁ、こちらね」

咳払いさんは全く気にした様子もなく

足許に置いていた大きめのバッグを膝に乗せて何かを取り出そうとしたんだ

その時

麦茶はもうヘドロかな?

みたいな

墨みたいな黒じゃないんだ

変な泥みたいなほぼ黒に近い深緑のぐるぐるしたものに変わってた

それで

もう汗だくで顔色すらおかしい小柄さんが

「うっ……!!」

って変な顔で呻き声上げて

咳払いさんのバッグを奪うように自分の手元に引き寄せたと思ったらさ

「ゲーッ……ゲェェェーッ」

ってバッグの中にゲロゲロ嘔吐した

「キャーッ!!」

って咳払いさん悲鳴上げたけど

知らん人に部屋でゲロされるこっちの身にもなってよ

それで咳払いさんはさ

嘔吐さんを心配するどころか

「人のバッグに何してんのよ!!」

とヒステリックに叫んで鞄を奪い戻してた

(うわ、今嘔吐さんからバッグを奪ったら私の部屋が汚れる……)

と私も大概なこと思ったけど

嘔吐さんは胃の内容物を吐き終えたのか

まだ口許には吐瀉物と緑色っぽい唾液を垂らしたまま

「……あの……お邪魔……しました……」

ってね

今、ほんの数秒前まで嘔吐していたのに

よろよろと立ち上がると椅子の背もたれに置いていたバッグを片手に持ってふらふら玄関に向かった

狭いから数歩で着くよね

咳払いさんは

バッグの中の惨事に真っ青になってたけど

嘔吐さんが上半身を左右に揺らしながらパンプスに足を落としている姿を見て

「ちょっと!?あなた!何を勝手に!!」

また甲高い声を上げたけど

嘔吐さんは聞こえてもいないようにドアノブを回すと

体重でドアを開けるようにふらつきながら廊下へ出ていった

咳払いさんは

「ご、ごめんなさいね、あの人が」

また日を改めてね

とバタバタ出ていって追いかけてたけど

ゲロ吐くならもう来なくていいよ

ヘドロに見えたグラスの中身は

少し茶色いかなくらいにまで戻っていた

あとその2人は二度と訪ねて来なかった



そのあとは

大学のサークルの友人の

その友人が連れてきた知り合いに出したアイスティがヘドロに変色した

びっくりしたのが

その人

そのヘドロアイスティ飲んだんだよ

ほぼ真っ黒な深緑のドロドロの汚泥だよ?

そしたら当然だよね

部屋から飛び出してさ

そこは評価するけど

階段転げ落ちるようにしてアパートの下で

ゲーゲー吐き出して

うわ掃除どうすんのと思ったけど

外は結構な土砂降りで一晩で全て流れてくれて助かった

その人は友人が呼んだタクシーの運転手に滅茶苦茶嫌がられながら

タクシーに乗って帰っていった

後で友人には謝られた

なんか上京した大学生狙いの悪質なマルチの誘いの人だったらしい

しかし

ヘドロはグラスが原因なのか

相手にはどうやら普通に見えているらしい

奮発したなんて言ったけど

やっと一人暮らしを始められる田舎出身の女子の奮発だからさ

高級ブランドなんかじゃなくて

女の子が好む人気の雑貨屋のペアグラスなんだよ

値段もブランドものに比べれば駄菓子クラス

だから別にアンティークの曰く付きでもないただの量産品

水を入れて数日置いてみたりしたけど

少し埃が浮いた程度

何もかも

謎のまま

友達なんかに出しても全然濁らないしね

なぜだか全然傷も付かないし重宝してた



就活もこっちでしたんだ

迷ったけど地元は働き口ないんだよね

市役所を始めどこもコネありきでさ

うちの両親は新参者だからね

そんなコネもなくて

地元に残った陰湿ないじめっこが教員免許取ったって聞いて

ますます帰るのやめた

狭いながらもこのアパートは居心地よくて

結局、結婚するまで住んでた

あのグラスも丈夫で長持ちして、新居にも持っていったんだ

お客様用にはもう少し高めのグラス買って

このペアグラスは普段使いにしたんだけどね

なんでか最近

あのアパートやあの時の事を思い出すんだ


不自然な残業や休日出勤が増えて

身嗜みをやたら気にし始めた旦那

そんな旦那に

あのグラスでアイスティ出したらやたら濁るんだ

まるでヘドロみたいに

アイスコーヒーにしてみたら

夫はミルク入れるからベージュからヘドロ色に変色した

もっと嫌だなと思うのが

そのヘドロになった液体を平気で飲み干していること

一度や二度でなく

一体

この人

何なんだろう

何をやってるんだろう

ただの浮気かと思ってたけど

もっと

違う

もっと

良くない

何か


でも私にはどうすることもできない

だって

何ができるというのだ

そんなある日

仕事へ行った夫から電話がかかってきた

たまたま有給を取って家にいた私は

旦那の電話に出た途端に

あのグラスに注いでいた冷たい緑茶が

赤い血の色に濁り始めていくのを見て

電話口から聞こえてきた夫の言葉はもう覚えていない

内容は本当に

なんでそんな事?

ってくらいどうでもいい話で全く覚えていないんだ

元は緑茶だったぬるりとした赤い液体はしばらくそのままで

でも段々血液特有の生臭さまで漂い始めて

電話を切ってからもそれは赤いままで

私はそれを迷った末に

トイレに流した


その日の午後

夫は轢き逃げにあってあっさり死んだ

人通りもあったらしいのになぜか目撃情報が不自然な程なくて

義理の両親は納得がいかないと、しばらくうるさかったけど

そのうち

やっぱり何か

夫に不都合な何か

夫が良くない何かをしていたことが解ったんだろうね

私には教えてくれなかったけど

轢き逃げ犯を追うこともぱったり止めてしまい

不自然な程に騒ぎ立てなくなった


諸々が落ち着いた頃

住んでたのがファミリー向けのマンションだったから

私は一人だし引き払うことにした

引っ越しの手伝いに来てくれた母親には

「何もこんな所に住まなくたって」

と言われるくらい

今時オートロックもない

本当にただの昔ながらのアパートに移り住んだ

ずっと住んでいたあのアパートに似ていたから

それだけの理由で決めた部屋

手伝ってくれた母親には

あれではない別のグラスでアイスコーヒーを出した

あのグラスはさすがにもう怖くて特に身近な人には使いたくなかった



でも

私は

どれだけツイてないのか運がないのか

そもそもこのご時世

母親の言う通りせめてオートロック位は付いているマンションにすべきだったのか

仕事中の昼間に泥棒(?)が入ったんだ

とても年期の入ったアパートだったしね

鍵も容易に開けられたらしい

その泥棒は

金銭よりも下着とか食べ物を漁る泥棒だったんだと思う

だって

棚に飾ってあったあのグラスで

冷蔵庫の中のペットボトルのアイスコーヒーを飲んで部屋の中で倒れている姿を

仕事から帰宅した私が発見して警察に通報したから

そいつは

昼間に無人の女性の部屋に忍び込んでは

そこで寛いだり時には食べ物まで漁る変態だったらしい

死因は

「突然死」

「心臓発作」

だったかな

アイスコーヒーを飲んだ直後に急死だって

本当にいい迷惑


それでその話がね

なぜか人伝に

元夫の義両親の耳に入った

そして

私の事を

暗にでもなく死神扱いしたらしい

今度

理由を付けて義両親を部屋に招待して

あのグラスで何か飲ませてみようかなと思ったりね

「夫の大事な遺品がまだあった」

とでも言えばのこのこ会いに来るでしょ

「あなたたちにとっての本当の死神になりましょうか」

なんてね

馬鹿馬鹿しいからしないけど

それに

私は知ってるんだ

本当に本当の悪人は

それを私の耳に伝えてくる人間の方なんだ


今も目の前にあるこのペアグラス

どうしてか傷一つ付かないの

いつまでも新品のよう

それならば

これを

箱に詰めて送ってみようか

伝えてきたあの人に

伝えてくれたあの人に

悪意を吹き込んでくるならば

悪意を送り返すのもまた道理


そうしましょうか?

そうしましょう




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヘドロ @ku-ro-usagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ