第4話 圧倒的なる二人の魔王

 後世、「祖帝」シーザリオンは理想的な君主として知られる。軍を指揮しては並ぶものない統率力を発揮し、正奇を織り交ぜた兵法を駆使して敵を打破しながら、度量にすぐれむやみに人を害することなく、戦乱の中にあっても破壊することより破壊からの再建を考えた。のちのウェルス神聖帝国、さらにのちのウェルス王国が神聖魔法、とくに癒しの魔法をもっぱらにしたのも、ただ建国にあたって女神グロリアの啓示を受けたからというだけではない。彼はまた多くの病院を興し、医学校を開いて医学の門戸をひとびとに広く開いた。また、帝王となった人間にはままみられることだが、名君と言われながらも皇帝となって功臣を粛正する王が多い歴史の中でシーザリオンは粛清という行為にほとんど手を染めていない。彼が手を血に染めたのは先王アウグス、そして最愛の公女ルクレツィアに対してだけであった。


 が、欠点のない無謬の人でもなかった。唯一といっていい欠点は箴言を信じやすいということで、人生の岐路にあたって占いに頼り、占いがその都度に正解を言い当てていたため占いというものに信を置きすぎた。シーザリオン登極後、将校の中からさしたる功がないままに侯に封ぜられたものが100人を超えたが、これは出自不明の怪しげな占卜書を信じたためである。が、占いに惑わされてひとを不幸にする類の政策を打ち出したことはなかったから、致命的な欠点とは言えまい。


 ともあれそうしたわけで。

 ルキウスから女神グロリアの元にいざなわれ、女神から「力を望むのなら最愛の恋人を殺せ」そう言われた直後のシーザリオンにとって、「あなたの運命を知っている」という新羅辰馬の言葉は無限の砂漠にオアシスを見つけたにも等しかったであろう。


「あんたはこの後、ウェルスの王になってこのアルティミシア大陸を統一、皇帝になる」

「皇帝?」

「……この時点で皇帝って呼称はないのか。ええと」

「この時代の西方語でいうなら{至高王|アルドリー}だよ。四海統一の王」

 言葉を探す辰馬に、ギンヌンガァプの助け舟。辰馬が「あぁそれ」とうなずくとシーザリオンは顎を引き、表情をこわばらせる。辰馬とギンヌンガァプの言葉は女神の啓示を裏付けるものだったから。そしてこれが真実であるならルクレツィアを殺さねばならないという運命を受け入れる必要があるからだった。


「そのためにあんたは心を殺してルクレツィアを殺さなきゃならんかった……らしいんだが……。けどまあ、グロリアの思惑通りルクレツィアを殺させるのって絶対なんかな?」

「歴史を変えたいってことか? あんまりおすすめはできねぇよ。すでにここで接触してる時点で歴史は多少変わってるが、これくらいなら誤差の範囲。だが誰もが知ってる歴史事実を改変するってなると大きく歴史が変わっていくことになる。下手すりゃ辰馬、お前が生まれてない歴史に分岐する可能性もある」

「いや、おれが消えることはないはず。おれやお前はもう時間や空間ってものに縛られない存在なわけだし。……けど、勝手なことすると瑞穂とかしず姉とかエーリカがいなくなるかもしれんのだよなぁ。迂闊な真似はできんか」

「俺らがやるべきは死獄王の作る「歪み」の是正。それ以上をやるなら協定を破ることになるし、領分を超える死獄王と同じってことになっちまう。ここは我慢のしどころだぜ、辰馬」

「うーん……」

 ギンヌンガァプの言葉にうなずく辰馬だが、納得できていないのは一目瞭然、眉間にしわを寄せて考え込む。かつて「眠そうか不機嫌か、それ以外の表情がわかりづらい」といわれた辰馬だが、ずいぶんと表情豊かになったものである。


「でもまあ、今回に限っては。ルクレツィアは死ななくて済む。結局シーザリオンの側にゃあ居られねぇが」

「あぁ、ルクレツィアがニンマハだって話。もともとお前はニンマハを助けるために死後獄王相手にすることにしたんだっけ」

「そーいうこった。ルクレツィア、記憶の封印を解く。こっち来な」


 魔王ギンヌンガァプはルクレツィアを手招きするが、ルクレツィアはシーザリオンの背に隠れるようにして魔王を拒む。先刻、いきなりの抱擁は彼女の心に強烈な警戒の念を植え付けたらしい。


「……お前ね、俺を拒むと死んじまうよ? 俺らが嘘言ってないことぐらいはわかるだろーが」

「あなたを受け入れるくらいなら、シーザリオンの手にかかって死にます!」

「この……!」


 と、腰を浮かす魔王。それを辰馬が制し、シーザリオンもルクレツィアを庇う。


「……見た目はニンマハだが性格はまったく可愛くねぇ。……いや、ニンマハも結構頑固なとこはあったか……、やっぱ似てるんかねぇ……」

「つーか、なんでニンマハがルクレツィアになってんの? 死獄王の仕業ってのはわかるが、理由がいまひとつわからん」


 辰馬が訊くと魔王は驚いたように片眉をあげた。彼にとってニンマハがルクレツィアの身体に封じられているこの状況はあまりにも当然すぎて、理由を考える気にもならなかったのだが……、考えてみれば奇妙ではある。魔王の伴侶である創世女神を斃して、取り戻しに来るのがわかっているところに置いておくのだからサービスが過ぎる。


 となると。


「なんでってーと……。誘いか」

「だよなぁ、やっぱり。なんか剣呑な気配もしてきた」


 辰馬が軽く右手で虚空を薙ぐ。たちまち掌中に現れる、64枚の氷の刃を連ねた蛇腹の短刀、天桜。魔王ギンヌンガァプも左手に獲物を取った。剣の形に一極集中した魔力塊は、不吉な唸りをあげる。


「俺らをここに集めて覆滅すりゃあ、この世界を手に入れるのに邪魔者はねーからなぁ……。歴史を変えることに躊躇もなし、か」

「ま、そんならこっちもやることは一つだ」

「だな」

「シーザリオンとルクレツィアはここを動かんよーに。おれらはちょっと掃除」


 いつの間にか、ユリウス邸の外は異界と化していた。無限の広がりを持つ薄暗がりの世界には数千数万の死獄の兵が居並び、その数は刻一刻と増え続ける。死獄の兵というのがどれほどの強さか、辰馬は知らないが、少なくとも過去世で相手にした人間や神族、魔族に劣るということはないだろう。創世女神グロリアやその娘神サティア、魔皇女クズノハに比べれば劣るかもしれないが、それでも数が数である。一筋縄では……。


「協定破りはそっちが先だ、後悔すんじゃねーぞ、三下どもがァ!」

魔王ギンヌンガァプが獅子吼する。その咆哮の衝撃だけで数百の死獄兵が消し飛び、空いた敵の間隙に魔王は突進、魔力の刃を一振りすれば数十がなぎ倒され、二振りで数百が塵と消える。三振り目の衝撃波は涯なき異界の果てまで届いた。敵を裂くほどに魔剣の唸りは大きくなり、刀身はよりまがまがしく凶悪に形を変ずる。狂乱のままに魔王は自らも姿を変じ、半竜半人の姿で荒れ狂った。相手が死なぬ死獄の兵であるなら、殺すのではなく消滅させて存在を抹消する。あまりにも圧倒的だった。


「あんまり無理すんなよー、ガァプ。……さて、おれも負けてられんし、ちょっとだけ頑張るか」

 魔王の相手は恐ろしい、とばかり辰馬の方に攻撃を集中する死獄兵たち。結果として魔王ギンヌンガァプより辰馬の方が多くの敵を相手にすることになったわけだが、辰馬はとくに気負った風もない。


「護持者の力。なるほど世界のブレを元に戻す力なんだから、そりゃ膨大なもんになるわな。これを攻撃に転化して……よっ、と」


 辰馬を中心として、黒い光の柱が立ち上る。新羅辰馬の必殺、{輪転聖王|ルドラ・チャクリン}。しかしその威力は人として行使したかつての威力とはまったく一線を画す。天衝く光の暴嵐は数千数万の死獄兵を、悲鳴を上げる時間も与えず一瞬で蒸発させた。敵が弱いのではなく、辰馬の力があまりにも桁外れすぎる。


 死獄の兵はなお無限に湧いて辰馬たちに襲い掛かるが、しかし辰馬たちの破壊力は敵の供給を上回る。敵が消滅させる以外倒すすべのない死獄の兵であることは辰馬の心を摩耗させたが、この期に及んで対話を語るほど辰馬の心もぬるくはない。赤竜帝国皇帝は優しさと甘さは別物だということを理解している。ここで敵を殲滅し損ねたら、他日大きな禍いがやってくる。それは避けねばならない。そういうわけで、辰馬と魔王の圧倒的戦闘力の前に、数十万に上った死獄兵たちはついに屈服した。当初の10分の1以下に数を減らされ、残った兵は完全に戦意を喪失してしまう。


「大したことはなかったか。ま、将軍クラスとかが出てきたわけじゃねーもんな。今回」

「出てきても結果は変わらねーよ。俺ら二人の前に敵なんざいねぇ」

「ん。この身体、連続で輪転聖王ぶっぱなしてもまったく消耗しねーし。実際負けることを想像できないのが正直なところ」

「だろ? ま、死獄で戦うんなら話は別だがな」


死獄の異界は消滅し、護持と破壊の双極の魔王は無傷のままに構えを解くとユリウス邸に戻る。そこで。


「あぁっ!?」

 絹を裂くようなルクレツィアの悲鳴。有翅の死獄兵がシーザリオンを打ち倒し、ルクレツィアを抱きすくめて逃げを打つ。辰馬とギンヌンガァプはすかさず死獄兵に一撃をくわえようとして、しかし自分の一撃の威力が大きすぎることに気づいて躊躇する。その隙に、死獄兵は俊敏に翼をはためかせて消えた。


「ち……、10万の兵をおとりに使って、本命はこっちか」

「やられた。こっちに一人残っとくべきだった」


「く……ルクレツィア……」

「動きなさんな。あんたも結構、重症だし」

 呻くシーザリオンを寝かせて、辰馬は治癒術を施す。護持者としての力の覚醒は辰馬をして癒しの力にも開眼させていた。


「追うか」

 シーザリオンをルクレツィアのベッドに寝かせ、施術を終えて辰馬は魔王ギンヌンガァプに声をかける。


「おぉよ! 当初の予定は狂っちまったが、その辺は護持者サマの力で修正してもらうとして。まずはニンマハを取り戻す!」

「っし、往くぞ!」


 かくて。破壊と護持の魔王は死獄へと向かう。


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死獄の王と双極の魔王 遠蛮長恨歌 @enban

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