逢う魔が時

たかぱし かげる

日入

 山の日の入りは早い。

 すでに辺りは陰が漂い、いち早い宵を迎えている。

 茉子まつこは着物の裾が纏わりつくのも構わず畦道を足早に進んでいた。

 里の外れに楓の木が一本立っている。秋も深まる今、見事に紅く染まっている。

 その木が、ひときわ紅く燃えていた。

 谷合いからちょうどこの季節だけ夕日が射し込んで、たまたまこの木を照らすのだ。

 その姿は息を飲むほど美しい。

 たどり着いた茉子はそれを一頻ひとしきり眺めてから、楓の幹に背を預けた。

 村では見ることのできない、真っ赤な落日が茉子の顔も赤く照らす。

 茉子が見つめるなか、ぎらぎらした生命の塊は地平の下へ沈んでいった。

 朱色だった空が淡く碧く染めかえられていく。

 帷を下ろしたような薄闇が、茉子と楓を包んだ。

 逢う魔が時。

 ほんのひとときだけ訪れる、魔と逢うことのできる時間。

 茉子は日に赤く灼かれた目を閉じて、もう一度あの男に逢わせてくださいと強く願った。

 どこの誰とも知らぬ、人かどうかも分からない、あの人。

 けれど、確かに茉子の命を洪水から救ってくれた人。

 遠く、とりの正刻を知らせる鐘が六つ鳴る。

 茉子はそうっと目を開いた。

 ただ目の前には黄昏たそがれる里山があるだけだった。

「今年も駄目かぁ」

 楓から離れて天を見上げる。まだ夕日の残滓が残る空に星は見えない。

「ぴゅーって空を飛んで、カッコよかったなぁ」

 足を滑らせ濁流に飲まれた茉子を軽々すくい上げた男は鳥のように空を飛んだのだが、小さかった茉子がいくら言い募っても、村の人間は誰ひとりとして信じてはくれなかった。

 でも、あれは、絶対に、夢などではなかった。茉子を抱いてあの男は飛んだのだ。

 それを確かめたくて、あるいはただもう一度逢いたくて、山間のこの村で逢う魔が時に立ち会えるこの季節に、茉子はいつも立っている。

 空も昏くなった。虫の音が家へ帰れと茉子を急かす。

「諦めないから。ぜったい、また逢えるまで来るから」

 闇に向かって捨て台詞を吐いてから茉子が踵を返した。

 残された陰影がさんざめく。

「相変わらず熱いことだ」

「いい加減嫁に貰ったらどうだ」

「できるかよ」


《逢えず魔が刻》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逢う魔が時 たかぱし かげる @takapashied

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ