ありがとうメーター

いわさ

第1話

「わぁ、出張のお土産ですか? ありがとうございます」

 満面の笑みと共に、頭上に《20》とアラビア数字が表示された。

 僕は感謝の言葉に数値が見える。外国語でも文面でもだ。記憶を辿ると六歳の頃からで、十二歳の時、この不思議な力に「ありがとうメーター」と名前をつけた。

 メーターのフォントはゴシック、カラーは黒縁の黄色。数値は上限が《100》で、これは感謝の度合いを表している。つまり、隣のデスクの女性は然程ありがたいとは思っていないのだが、それはいつものこと。余計な事は考えず、他の同僚にもお土産の饅頭を配って回った。

「佐藤くん、ちょっといいかい?」

 同僚に饅頭を配り終えた頃、社長に呼ばれた。出先から戻ってきたようだ。後ろに見知らぬ若い女性を連れている。

「出張お疲れ様。こちらは君の出張中に入社した泉君だ。私についてもらっていたが、今日から見てやってくれ」

 社長はそう言って僕の肩をポンと叩くと自席に向かった。

「佐藤です、よろしくお願いします」

 手短に挨拶して、泉を見た。年齢はおそらく二十代前半。縁のない眼鏡に化粧っ気のない顔、髪はポニーテールと言うよりは結っただけで、黒のリクルートスーツに身を包んでいる。失礼だが地味な子だ。

「泉です。本日からよろしくお願いいたします」

 泉は挨拶と共に名刺を差し出した。『◯◯株式会社 営業部 福祉用具専門相談員 泉すみれ』と書かれていた。九人しかいない会社で名刺交換はどうかと思ったが、受け取った。失礼のないよう、こちらも名刺を渡す。

「ありがとうございます」

 泉の頭上に《100》と表示された。

 ――――目を疑った。

 二十八年間生きてきて《100》が出たのは二度。目の前で倒れた老婆を病院まで運んで介抱した時と、真っ青な顔をした男にトイレの順番を譲った時だけ。《100》という数値は本当に危機的な状況でないと出ない数値なのだ。

 それが名刺交換で出るとは……。平均値32の社交辞令だぞ、あり得ない。

 未知との遭遇に冷や汗が滲む。しかし、こんなものは序の口に過ぎず、泉はあらゆるシーンで《100》を連発した。

 酔った同僚の長話に付き合わされても、理不尽なクレームをつけられても、目を輝かせて「勉強になりました、ありがとうございます」と《100》。他にもあるが挙げればキリがない。

 時々メーターがイカれたのかと思って、隣のデスクの女性に化粧品やハンドクリームの試供品を渡すが《19》〜《22》と安定して低い。どうやら泉は本当に心から感謝しているらしい。

 そんな泉に、人の心の一端が見えてしまう僕が安心感を覚えるのは当然で、いつしか後輩と呼ぶにしては随分親しい存在になっていた。

 だがある日、社長から泉が今週で退職すると聞かされた。具体的な理由は教えてもらえなかったが、元々期間限定だったらしい。

 ――あと数日。泉がいなくなると思うと、胸が静かな焦燥感に駆られて苦しい。自分が久々に恋をしているのだと悟った。そして、同じ苦しみはもう来ない。泉のような存在はいないからだ。

 思い立ったが吉日、僕は泉を食事に誘い、約束を取り付けた。日は泉の最終勤務日、場所は職場から数駅の居酒屋になった。

「勿体無いなぁ、お客さんからの評判も良かったのに」

 間接照明の効いた個室で言った。事実だ。泉は覚えが良かった。顧客のメーターも平均値83と高い。上辺だけの感謝で出る数値ではない。

「すみません、ありがとうございます」

 申し訳なさそうに縮こまる頭の上に《100》と表示された。呆れた笑いが空気と一緒に漏れる。

「口癖だよね、ありがとう」

「ええ、まあ」

 そう言って泉は何か逡巡するように視線を落とした後、話し始めた。

「――実は私、子供の時に事故で両親を亡くしてるんです。 それからは親戚中をたらい回しにされて、皆が当たり前のように経験してきたことも経験できていないんです。だから、どんな事でもありがたいなって思ってて、つい……」

 驚異的な数値の背景に、そんな重い過去があるとは思っていなかった。その後は場を持ち直したが、何となく連絡先も聞けぬまま、泉を改札まで見送った。

 ホームに続く階段の人混みに紛れて、泉の背中と、頭上に表示される《100》が消えていく。それらを記憶に焼き付けてから、僕も帰途に着いた。この日が泉に会った最後の日になった。

 一年後、ある休日。何気なしにテレビを見ていると、ドラマの番宣インタビューに泉が現れた。インタビューを聞くところによれば、泉は駆け出しの女優で、今度のドラマの主演に大抜擢されたらしい。

 しかも演じる役は「幼い時に両親をなくし、親戚中をたらい回しされながらも懸命に生きてきた主人公」だという。

 狐につままれた気分でテレビを見ている内に、インタビューは締めに入った。泉が話し始める。

『今回は役作りの為に、知人の方のご厚意で会社勤めもさせていただきました。こうして私がここにいるのも皆さんのお陰です。本当にありがとうございました』

 泉が笑顔と共に小さく一礼した。嫌な予感がする。何もかも演技だったのかもしれない。そう思うと怖くなってテレビから目を背けようとしたが、遅かった。メーターの数値が目に入る。

 泉の頭上に表示された数値は《200》。

 有り得ない数値に目を見開いた後、静かに顔が綻ぶ。

「こちらこそありがとう」

 一人呟いて泉の主演ドラマを録画予約した。

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