第5話 アロアという土地。

 怯えているセラがかわいそうで、掛ける言葉を選ぶ。そうしているうちに、鐘の音を耳にしたシスターが焦りの色を浮かべた。


「子どもたちが待っているのでしょう、行きなさい」


 アイシャが落ち着いた声でいうと、シスターが申し訳無さそうに頭を下げた。黒いスカートをつまみ上げてお辞儀をすると、セラの小さな手をしっかりと握る。まるで本当の親子のような二人を見送ると、レイはアイシャを振り返った。


「この先に孤児院があるの?」

「正確には孤児院ではありませんが、親をなくした子どもたちが教会で暮らしているようです」


 レイはセラが駆け下りてきた坂を見上げた。商店の屋根が連なるその奥に、黒い屋根がちらりと見えた。あれが教会なのだろう。モンドは比較的恵まれた土地だ。豊かな土壌と水源、温暖な気候に海。街は大きく物に溢れ、森に魔物もいない。


「親を……」

「魔物に村を襲われることは、めずらしいことではありませんから」


 アイシャがかすかに眉根を寄せる。レイはなおも教会の屋根を見つめた。セラも、村を襲われ、親を殺され、そんなふうにしてアシュアの街に連れてこられたのだろうか。


 アロアとモンドの違いは一目瞭然だ。良くも悪くも、アロアとモンドは「豊かである」ための根本が違うのだとレイは気づきつつあった。





 その夜。


 無事に街から屋敷に戻ったレイは、夕食を取るのも忘れて図書室にこもっていた。


「……」


 窓から差し込む光はすでに藍色で、手元の文字が見えにくくなって初めて時の流れに気づく。レイは夢中で動かしていたペンを置き、ふうと小さく息をついた。


「これは想像以上ね」


 机の上に山と積まれているのは、分厚い革表紙の本である。レイが探し出したのは、アロアの財政や食物や家畜の生産量、降水量、人口の変化までが記された『アロア年観』なるもの。たった5年間の量だが、一年分が分厚く重いため、本棚から引っ張り出すだけでも重労働だった。


 レイが想像していたより、アロアは豊かであることを知った。経済状況も悪くはないし、人口の増減の幅も小さい。けれど、モンドなどフローミィ主要都市と比べれば随分心許ない。


 気になる点があるとすれば。


 雪が降るため降水量は比較的多く、気候だって丁度良い。しかし日照りや冷害、虫害の記載がないにも関わらず、麦や綿花の生産量が減り続けているのだ。


(どうしてこんな数字が)


 紙の上で導き出した数字を見つめ、思案に暮れていたその時。突然ドアが開いた。


「……ランス様?」


 輝く銀髪に、紅の瞳。彼の顔を見るのはずいぶん久しぶりな気がした。


「レイさん」


 驚いているのはランスも同じだった。お互いに驚いた顔で見つめ合い、やがて同時に破顔する。


「構いませんか?」

「どうぞ」


 ランスが向かいの椅子を指差し、レイは散乱していた羊皮紙と本をまとめる。ランスがそれを見るなりまたも驚いた顔でレイを見つめた。


「アロア年観なんて、一体どうするつもりですか?」


 レイは羊皮紙をそっと指で撫でる。


「調べ物をしていたんです。アロアのことをもっと知りたくて」


 ランスは真剣な表情で唇を結んだ。銀髪が蜜色の灯にきらめき、顔に深い影を落とす。レイははっとして言葉を失う。彼の目元や口元に浮かんだ影は、拭いきれない疲れと憂を帯びていた。


「レイさん、聞かせてほしい。あなたからみて、アロアの領民の生活はどうですか?」


 レイはわずかにうつむき、膝の上で組んだ指に力を込めた。言葉を選ばなければならない。ランスはただでさえ忙しい身だ。すでにその両腕には処理しきれない量の問題を抱えているというのに、それらを片付ける間もなく増えていくのだ。


「私は――」


 レイは顔を上げ、ゆっくりと唇を湿した。


「確かに街の暮らしを見ました。けれどそれは瞬間にすぎません。森に点在しているという、村を見たわけでもなければ村人たちと言葉を交わしたわけでもない。瞬間を切り取っただけでは適切な判断は下せません。


 私がわかったことは、すでにランス様もご存知のことばかりです。麦の収穫量が年々減り続けていること、魔物のこと――。まずはこの2つを解決することが重要かと思います」


 言うのは簡単だ。すでに頑張っている人間に、励ましの言葉をかけることがどれだけ苦痛を与えることか。


「領民が豊かでなければ、領主は生きられない。父の口癖でした」


 ランスが口を開いた。


「あなたを騎士団と魔法団に紹介したい。明日一緒に来てくれませんか?」

「……?」


 束の間硬直したレイを、ランスは楽しそうに眺めていたのだった。


「レイさん、あなたはとても聡明な方だ。力を合わせれば、きっとアロアは変わる」


 ランスが不意に手を伸ばし、レイの右手を握った。


「どうか力を貸して欲しい」


 ランスは真剣だった。射るような眼差しに、レイは確かに騎士と領主、そして伯爵としての風格を見る。


「私でよければ、ぜひ!」


 ランスが口元に笑みを浮かべた。心から安堵したように眉根を下げる。レイのこわばっていた心に、一筋の光が差し込んだような気がした。

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しごでき令嬢は邪魔ですか? 〜婚約破棄されたので、辺境開拓にはげみます〜 木村比奈子 @hinako1223

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